前門のアルベルト、後門のコリン
「私たち兄弟は、不自由なく育てられました。父の教えは二つ。領主になりたいものは、なるだけの成果を残すこと。なりたくないものも、不自由なく生まれ生きた分、領のために貢献すること。約束事は兄弟同士で争うな、です。私は父ほどの気力や胆力が自分にあるとは思えなかったので、後者を選びました」
「兵士として優秀なようにも見えなかったわよ」
ネイブの言葉に遠慮のない突っ込みを入れたのはカーミラだった。ネイブは笑いながら言葉を続ける。
「ええ、私もそう思うんですよ。兵士はこの領内全体の様子を知るために一時的にやっているだけです。将来的には外との交流を担当したいと思っています。いずれにせよ兄弟の誰かが領主となりますから、その時には手を貸せればいいなと」
いくら約束をしていても、きっといずれは水面下で争いが起こるのではないかと、ハルカはなんとなくそう思う。もちろん、そうならない方がいいのだけれど。
なんにしても部外者であるハルカが口を挟むことではないし、その可能性は渦中の本人たちが一番理解しているだろう。
あまり気が強そうではないネイブが、初めから後継者争いから離脱しているのは、そんな理由もあるのかもしれない。
「さて、すぐそこが冒険者ギルドになるのですが……、なんだか騒がしいですね」
次々とガラの悪い連中が冒険者ギルドに集まってきている。先導している人物が何人かいて、中ではどたばたと怒号や悲鳴が聞こえてきている。
「仲間割れでしょうか?」
「それにしては大騒ぎ過ぎない?」
「私あまり好きじゃないのよね、争い事とか」
辺境伯領ではその中心にいたはずのカーミラが、しれっとした顔で「嫌ね、野蛮なのは」と続けた。日傘をさして佇む立ち姿は確かにお嬢様で、発言が似合っていないわけでもない。
ネイブはうんうんと頷いていたが、ハルカとコリンは二人で顔を見合わせた。
「まぁ、とりあえず行ってみましょうか」
「えーっと、じゃあ、私はご案内しましたのでここまでということで」
「一緒に行かないんですか?」
「一応、私の身分を知っているものがいるとハルカ様に任せた意味がなくなってしまいますから。……もしよかったらカーミラ様も一緒にお待ちになりますか?」
「そうねぇ……」
目を細めてネイブを見たカーミラに、ハルカはすぐに声をかける。
「カーミラは一緒に行きましょうね」
「はい、お姉様」
ここでごねるのは良くないことだと思ったのか、即座に返事をするのがカーミラのいい所だ。誰に従うべきなのかをよく理解している。
自分が犬候補に見られているとは知らないネイブは、少しがっかりした顔をしたが、素直にそのまま引き下がる。
冒険者ギルドに駆け込んでいく人が途切れたところを見計らって、ハルカが扉に手をかけようとしたところで、中から人が飛び出してくる。
いや、正確には吹っ飛んできた。
横に並んでいたコリンがさっとその人物の襟首をつかみ「よっ」と声をかけて、くるんとその人物の体を一回転させて地面に下ろす。綺麗な力の流し方にハルカは思わず「おー」と感嘆の声を上げた。
「てめぇ! どこのどいつだ、好き勝手暴れやがって! 俺を誰か知らねぇらしいな! 俺は三級冒険者の……!」
「知るかボケ!」
男の言葉は途中で中断されて、再びハルカ達の方に飛んでくる。コリンはまたもそれを掴み、うまいこと地面に放る。
人の波が割れて見えたのは、左腕にユーリを抱いたまま、仏頂面で足を振り上げているアルベルトだった。
真後ろから振り下ろされようとしているこん棒に、ハルカが「危ない!」と声をかけたときには振り返ったアルベルトの拳が、不意打ちを仕掛けた男の頬に突き刺さっていた。
床を数度跳ねていく男を目で追うこともせず、アルベルトはハルカ達の方へ向き直って、数度視線を彷徨わせてから口を開いた。
「いや、俺から喧嘩したんじゃねぇぞ。なんかこいつらが勝手に因縁つけてきた」
「あ、はい。別に責めてはいませんけど」
明らかに言い訳をしている雰囲気を察したハルカがそう言うと、アルベルトはほっとしたように笑う。
「だよな、ハルカならわかってくれるよな」
「いえ、そうではなく。状況が全く分からないので、何とも言えないというか」
二人が暢気に会話をしていると、じりじりとハルカたちの近くに寄ってきていた男が、不意に手を伸ばしてくる。アルベルトを何とかするのが難しいと思い、女しかいない方を狙って事態を打開しようとしたのだろう。
しかしその伸ばされた腕はあっさりコリンに捕まり、足払いをかけられて宙を舞った。鳴った骨の音は複数。
手首の折れる音、肩の外れる音、足首の砕ける音。それから痛みによる絶叫。
コリンが「あ、やば」と言った後に、取り繕うように集団を指さして大きな声をだす。
「……か弱い女性に手を上げるとか最低ね!」
投げられた男が宙に浮いている間に、空いたほうの腕が引かれ、拳が繰り出されようとしていたことをアルベルトは見逃していなかった。おそらくそれを咄嗟に止めなかったら男は死んでいる。
どうやら訓練のし過ぎで咄嗟の加減が分からなくなっている。まるで昔のハルカのようだ。
「お前、酷いことするなよ」
一瞬にして再起できるかもわからないような怪我を負わされた男を見て、アルベルトが同情するように呟いた。まだアルベルトの方が上手に加減ができているので、言われても仕方がない。
「うるさい! アルが喧嘩なんかしてるのが悪いんでしょ!」
「だから! 俺が仕掛けたんじゃねぇっての!」
「大体何で街の中にいるのよ!」
「暇だったんだよ!」
仲間がやられているというのに、懲りない男たちが次々と攻撃を仕掛けては床に沈められていく。自分だけは何とでもなるという楽観的な思考、あるいは根拠のない自信やプライドのせいで逃げ出す機会を見失っているのだろう。
後ろで待機しているハルカとカーミラの出番が来ることはなさそうだ。
「私、やっぱり争い事は苦手かもしれないわ……」
「……実は私もそんなに得意ではないんですよね」
美女二人は状況についていけず、ただその場の経過を見守っていた。