穏やかな変化
街を出て仲間たちが合流してすぐに、ナギに乗って空の旅に出る。
屋台で買い込んだものを食べるハルカたちを見ながら、眠たそうな顔をしたイーストンが口を開く。
「随分と早かったね。アルは問題を起こさなかったの?」
「え、あー……。結果的に問題にはなっていなかった、というのが正しい気がします」
「そうだと思ったです。何があったですか?」
ハルカたちが見たこと、依頼のこと、それからアルベルト側の事情をそれぞれ聞いたイーストンとモンタナは顔を見合わせて笑った。
「思ったよりもまともだったね」
「もっと暴れてると思ったです」
「おい、馬鹿にしてんのかお前ら」
「褒めてるですよ」
言葉でこそそういうものの、二人とも微妙に表情を歪めてアルベルトと目を合わせようとしない。やけに息の合った言動を見て、留守中に二人で何をしていたのだろうと気になるハルカだった。
新しく受けた依頼を仲間たちと共有してから、ハルカはこの後の行程を確認する。
次に訪ねるのは山を越えてすぐのところにあるヴェルネリ辺境伯、それからイーストンの馴染みであるバルバロ侯爵だ。この時期になるとだいぶ切羽詰まってきていて、もし仮にマグナス公爵が女王側の動きを察知していた場合、先制して手を打ってきている可能性もある。
予定通りかそれ以上にスムーズに事が進んでいるとはいえ、あまりのんびりしてばかりはいられない理由はそこにあった。
それに加えてデザイア辺境伯からの依頼で、人質にされている貴族の子女を救出しなければいけないことになっている。おそらく捕まえた人質たちは監視できる場所にまとめているはずだ。探すのならばマグナス公爵領の中になるだろう。
その前にエリザヴェータと合流して、その依頼をこなす許可を貰わなければならない。
目立つことは避けたいから、そうなったらナギはどこかにお留守番だ。なんなら目を引くために公爵領の空を飛んでいてもらっても良いが懸念が一つあった。
マグナス公爵領から飛んできた中型飛竜に言うことを聞かせていた魔道具だ。何かあってナギがそんな装置をつけられでもしたら、どんな被害が出るかわからない。
ハルカは自分のいない場所でそんな事態が起こることは避けたいと思っていた。
これから向かう辺境伯と侯爵は、それぞれ関係が良好な相手だ。今までよりも交渉はスムーズに進むはずだ。その点でいえば、ハルカはそれほど緊張はしていなかった。
むしろ今回のデザイア辺境伯こそ初めて会う相手だったから、偉く緊張してしまった。オシャレまでして気を使ったのだが、今思い返してみればいつも通りの格好でも態度を変えるような人ではなかったように思える。
今はいつも通りの格好に戻ったので随分と動きが楽だ。ぴっちりとした燕尾服は、体が締め付けられる気がして窮屈だった。何より胸元が落ち着かない。
この世界に来た頃には平気な顔をしてランニングシャツで外に出たものだったが、今となってはすっかり女性の下着にも慣れてしまった。
考えると、本当にこれでいいのだろうかと自己嫌悪に陥ってしまうので、ハルカはすぐにそれについて考えるのをやめた。
デザイア辺境伯領を当日に出発して、三泊。四日目にして山を越えると、ヴェルネリ辺境伯領の〈チフトウィント要塞〉が見えてきた。問題はヴェルネリ辺境伯が、今どの街にいるのかだ。
以前来た時はここからさらに北に行った【ディグランド】の中に作った拠点で仕事をしていた。
王国内の不穏を嗅ぎつけていないのならば、そちらで未だにブラック労働をしていそうだが、そこまで世間に疎いタイプの領主ではない。
もしかしたらこの〈チフトウィント要塞)か、あるいは領の都であるフォルスに戻って、兵の準備をしていることすら考えられた。
一先ずは〈チフトウィント要塞〉に入って、情報収集をする必要があるのだが、あの街はどうもハルカは得意ではない。ヴェルネリ辺境伯の人柄を知った後だと効率的なやり方であることも理解できるのだが、それでも街の中に入りたいとは積極的に思えなかった。
「というわけで、今回は私が留守番しています。なので、カーミラも留守番ですね」
「僕と、アルでいくです?」
「あ、毎度で申し訳ないのですが、コリンも一緒に行ってください。ディグランド側にいた兵士が中にいれば、コリンの顔は忘れていないはずでしょう。随分と人気がありましたからね」
「えへへー、それほどでもないけどー」
「なんで俺を叩くんだよ」
顔を緩ませながら、照れ隠しに横にいるアルベルトの肩を叩くコリン。仲間からの誉め言葉を素直に受け止めて喜ぶ姿はとても可愛らしいとハルカは思っていた。
「あとはー……、イースさんも同行していただいても?」
「必要かな?」
「えーっと……、二人迷子になると困るので、できれば」
「あー、うん、いいよわかった」
もう子供ではないのでまさかとは思うが、アルベルトとコリンが同時に迷子になった場合、探すのに人手がいる。モンタナならすぐに見つけ出すような気もするが、もう一人頼りになる大人が欲しかった。
街のかなり手前、道から外れたところで選んだ四人を送り出す。
「気を付けてくださいね、悪い人についてっちゃだめですよ」
「……ハルカには言われたくねぇんだけど」
「……なんでです?」
アルベルト・モンタナ・コリンから返ってきた白けた目に、ハルカは心当たりがない。街で散々悪いナンパについていったことを、本人だけがすっかり忘れていた。
ユーリを抱っこしたまま二人で手を振って見送っていると、隣にいたカーミラがぽつりとつぶやく。
「なんだか家族を見送る母親みたいね」
「……そうですか?」
嫌な気持ちになったわけではないのだが、何とも言えない微妙な感情だ。家族と言われて嬉しいのだけれど、母親と言われるとどうなのだろう。ハルカの返事が一拍遅れたのに気がついたカーミラは、両手と首をフリフリと横に何度か振って焦ったように続ける。
「違うのよ、仲が良さそうでいいなってこと。犬は頭を下げて見送ってくれるのだけれど、そういえば母は、今みたいに手を振って見送ってくれてたって思い出したの。父も片手をあげて、怪我をするなよって。私丈夫だから滅多なことじゃ怪我なんかしないのわかっているのに。……懐かしいわね」
「いい思い出ですね。きっと大切に育てられたんでしょう」
「ええ、そうよ。私とっても大切に可愛がられて育ったの。だからいじめたら嫌よ?」
甘えるのが上手い。女王様のようなことをしているからそういうタイプじゃないと思っていたのだが、庇護欲を誘うのも上手なようだった。
どこまでが演技で、どこまでが本気かわからないハルカは、やや絆されながらも意識的に少し冷たくカーミラをあしらう。
「はいはい、変なことをしなければいじめませんからね」
「お姉様、私しないって約束したわ」
頬を膨らますカーミラに、ハルカは思わず顔を隠して笑いながら、その辺に落ちている木の枝を集めた。
遅くても夜までには仲間たちが帰ってくるはずだ。
その時に困らないよう、野営の準備だけはしっかりとしておくつもりだ。