格
*後半ややグロなのでお気を付けください。
ヒラヒラと僅かな風を感じてハルカはそっと目を開けた。コリンが目の前で手を振って笑っている。見張り交代の時間だ。
伸ばした足を枕にするようにして、カーミラが眠っている。モンタナは隣で目を開けたままぼんやりとしていた。
そっとカーミラの頭を持ち上げ、足の代わりに荷物を挟み込んでやる。
「眠りすぎましたか?」
「ううん、そろそろだなーって声掛けに来ただけ」
「それじゃ、交代します」
そのまま小さな焚き火のほうへ向かうと、後ろから漏れ出すような言葉にならない声が聞こえてきた。
振り返るとカーミラが荷物を避けて、自分の腕を枕にして眠り直すのが見える。どうやらお気に召さなかったらしい。
モンタナがふらっと立ち上がりハルカの後に続く。
「こっちも交代だな」
アルベルトがユーリの脇に手を入れてハルカに差し出してくる。足をぶらぶらさせているユーリは、割と乱暴な扱いをされている割に楽しそうだ。
「アルに遊んでもらってた」
「よかったですね。何してたんですか?」
受け取って背中を撫でてやる。
「僕が逃げて、アルが捕まえるの」
「結構すばしっこいんだよな」
「怪我はありませんか?」
「ちょっとだけ」
地面に下ろして見てみると、膝が少し汚れている。ほんの少し擦りむいているようだ。
ハルカはユーリの足に手を触れて、治癒魔法を使った。
眠っている間泣き声は聞こえなかったし、それどころかきゃっきゃと騒いでいる声も聞こえなかった。遊んでいたという割には随分と静かだったので少し遠くに出ていたのかもしれないと思う。
実際のところはユーリが本気で逃げて、それをアルベルトが片手間で追いかけてたので、キャッキャと騒ぐような余裕がないだけだったのだが。遊んでもらったとユーリは言うが、本人は訓練のつもりだ。ハルカがすぐに心配することをよく理解していて、言葉を選んだにすぎない。
本人が真相を知ればきっと落ち込むことだが、ハルカがそのことに気がつく様子はさっぱりなかった。
古城の一室で、仮面をつけた男はうんざりしていた。
元冒険者、賞金首、追放者。
どれも我がことばかりで、自己を押し付け合うことを生きがいとして世間から追い出されたはみ出し者だ。
金で集められたそれらは確かに粒がそろっていたが、男の眼鏡にかなうものは殆どいなかった。いっそ全員殺してしまった方がすっきりするのではないかと思ったが、男はマグナス公爵に雇われているわけではないので、好き勝手できない。
南方大陸の滅んだ国からやってきた仮面の男は、王国西方の伯爵に雇われて、こんな森の中まで足を延ばすことになっていた。それなりに重宝されているので、不愉快というだけで裏切るのには少しもったいない。
はみ出し者たちは怯える人質たちに配慮する気なんてこれっぽっちもない。中には幼い子供もいるのだが、怯えた反応を楽しんでいる輩までいるようであった。
もっとも仮面の男だって人質に配慮をしろなんて言い出す気はなかった。
むしろ怯えている人質の動きも鬱陶しいので、早く事が終わって始末してしまいたいとすら思っていた。
ただ人質という駒を壊されると作戦に支障が出かねないので、そんな動きを見せるものがいれば最低限けん制するつもりでいた。
そのはみ出し者どものうちの一人が、人質に手を伸ばす。子供と大人の中間ぐらいの少女だ。その男は、気に食わないという理由で早々に仲間を数人殺して、周りから一目置かれた荒くれ者だった。
その調子で全員殺してくれと仮面の男は思ったものだが、残念ながらこの雇われ部隊はそいつを中心に結束を強めつつある。
たまった鬱憤を晴らすくらいはかまわない。ただ殺すと困るので、仮面の男には見たくもない現場を見届ける必要があった。男の下半身などわざわざ見たいものはいない。
集団の中、たった二人だけ浮いている者がいることに仮面の男は気づいていた。
自分と、それから銀色の髪をしたエルフだ。
こんな野蛮な集団の中で、見目の整った女性が無事でいられること自体が異常だ。
手を出されなかったのではない。手を出そうとした男が唐突に爆散したせいで、誰も近寄らなくなったのだ。
仮面の男はここ数日の間に、はみ出し者たちの噂話に耳を傾けていた。そこから得られた情報はそのエルフの正体が、おそらく【致命的自己】と呼ばれる国際指名手配犯だということだった。
一言も発しないそのエルフの目的が分からないことを、仮面の男は警戒をしていた。
恐らく自分と同じように何者かに雇われてこの場所にいるのだろうと考えていたが、あくまで推測でしかない。
自分、エルフの女、そして野蛮な男を中心としたグループ。それぞれが凡そ同じくらいの実力になるだろうと、仮面の男は推測していた。
仮面の男は現場から目を離したつもりはなかった。見たくないという気持ちはあれど、それで仕事を放棄するほど舐めてはいない。
だというのに、少女と男の間に、いつの間にか【致命的自己】が姿を現していた。
姿を現しただけで何も言わないエルフに、男は無言で剣を抜いた。
「拳」
直後男は後方に吹き飛ぶ。
仮面の男は見た。
たった一言エルフが『テト』と呟いた瞬間に、人のこぶし大のなにかが出現し、男の体の中心をほぼ同時に殴りぬいたのだ。
視線の先では駒の数さえそろえれば自分にも匹敵すると考えていた男が、体の形を変えて絶命していた。巻き込まれた数人も、男に押しつぶされてとても動ける状態ではない。
「な、何してんだてめぇえ!」
一部のはみ出し者がいきり立つと、数人がつられて武器を抜く。
「あなたたち、やっぱり悪い人みたいね。そうね……、ゴミ掃除、かしら」
仮面の男は背筋にぞわりとした何かを感じ、素早く部屋の端に寄った。
直後、エルフがまた何かぽつりとつぶやいた。
「剣」
ごろりと首が落ちる。動いたものから順に、ごろりごろりと首が落ちる。
命を落としたはぐれ者たちは、恐らく自分が死んだことにも気がついていない。
後方にいた者たちが数人、動いた者から首が落ちていることに気がつき、表情をゆがめて命乞いをした。
「ゆ、許してくれ」
「……無理よ、もう終わっちゃったもの」
男たちの呼吸が荒くなり、体が揺れたものからごろりごろりと首が落ちる。全てのはみ出し者たちが躯になったのを確認して、仮面の男はそっと腕を動かして自分の首筋を撫でようとした。
「あなたは、悪い人かしら?」
その瞬間、仮面の男は目の前でエルフが問いかけてきていることに気付く。
驚きと共に、自分が生きているらしいことにほっとする。
手遅れなのだとしたら、こんな問いかけはされないはずだ。
それでも少し緊張しながら、仮面の男がゆっくりと首を横に振ると、そのエルフはのろのろと元居た壁際まで歩いて戻っていった。
血の海を気にもせずに。怯える人質を慰めるでもなく。
随分と人が減った。
古城の一室は先ほどまで鬱陶しいくらいに騒がしかったというのに、今はもうしんと静まり返り、誰もが息を殺すようになっていた。
先ほどと変わらないのはただ一人。
銀色の髪をしたエルフのみだ。