ご近所トラブル
夜番交代の時間になって、しばらく。
騒がしい声が聞こえてきて、ハルカはうっすらと目を開けた。発信源を見てみると、アルベルトが太い木の棒を振り回して、カーミラに殴りかかっている。
「ははは、はずれはずれ、はずれよぉ」
「くっそ!」
絵面がひどすぎて思わず飛び起きたハルカだったが、別に一方的に襲われているというわけではなさそうだ。カーミラが楽しそうに体を蝙蝠に変えてアルベルトの攻撃をすかしている。
そうして一度全身を蝙蝠に変えたカーミラは、一部の蝙蝠だけを残し、上半身だけを実体化させてアルベルトの横面を殴る。咄嗟に反撃したアルベルトの一撃はカーミラの上半身に当たる。
地面を転がったアルベルトが立ち上がった時に、カーミラは再び無傷の状態で体を完全に実体化させていた。
「おい、さっきの当たっただろ! なんでダメージなさそうなんだよ!」
「あら? 夜の吸血鬼をそんな棒で傷つけられると思ったの? あー、楽しい! 私、とっても強いんだから。ふふ、そうよそうよ、本当は私とっても強いのよ」
「……まぁいいか、いい訓練になるし」
「……え、まだやるの?」
「やる。今の一撃は当たった感じあったからな。流石に無条件に傷が治り続けるわけじゃねぇだろ。何十回も殴ってりゃ流石に攻撃効くんじゃねぇか」
「もうやめない? 私そんなに戦いたくないわ。それに、あんまりあなたのこと叩いて、後で怒られるの嫌なのよ」
「訓練付き合うって言っただろ」
「つ、付き合ったじゃない。ほら、顔腫れてるわよ? もうやめましょう?」
「あ? こんなの怪我のうちに入らねえよ」
問答無用でアルベルトが距離を詰めると、カーミラは慌てて走って距離をとる。しかし体の使い方が上手くないのか、どうもアルベルトの方が動きは素早いようだ。
諦めて対峙したカーミラは、顔に向けて振るわれた木の棒を辛うじて手で受け止める。
誰が見ても美しいと評するであろう綺麗な顔を躊躇なく狙えるアルベルトは、根っからの戦闘馬鹿なのかもしれない。
「ちょっと! 遠慮ってものがないわけ!?」
掴んだ木の棒を非難の声と共にカーミラが握りつぶす。
「ふふん、これでもう武器がないから……」
得意げな顔で棒の上半分を投げ捨てたカーミラの顔面へ、割れて尖った下半分の木の棒が突き出される。
「きゃああ!」
思わず悲鳴を上げてすぐに蝙蝠に変わったカーミラは、そのまま距離を取ってイーストンの後ろへ避難する。
「ちょっと、あの子おかしいわよ! なんで武器がなくなった直後にあんなことできるの!? 人間って普通ああやって脅かしたら怯えるものじゃないの!?」
「……僕を盾にするのやめてよ」
「止めて頂戴! 私争い事はあまり好きじゃないの!」
「君が引き受けたんでしょ。僕はやめときなよって言ったよ」
「ちゃんと説明しなさいよ! 元々あなたが断ってたから私が受けてあげたんでしょ! 助けてよ!」
「嫌ならちゃんと断りなよね」
折れた棒を投げ捨てて、新しいのを探しに行っていたアルベルトが戻ってくる。カーミラが騒いでいるのを横目に、ハルカは立ち上がってアルベルトの下へ歩いた。
「すごく嫌がってますけど」
そう声をかけながらハルカはアルベルトの頬に触れて怪我を治す。
「あいつさっきまで、実力の差を教えてやるとか、身の程知らずとか言ってたんだぜ? どうせ怪我しないんだからもうちょっとやってもいいだろ」
「いやぁ……今はもう嫌がってますし……」
話しているハルカに気付いたカーミラが、大きな声を出す。
「お姉様! 私いじめられてるのよ!」
「お姉様?」
「いえ、なんか彼女が勝手にそう呼ぶんです。ああ言ってますしやめましょうか」
「なんだよ、吸血鬼相手のいい訓練になると思ったのに」
ぽいっと棒を投げ捨てたアルベルトを見て、カーミラはほっと胸を撫でおろした。そこへ目をほとんど閉じたままのモンタナがのそのそと歩いてきて、カーミラの前でピタッと足を止める。
「……な、何よ」
ぴたん、ぴたんと規則的に揺れる尻尾。伏せられた耳。
「うるさいです……」
カーミラを見上げたモンタナは一言それだけ告げると、今度は同じように歩いてアルベルトの下へ行く。
「アルもうるさいです……」
「……悪い」
二人に注意して目的を達したのか、モンタナはナギの隣へ戻って横になり、膝をたたんでまた眠り始めた。
「ごめんなさい……」
カーミラはしばらくしてから、両手で口元を押さえてもごもごと小さな声で謝罪をする。
吸血鬼は夜に活動するものだし、今まで他人との共同生活もなかったから、そういった面で気を使うという習慣がなかったのだろう。
それが聞こえたイーストンは、肩を竦めてカーミラに声をかける。
「人間は夜に寝るものだからね。今回はアルも悪いけど、気を付けて」
「わかったわ……」
しょんぼりとして地べたに座ったカーミラと、戻ってきて同じように火を囲むアルベルト。
もう大丈夫だろうと思ってハルカもナギの方へ向かっていると、後ろから小さな話し声が聞こえてくる。
「なぁ、今度また日が落ちた後に訓練付き合ってくれよ」
「嫌よ。だってあなた加減がないんだもの。私訓練であそこまでされると思わなかったわ」
「いつもと変わんねぇけど」
「それは嘘ね。人間がそんな危ない訓練に耐えられるわけがないわ」
「いや、嘘じゃねぇよ」
「嘘、絶対嘘。だって危ないもの」
「嘘じゃねぇって」
声を抑えつつも普通に会話をしているのを聞いていると、カーミラも早々にこの旅に慣れることができるような気がして、ハルカも一安心だ。
ハルカもナギの傍で体を休めながら明日以降のことを考える。
明日はエレクトラムの上空を越え、それから王国の中で最も冒険者の活動が活発である、デザイア辺境伯領へ向かうことになる。
まだ訪れたことの無い土地のことを思いながら、ハルカはゆっくりとまどろみ、そのまま暗闇に意識を落としていった。