一蹴
夜の店を抜けて普通の商店街に出ると、思った以上に普通に賑わっていた。
数百人が行方不明になっているはずなのだが、それが恐ろしくないのだろうかとハルカは思う。一千万人以上が暮らす東京での数百人ではない。精々数万人から十数万人の都市内での数百人だ。
しばらくの間、行き交う商人や町の人々を眺め、耳をそばだててハルカは思った。彼らは恐れていないわけではない。恐れていようが、異変に気付いていようが、この街で暮らしていくしかないのだ。
街を出て新しい町でうまくやっていけるかどうかが分からない以上、自分がその数百人の犠牲にならないことを祈りながら、この街で一生懸命に生きるしかないのだ。
やがて城にたどり着くと、その門の前にはたくさんの人が列を作っていた。何かを決意したような顔や、暗い顔をしている者が多く、きっとそれが行方不明者関係の陳情をしに来た者たちなのであろうと察しがつく。
この街の中は、一見ごく普通の日常が送られているように思える。しかしよくよく目を凝らしてみれば、あちこちに綻びが出来始めているのが分かった。
城の周りをぐるりと回り、人気のない場所へ来ると、ハルカが透明な階段をかける。急いで上がり塀の中へ入って、計画通り裏口から侵入を試みる。
中にはきっと普通に働いている人もいるはずだが、姿を見つけ次第意識を奪い進む必要がある。誰が味方で誰が敵なのか判別している時間はない。
兵士や吸血鬼を処理しながら、まっすぐ辺境伯がいるはずの場所へ向かい、身柄を確保してから城に散らばる吸血鬼たちを狩る。
狩り逃した吸血鬼がいたとしても、もし辺境伯さえ正気に戻れば、そこからどうにでも対応できるだろうというのが、デルマン侯爵やベティの判断だ。女癖は悪いが、それ以外においては信頼のおける人物であるらしい。
ハルカたちにとってはやや疑わしい情報だったが、よく知っている人物たちがそういうのだから従わざるを得ない。
城の中を駆ける。
昨晩のうちに城内の見取り図は頭に叩き込んであった。
巡回する兵士が角を曲がってこちらを認識した直後、兵士の頭を水の塊が飲み込んだ。
その場に倒れ込んで暴れる兵士たちを飛び越え、ハルカたちは止まらずに進む。街で散々使い込んだおかげで、人が意識を飛ばすまでの時間、後遺症が残らないだけの加減をハルカは不本意ながら熟知していた。
十数秒ほど走り魔法を解除する。もし意識があったとしてもすぐには追いかけてこれないはずだ。行く手を阻まれなければそれで十分なので、必要以上に長く魔法を維持したりはしない。
五組の兵士を水に閉じ込めたハルカたちがさらに先へ進むと、三人の男性が廊下でたむろしているのが見えた。兵士の格好はしていない。
そのうちの片腕がない男が、イーストンとハルカの顔を見てぎょっと目を見開き「逃げろ、全員起こせ!」と叫んですぐさま踵を返した。
一方でその場に残ったのは黒髪に赤い瞳を持った男性二人だ。整った表情をゆがめて、逃げ出した男を見て馬鹿にする。
「たったこれだけの侵入者に何を臆すのか」
「口ばかりの臆病者め、そんなだから片腕を失うのだ」
逃げた男を見送ってせせら笑い、ハルカたちに向き直った時には、既に目の前にモンタナとベティが迫っている。
モンタナの短剣がその射程外から突き出されると、魔素で作り出された不可視の剣先が左に立っていた男の心臓を的確に貫いた。男は口からドプリと血を吐き、なにも理解できぬままゆっくりと手を伸ばしたかと思うと、その体が足元から砂に変わっていく。
ざらりと崩れゆく仲間の体を見て、もう一人は驚き、慌てて自身の剣を引き抜いた。
直後、一歩遅れて間合いに入ったベティの刀が閃く。男の体に一本の線が入り、振り切られた刀の切っ先からわずかに血が飛ぶ。白い壁に飛んだその血は、そこに小さな華をいくつか舞い散らせた。
体がずれ始めると、その男も見る間に砂にかわっていき、やがて廊下に残ったのは、わずかな装備と装飾品、それから真っ赤な宝石だけになった。
「先に行くよ」
灰を乗り越えたイーストンが走り出すと、ハルカたちもそれに続く。
「ほ、ほんまに一撃やんか。不意打ちで心臓、間違ってなかったんやな」
「嘘ついても意味ないでしょ」
「いや、疑ってたとかやないねん、感動してるだけや」
「あ、そう」
イーストンとベティがやり取りしている間に、コリンは砂を乗り越えながらさっと手を伸ばして二つの赤い宝石をポーチの中に放り込む。
ヴァンパイアルビーだ。
最後尾を走っていたハルカは、ちゃっかりしているなぁと一瞬そちらに目を奪われたが、すぐに逃げ出した吸血鬼の方に意識を向かわせる。ハルカもよく覚えている。さっき一目散に逃げだしたのは、イーストンと初めて共闘したときの相手だ。
向かう先で大きな声が聞こえて、しばらくすると城内に非常態勢を知らせる鐘が鳴る。今の時間謁見の間にいるはずの辺境伯の元へ向かっていたが、こうなると逃げ出している可能性もあると考えたモンタナが尋ねる。
「どうするです?」
「予定通り謁見の間に。さっき逃げたのはともかく、吸血鬼はプライドが高いから、人間相手に逃げ出したりは普通しないよ」
短いモンタナの言葉の意図を理解したイーストンは、吸血鬼の習性のようなものから、その場にとどまると判断した。その判断が吉と出るか凶と出るかはわからないが、今はそれを信じてまっすぐに進むしかなかった。