甘やかしの距離感
「それで?」
ゲパルト辺境伯領の話を聞いてから、エリザヴェータはハルカに続きを促した。中途半端に話を切ったわけではない。ただ、カーミラを連れてきたという結論だけを言わなかっただけだ。
横目で様子を窺ってみると、カーミラは目を伏せてエリザヴェータの方をちっとも見ようとしない。ちなみにその更に奥にいるモンタナは澄ました顔をしていて、ハルカに何のサインも送ってこない。
つまりエリザヴェータお得意の、無駄にプレッシャーをかけるやり口だ。
自分一人ならともかく、モンタナがいると少し安心できる。ハルカは大きなため息をついて、続きを話した。緊張しているカーミラが少し可哀想に思えた。
「それで、隣にいるのがそのゲパルト辺境伯を魅了していた吸血鬼のカーミラです」
「うむ、実は報告を聞いて知っていた」
「そんな気はしました」
「振る舞い通りの性格なのか?」
「はい、恐らくは。ただ一応私が近くにいるようにしています。リーサの下に連れてくるべきか悩みましたが、ここで暴れてもカーミラには何の利もないと考えて連れてきました」
「どうだろうな? 他国の間者ならそれくらい平気で演技をすると思うが」
「私は彼女の争いが好きでないという言葉と、仲間の目を信じることにしました。拠点に引き取って静かに暮らしてもらおうかと」
「やはり甘いな。同じノクト爺の弟子とはとても思えん。女王である私としては絶対に許せんことだな」
カーミラが体を強張らせた。今すぐにでも飛んで逃げだしそうな挙動を見て、モンタナが足を伸ばし、カーミラの椅子をつま先でつついて止めた。
「ハルカの友人であり姉弟子であるリーサとしてならば……。火遊びはほどほどにするように、といったところか。他人にばれぬよう気をつけよ。特にオラクル教の連中は面倒なことを言い出しかねんぞ。他にも個人的に破壊者への恨みを持っているものはごまんといるからな」
「ありがとうございます、勝手なことをして申し訳ありません」
「構わん。ハルカは冒険者なのだから好きにやったらいい。いざという時はその吸血鬼、カーミラを抑える自信があるから連れてきたのだろう?」
カーミラが暴れないだろうというのを大前提として、確かに抑えられるだろうとは思っていた。しかし夜に万全の状態だとしたら、咄嗟に間に合うか微妙なところだ。
もし今まで見せていた力が演技で、本当は戦闘のプロだったとしたら、どうにもならない可能性はある。
しかし、ハルカはその点は大丈夫だろうと踏んでいた。
少なくともカーミラは首だけの状態になったときに一度、自分の命をハルカに完全に委ねている。捨て駒たりえない力を持っているというのに、そんな博打を打つとは思えない。
そもそもカーミラはハルカたちがエリザヴェータに会いに行くことも知らないのだから、未来視でもできない限り、そんな訳の分からない作戦を立てているわけがなかった。
「……ええ、まあ」
「……ハルカよ、自信をもって答えるところだぞ。その間はやめろ、流石に不安になる」
「大丈夫です、本当に」
「嘘でももうちょっと胸を張れ」
「嘘じゃないです」
「なら最初からはきはき答えよ。さて続きだ。まだ南部の話しか聞いておらんぞ」
「わかりました。あと、最初に言いましたが、これ以上カーミラをいじめて楽しまないでください」
「……なんだ、ばれているのか。最初に会ったときはハルカももうちょっと可愛げがあったのだが。しかし意地悪ばかり言っているわけではない。私の反応などかなり優しい方だ。身分ある者の前に破壊者を連れていってこんなもので済むとは思わんことだな。しかし、爺から聞いたことがあったが、本当にいるのだな、話の通じる破壊者」
仮面をまた一つ脱ぎ捨てたエリザヴェータがまじまじとカーミラを見つめると、カーミラは嫌そうに顔をそらす。完全に苦手意識が植え付けられてしまったようだ。
「王国ではご先祖様たちが張り切ってくれたおかげで、巨人以外の破壊者と出会うことは殆どない。どうやらその分、破壊者に対する理解が遅れている節がある。それどころか国内が安全なばかりに、獣人たちへの差別意識まで芽生えている始末だ。……今回でその派閥の力は、大きく削ぐことができそうだがな。さて、次はどこの話だ?」
「はい、デザイア辺境伯領ですね」
「そこでも何か依頼を?」
「ええ、二つ。一つはまだ完遂できておらず、その報告と相談もしたいと思っていました」
「聞こう」
椅子に深く腰を下ろしたエリザヴェータは、再び口を挟むのをやめて話を聞く態勢をとった。そうなるとエリザヴェータは本当に何も言わずにただ黙って報告を聞くようになる。
ただ聞き流しているかというとそうではなく、聞きながら時折反応を返し、表情を変えたり手を動かしたり、地図を広げてみたりする。情報を無駄にしないようにきちんと頭の中を整理しながら話を聞いているのだろう。
判断一つが国を左右する王として、それは必要な能力なのかもしれない。
ハルカはふと、リザードマンの国のことを思い出し、一度語りを止めた。
好き勝手旅に出ているが大丈夫なのだろうか。
名だけとはいえ、こうしてたまにしか思い出さないのだから、何とも薄情な王だと自分を少し責める。
「どうした、何かあったか?」
「いえ、思い出したことがあっただけです。それで、二つ目の依頼が人質の救出というものです」
「……ほう、続けよ」
空が暗くなり、やがて夜の王であるカーミラの時間となっても話は続く。しかしその話はもう終わったとでもいうように、エリザヴェータはカーミラの方を一瞥もせずに黙ってハルカの話を聞いた。
怖がる様子も、警戒する様子もまるでない。
天幕の中にいるのは四人だけ。
モンタナは時折顔を上げるくらいで、勝手に宝石を削っているし、姉妹弟子二人はまじめな顔をして報告会だ。
あれほどけん制してきていたのに、今となってはもはやカーミラの方を見向きもしないエリザヴェータ。そうなると存在を忘れられたようで、ほんの少し寂しいものがある。
だからといって、先ほどの尋問されているような雰囲気はこりごりではあったのだが。
やっぱり人の偉い人はよくわからない。
何度となく、ぼんやりと天幕の内装を眺めながら、カーミラは一人そんなことを思うのであった。