不良犬
カーミラに魅了されていた残りの人物を、今回のことに関する口止めをして家に帰そうとしたのだが、そのうちの半分以上が崩れかけの謁見の間に残ると言い出した。
まだ魅了されているのかと疑いたくなる行動だったが、そうではないという。ただ単純に帰る家がなかったり、寂しい思いをしていた男たちが、カーミラとの生活を送る中で情が移ってしまったという話らしい。
首だけになってしまった姿に、見たばかりの時は驚いて腰を抜かしたが、すぐにこのまま放って帰るわけにはいかないという使命感に駆られたそうだ。
魅了されていないというのであれば、洗脳されているのではないかと思うような行動だったが、ハルカにはほんの少し既視感のある行動だった。
元の世界にいたアイドルの追っかけ、それに近いような情熱を残った男たちから感じ取っていた。
全員が話を聞く姿勢をとったところで、カーミラの話が始まる。
彼女は千年以上の間、南方大陸にある森の中に暮らしていた。両親ともに吸血鬼で、幾人かの人間の使用人と共に穏やかに暮らしていたのだとか。
その頃はまだ、森から街に出ては人間と普通に関わって暮らしていたらしい。街は今よりも数が多く、便利な魔道具などもたくさんあったそうだ。
しかしいつからか人間の使用人を見なくなり、両親が森を出て帰らない日が増えてくると、カーミラは外の世界と隔絶されて過ごすようになった。
一度こっそりと出かけたことがあったのだが、攻撃的な魔道具を携えた人の群れに追いかけ回されて以来、すっかり森に引きこもるようになってしまった。
どうやら人間同士が、あるいは人間と吸血鬼、人間とドワーフやエルフが激しく争っているらしいことを、当時のカーミラは理解していた。
それからさらに何十年かの時が過ぎた頃、両親はカーミラに外に出ないようにきつく言いつけて外に出ていくと、それ以来二度と帰ってこなかった。
これが大体千年ほど前。
ハルカが今まで読んできた文献によれば、神人時代の人が破壊者に追い立てられて、今の教都〈ヴィスタ〉に追い詰められた頃の話だ。
カーミラはやはり一度約束を破って森の外に出たことがあるそうだが、その時に街があったはずの場所が瓦礫の山となっているのを見たという。人間だけでなく様々な種族の亡骸が転がっていたと。
怖くなったカーミラはそれからずっと森の中に引きこもっていた。森に暮らす動物を飼い、時に血を啜り、毎日をただぼんやりと過ごしてきたそうだ。
「ちょっと待て、吸血鬼って人間以外の血でも生きられるのか?」
「生きられるわ。すごくまずいけど死んだりはしないわよ」
そんな話をした時アルベルトが我慢できなくなってツッコミを入れると、カーミラは素直に吸血鬼のことについても答える。
「再生も遅くなるし、力もあまり出なくなるわ。でも死なない、だからわたしは別に森でだって生きられるのよ。それで……」
カーミラの話は続く。
そこからさらに数十年、ヘタをすると百年近く経った頃、森に一人の人間が現れた。
痩せ細って今にも死にそうだったその男を、カーミラは最初警戒したけれど、結局魅了をかけて世話を焼いてやった。
元気になった頃に魅了を解いて帰るように言ったが、男はそのまま森に残り、寿命が尽きるまでカーミラのそばで過ごした。
「それが最初の犬よ。ニールって名前だったわ。でも、犬って呼んだ方が喜ぶからそう呼んでたの。それから現れた男も女も、世話をしてやったら帰らずに私の犬になったわ。だから多分、人間は私に犬と呼ばれるのが好きなのだと思うの」
「奇跡的に変な人しか辿り着かなかっただけでしょ」
「あら、でもそこの犬たちも、幸せそうに過ごしていたわ。……私はそう思っていたのだけれど」
