中毒者
顔色が悪い割にはしっかりとした歩みを見せたヴェルネリ辺境伯は、色つきの障壁で作られた階段を上り、ナギの背中まで上がった。ウー=フェイも後に続いて上がったのは、護衛のつもりなのか、それとも竜の背中に興味があったのか、微妙なところだ。
登ってからヴェルネリの方など見向きもせずにあちこちを眺めてまわっているところを見ると、後者であるようにも思える。
「以前会った時よりも仲間が増えているな」
イーストンとカーミラを見て呟いたヴェルネリだったが、そこに何か返答が欲しているわけでもなさそうだ。
「はい。縁に恵まれています。こちらがリーサから預かった手紙です」
「……リーサ、というのは陛下のことか」
「あ、そうですね、はい。陛下からの手紙です」
手紙を受け取ったヴェルネリは、しばらく考えてから、ゆっくりと丁寧にその端にナイフを引っかけて開封する。
コリンとハルカはともかく、他のメンバーは身分の高い相手に対してもあまり敬意を払うことがない。それぞれ好き勝手なことをしている。
頭側に行ったアルベルトがナギに話しかけると、ナギはゆっくりと立ち上がり、兵士たちの先頭を歩き始める。もしこの兵士たちと対峙する相手がいるとするならば、まず最初にナギを目にして腰を抜かすことになるだろう。
後ろに沢山の兵士がついてくるのが面白いのか、ナギはたまに振り返って兵士たちの方を見ている。その都度兵士たちに動揺が走るのだが、わざと脅かしているわけでもないので、ハルカもやめるようには言わなかった。
その間、何度も眉間を揉むような仕草をしているヴェルネリに、ハルカは声をかけた。
「……閣下、治癒魔法をかけます」
「頼む」
肩に手をかけて魔法を使用している間じっと目を閉じていたヴェルネリだったが、顔色が良くなったところでハルカが手を放すと、パチッと目を開けた。
人相が随分よくなり、年も若返ったように見える。
ぐるりと首を回したヴェルネリは、手紙の上から下までさっと目を通し、すぐにそれをしまった。
「やはり得難い人材だな。他に似たような魔法を使える者がいたら是非紹介してくれ」
「ええ、見かけたら。手紙の件はどうですか?」
やや緊張をしながらハルカが尋ねると、ヴェルネリは後ろに続く兵士たちを見やってから腕を組む。
「本来なら北へ北へと勢力を伸ばすはずの私が、こうして南下している理由は、まさにそのマグナス公爵のせいだ。以前注意されてから睡眠時間にも多少気を使っていたというのに、おかげさまでこの様だった」
「旦那、一日昼と夜に二時間ずつ寝るのは、気を使ってるって言わねぇぜ」
「……どちらに味方するにしても、戦いは機先を制すことが肝要だ。間に合わなかったではどんなに軍備を整えたところで意味がない」
ウーの茶々を無視してヴェルネリは続ける。
どちらに味方するにしても、という言葉にイーストンがピクリと反応をした。もしこの軍がバルバロ侯爵領を挟撃するものだとすれば、ただそのまま通すわけにはいかないからだ。
イーストンとウーの目が合い、互いに体を緊張させる。
「当然、私は勝つ方につくつもりだ。北方遠征を一時中断してまで赴くのに、何も得るものがないのでは困る。お前たち、それに当然この竜は女王側だな? それに、私のところに来るまでに、他の領地にも立ち寄ったのではないか?」
二人の動きに気がついているのかいないのか、ヴェルネリは変わらぬ態度でハルカに問いかけた。どう答えるのが正解なのかわからないまま、ハルカは真実を隠すことなく述べる。
「各地域の有力者に手紙を届けるよう依頼を受けました。地域に問題があればその解決にも協力しています」
「……ウーよ。降りてバルバロ侯爵領へ先触れを送らせろ。南方の動きが不穏なため兵を起こした。他意はないので協力を願いたいと。あちらも隣の不穏さには流石に気がついているだろう」
「了解だ、旦那。降りるぜ」
ウーがコンコンと障壁を拳で叩いたのを見て、ハルカはそこの障壁を外す。散歩にでもいくような気軽さでウーが飛び出していくのを見て、ハルカは再びそこに障壁を張りなおした。
「もしかして、元々はマグナス公爵に味方するつもりだったのかな?」
座ったままのイーストンが問いかけると、ヴェルネリはすました顔で答える。
「答える義理はないが、可能性としてないわけではなかった、と言っておこう」
「……じゃあ心配する必要もなかったかもしれないね」
「バルバロ候の人柄は知らんが、海を使って随分と栄えた街を持っていると聞く。街を潤わす領主と矛を交えたいとはあまり思わんな」
急いだ結果決定を大きく覆した、というわけではなさそうだが、まるで無駄ではなかったということだろうか。腕を組んだまま難しい顔をしているヴェルネリには、コリンが少し砕けた口調で話しかける。
「それにしても閣下、よくあんな体調悪そうな顔で馬に乗って行軍してましたねー」
「馬に乗って進んでいる間は多少寝てても大丈夫だからな。書類仕事をしている時よりは頭が休まる」
「……おい、コリン、何言ってんだこいつ」
絶句するコリンと、よくわからない理屈に思わず突っ込んだアルベルト。しかし当人は真顔で気にした様子もない。本気で馬上で休息をとるつもりだったらしい。
「えーっと、体は元気になりましたが、たまには眠ることも大切です。毛布くらいなら貸しますので、できればここで休んでいってください」
「いや? 折角だから各所への手紙を書くつもりだ。道具を取りに行くので一度降りるか」
「いえ、休みましょう、本当に」
「私も休んだほうがいいと思います」
ハルカとコリンに言われて初めて困惑した表情を見せたヴェルネリに向かって、モンタナが毛布を抱えて持ってくる。
「はい、休むです」
「いや、私は」
「いいから休めって、どうせ歩いてるナギから降りられねぇんだから」
丸めて枕のようにした布を放り投げたアルベルトと、それを思わず受け取ったヴェルネリ。ここまで強引に眠ることを勧められたことがなかったのか、どうしたらいいか迷っていたようだが、全員からの視線を向けられて、やがてしぶしぶ端によって座り込んだ。
代わりに立ち上がったカーミラが、ハルカの傍によってこっそり耳打ちする。
「なんであんなに仕事したいのかしら。ちょっと変よあの人」
「……まあ、仕事が大切なんだと思います」
全員同じことを思っていたが、ただ一人ヴェルネリだけはどこか納得のいかない顔をしたまま、その場にごろりと寝転がるのだった。