吸血鬼の分布
「なんで……なんでこんな酷いことするのよ! ねぇ!」
自力で動くことの叶わないカーミラは目だけを動かしてハルカたちに訴えかける。
ハルカはゲパルトの足を抱えたまま上半身を起こす。「いってぇ」と声がして、治癒魔法を使おうとしたが、まだ操られている可能性も考慮して思い留まった。
謝罪だけをして、自分たちがなぜここにきて、なぜ吸血鬼を退治しに来たかを考える。死の瀬戸際だから当然なのだが、カーミラの訴えが、あまりに必死で考えざるを得なかった。
誰かを喰らい、人の心を操り、世の中を乱したのだ。罰が下るのは当然だ。秩序を取り戻すために排除されるのも当たり前だ。
「やだやだやだやだ、死にたくない。私何も悪いことしてないもん」
「なんやこいつ、まるで子供やないか……、やり辛いわ」
一番近くにいたベティが顔を顰めて柱に寄りかかると、抜き身の剣を持ったままのイーストンが黙って歩き出し、カーミラの倒れている体に近寄る。
「やめて!! やめてよ!!! 助けて! 犬ぅ、助けてよぉ」
「うるせぇな、やめろよ! 血を吸って殺したんだろ! この街で何百人も行方不明になってんだぞ!?」
「殺してない……私は殺してない!! 飼ってただけだもん!!!」
首だけの女性が訴え続けるのに耐えられなくなったのか、アルベルトが怒鳴り返すとカーミラはぼろぼろと涙を流す。
仰向けに寝転がったままのゲパルトが躊躇いがちに声を上げた。
「負けた俺が話して何の証拠になるかわからねぇけどよぉ。俺、そいつの言葉に従っている間の記憶、あるんだよな。わかんないぜ、これが正しいのかどうか。でもそいつ、ずっとこの城の中で俺たちの世話してただけだぜ」
「……まだ操られてんじゃねぇの? 話になんねぇよ」
「まぁ、そうなるわな」
アルベルトが吐き捨てると、ゲパルトも目を閉じてため息をついた。
「でも、攫われた人全員が生きてるわけじゃないでしょ。君がここの領主を魅了して君臨したことによって、失われた命が確かにあったはずだよ。だから死ぬんだ、君は」
「知らない、私、犬は皆守ったもの! あいつらが勝手に食べようとした犬も守ったし、餌もあげたし、ちゃんと世話もしたわ!」
なおも言い返すカーミラに、イーストンは言葉を失って首を振った。これ以上問答しても意味がないと思ったのか首を振る。
「ぐぅ!」
だんっ、と音がして呻き声が上がる。そちらに目を向けると、コリンが片腕しかない吸血鬼の背中に乗って残った腕をへし折っていた。
「こいつ、ユーリのこと狙ってきてた」
「くそ、くそくそくそ!! カーミラ! 何を負けている! 長命のくせに魅了することしか能のないあほめ!」
「うるさい、馬鹿! あんたこそ言うことは聞かないし、うちの犬に勝手に手を出すあほよ! 嫌い嫌い嫌い! こんなことなら森から出てこなければよかった!! あんたなんか死ねばいいのよ!!」
「お前が餌を狩る許可を出さないから、これしか仲間を集められなかったのだ! あほが、何が犬だ! 餌を後生大事に世話して、挙句この様ではないか!!」
言い争いの間をモンタナが静かに歩き、コリンが押さえ込んでいる吸血鬼の心臓に剣の切っ先を突き付ける。
「正直に話している間殺さないです」
「結局殺すのだろう、何も話すものか」
モンタナが無言で剣をじりじりと差し込んでいくと、吸血鬼は慌てたように声を上げた。
「待て! 何が知りたい!」
何も話さないというのはポーズでしかなかったようだ。ほんの少しでも時間を稼ぎ、助かる道を模索しているということなのだろう。
「この街に他の吸血鬼はいるです?」
「ああ、どうだったか……」
考えるそぶりを見せた吸血鬼の体に、さらに剣が深く刺し込まれる。
「いない!!」
「次はないです。では、街の外に協力者いるですか?」
「いる」
「吸血鬼です?」
「そうだ」
「どこに?」
「南方大陸の東海岸沿い、グロッサ帝国領エトニア王国」
「全員そこの所属です?」
「……カーミラだけは違う。力の強い吸血鬼がいると聞いて、声をかけて連れてきた」
「何のためですか?」
「要所を押さえるのに、意志の強い相手でも魅了できるだけの吸血鬼が必要だった。失敗すれば撤退すればいいだけだった。……こんなに扱いにくい奴だとは思わなかったがな」
「グロッサ帝国とエトニア王国について知ってること全部話すです」
「エトニアは早々にグロッサ帝国に下り、食料や兵士を供給している。これはもう数百年前からだ。数十年前、我々の宗主はエトニアを支配することに成功した。忌々しいことに人間の数は多い。グロッサ帝国はエトニアが我々の手の中にあることを知らない。……我々の言うことを聞いていれば! ここもそうなるはずだったのだ!! このあほがあれも嫌だこれも嫌だと言ってさえこなければ、こんなことには!! あ……」
カツン、と音がして吸血鬼の声が途切れる。モンタナの剣の切っ先が地面をついた音だった。怒りに顔を歪めた片腕の吸血鬼の体が、さらさらと砂に変わっていく。
砂の山からヴァンパイアルビーが転げ落ちると、カーミラはついに哀願する。
「嫌だ、私はまだ死にたくない……。殺さないでよ、死にたくない。悪いことしないから、森に帰るから、もう出てこない、犬も飼わないから……」
カーミラがそう言った直後、障壁で塞いだドアの一つから、ざわめきが聞こえてくる。「開かない」とか「どうなってるんだ」とか、状況を理解できていないような声だ。
しばらくすると体当たりをするような音がしてきて、ハルカたちは顔を見合わす。
「えーっと……、吸血鬼はもういないはずだから、障壁外してもいいんじゃないかな?」
コリンの提案に頷き壁に張った障壁を解除すると、扉に体当たりをしていた人物を先頭に、男性が幾人も雪崩出てきた。
ぼろぼろの謁見の間に驚きつつも、辺りを見まわした男たちは、カーミラの首だけになった姿を見て悲鳴を上げる。
「ああ! カーミラ様が!! なんてひどい姿に!! ……ん? カーミラ、様?」
口々に叫び声をあげてから、自分の言葉に疑問を覚えたのか首をかしげる人々。そのうちの一人が恐る恐るハルカたちに声をかける。
「あ、あの、これはいったい、どういうことなのでしょう?」
「犬ぅ、助けてよぉ」
「ぎゃあああああ、く、首が、カーミラ様の首がしゃべった!!!」
「なんで逃げるのよぉ!」
再び一斉に悲鳴を上げた男たちは、腰を抜かして後ずさりを始める。
イーストンは大きなため息をついて、カーミラの首に問いかけた。
「あれが君に魅了された人たち? 何人いるの?」
「十七人よ。夜の街を歩いてたら私に声をかけてきたから犬にしてあげたの。私、たくさんの犬に囲まれて暮らすのが夢だったの。この三年間、とても楽しかったわ。……あ、で、でももう森に帰るから、お願い、殺さないで……」
「ちょっと……、考えさせて」
思っていたのと違う状況に、ついにイーストンもためらいが出てしまったのか、頭を押さえて首を横に振った。