イーストンの呆れたようなツッコミに対してカーミラがそう言うと、元犬さんたちは大いに頷き同意を示した。コリンが白い目でそれを見ていたが、彼らはそんなことは気にしない。
「死にかけたところを助けられて、こんな美女に甲斐甲斐しく世話されりゃ、そんな気にもなるんじゃねぇのか」
「そうだ! カーミラ様は俺たちの世話をする時、めっちゃ良い笑顔を向けてくれるんだ!」
「たまにちょっとドジだけど、そこが可愛いんだ。ずっと見てられる!」
ゲパルト辺境伯に続いた元犬諸君のフォローに、冒険者チーム全員が身を引いた。ユーリがハルカのことを見て小さく頷いたことには、幸い誰も気づかなかった。
「でも、ここ二百年くらいで人間は私を見ると逃げていくようになったわ。時には武装して攻め込んでくることすらあった。だから私は、そいつらを魅了してちょっと血をもらって追い返していたの。あいつらったら、弱いのに何度も何度でもやってきて本当に嫌だったわ。森には犬たちのお墓もあるし、離れたくなかったのだけれど……」
「そんな時に、他の吸血鬼に誘われたと」
「……そうよ。女好きな悪い領主がいるから、魅了してもっと良い場所にしようって。吸血鬼にも人にも暮らしやすい場所にしようって言われたわ。怪しいとは思ったけど、そう悪い案だとは思わなかった。実際に街を歩いていたら、みんなこの犬の悪口を色々言っていたし、街中で女性に頬を張られる姿も何度か見たわ」
ハルカたちがゲパルトの方を見つめていると、他の元犬たちからも小さく声が上がる。
「確かに領主様っていつも女性と遊んでたよな」
「しかも他の女性と同じ時間に約束したりして叩かれてたし」
「人妻にも手を出してたぞ」
「街は守ってくれるけど、領民としてはそりゃなぁ」
本人を前にしても領民が悪口を堂々と言えるのは親しみやすさの表れでもある。しかし、あまりに度が過ぎていたということなのだろう。
全員の視線を浴びたゲパルトは何も反応せず静かに目を閉じた。ただの逃避である。
「この犬以外には、本人が本気で帰りたいという意思があれば帰れるくらいの魅了しか掛けてないわ。だから、本気で帰りたければ帰れたはず。それなのに一向に帰ろうとしないから、この子たちはちゃんと私のことが好きなんだと思っていたの」
元犬たちの反応は見るまでもない。
「毎晩血を吸ってちゃんと魅了していたのは、この悪い領主の犬くらい。それでもたまに言うこと聞かなかったけど……。……私、もう悪いことしないわ。知らない人の誘いにももう乗らない」
懇願するような顔でハルカの方を見つめるのはカーミラだけではない。元犬たちからも同様に、許してやってほしいという視線を向けられている。
「でもなぁ、やっちまったことの首謀者って考えるとやっぱ殺すべきなんだよなぁ」
「犬……。私のこと恨んでるのね」
「誰か俺の知らないうちに、この首持って帰ってくれねぇかなぁ。……礼はするぜ。今回の件で、まー、前ほど好き勝手はできなくなるだろうけどよ。っつーかあんたら、どこからの手のものだ?」
「一応陛下とデルマン侯爵でしょうか?」
「かーっ! デル侯かよ、こりゃやべぇ、ふっかけられるぞぉ……。くそ、カーミラ、このまま俺のこと魅了しなおして一緒に逃げねぇか?」
「嫌よ! お前は言うこと聞かないし、私はもう悪いことはしないって決めたのよ! まだ死にたくないわ。ね、ほら、ちゃんと断ったわよ、私」
話を聞いているうちに段々と、ゲパルト辺境伯の問題の方が大きいような気がしてくるから不思議だ。これがカーミラを助けるためなのか、それとも素でこういう人物なのか。
どちらにしても、どうやらカーミラを自分たちが引き取らなければならなさそうな雰囲気を、ハルカはひしひしと感じ始めていた。