夜が明ける
「それにしても、今日来たばかりなのに、明日には作戦実行できるものなんですね」
「随分前から準備だけはしとったからな。うちがこの街の様子を疑い出した頃に、エレクトラムから諜報員が入ってくるようになってな。諸々の事情が重なったせいで、吸血鬼たちの警戒心があがってしまったんや。たくさん送り込んだ諜報員が殺されて、動くんが難しくなったエレクトラムが頼ったのが、凄腕の冒険者のうちだったってわけや」
つまるところ、元々ベティはデルマン侯爵の手のものではなく、この件に関して手を貸している外部の戦力ということになる。
どうりで諜報員らしき人物が他に現れないわけである。
「エレクトラムからの諜報員に知らせる必要は?」
「さっき姉さんらに明日休むって言いに行った時、ついでに伝えたで」
「えーっと、……それだけで済むんですか? なんか、準備とか……?」
ハルカの想像する諜報員というのは、忍者であったり、英国のナンバーエージェントみたいな凄腕の人物たちだ。自分たちが作戦を決行する裏で何か重要なことをするに違いないと思い込んでいる。
「あんなぁ、諜報員なんて情報収集するのが仕事やで? 目立ってどうするんや。今回の作戦が失敗したかて、あちらさんは次に備えてこの街に残らなあかん。目立つ動きをするのはうちらだけや」
「はぁ……、そういうものですか」
「はぁてあんた、ほんまに気が抜けるなぁ。そもそも作戦の要は数やない、質や。数でなんとかなるんやったら軍できた方が早いやんか」
「軍で来た場合は双方の被害が増えますものね」
「せや。そのために精鋭のあんたらが応援によこされたんちゃうんか? 全員が一対一以上の不利な状態で吸血鬼を制圧できな意味ないんや。足を引っ張る奴はいらん。子供連れてるからなんて言い訳する気なら、最初から留守番しとったほうがええで?」
気楽な話口調とは打って変わって、ハルカを追い詰めるような強い物言いだ。面食らって黙り込んだハルカだったが、それだけ彼女も真剣な証なのだろうと考えて、自分に気合いを入れ直す。
「……言い訳はしませんし、足も引っ張りません」
ハルカがまじめな顔をして答えると、今度はベティの方が気圧されて数度瞬きをした。ハルカの整った顔で強く言い切られると、妙な迫力がある。
「なんや、その、わかればええんやけど……」
「……妙に心配してるから一応教えておくけど、僕たちの中ではハルカさんが一番強いよ」
「……ほんまかいな」
「あ、いえ、それはちょっと語弊があるというか」
「ねぇよ」
「ないです」
「ないわよ」
部屋のあちこちから否定が飛んできて、ベティが目を丸くした。
「……なんや、満場一致やな。ま、ええわ、とにかく明日は頼むで。これ以上ずるずるやってると、うちの姉さんらにも犠牲が出るかもしれへん。命をかけるに値する好機ってやつや。ほな、うちは寝る。特別用がない限り起こさんといてや」
椅子に寄りかかってうとうとしていたベティは、きちんと床に寝転がって休む。ここから出て自室で休むという選択肢はないらしい。
前向きに考えれば、いつでも動けるように一緒にいるのだろう。後ろ向きに考えるのならば、ハルカたちのことを信じきれてないというところか。
すっかり夜も更けてきてしまったので、ハルカたちもソファや床に適当に寝転がって休むことにする。
そんな中、イーストンだけが、椅子に座ったまま、曇りガラスを見つめていた。
吸血鬼との混血だと知ってなお、ほんの少しの疑いも向けてこない気持ちのいい冒険者たちのために、いったい何ができるのか。
最も頭の回る深い夜の時間に、イーストンは一人じっくりと考えを巡らせる。
しかしどんな展開を想像しても、それほどひどい状態になることはなくて、イーストンは少し驚いていた。いつの間にかハルカたちの実力と人柄を、随分と信頼している自分に気がつく。
どうせ戦いが始まってしまったら、その都度判断することばかりなのだ。
あまりに想定しすぎていても、予想外の事態が起こるとかえって足を引っ張ることになりかねない。
イーストンは頬杖をついて、目を閉じるハルカたちを見ながら、誰にも聞こえないようなつぶやきを吐いた。
「冒険者かぁ……」
小さな音が夜の中に吸い込まれて消える。誰にも聞き取られなかったその言葉だが、イーストンの気持ちはほんの少し揺らぎ始めていた。
日が完全にのぼり、世間が騒がしくなってくる時間帯に、ハルカたちは準備を終えた。
どこにでもいそうな冒険者の装い。フードを被った怪しい人物が二人いるが、その女性の腕の中には可愛らしい子供が抱かれている。
ちょっと想像力を働かせれば、高貴な夫婦が旅行で冒険者の護衛を連れて歩いているように見えるだろう。
とても、今から城に乗り込んで大暴れをしようという面々には見えない。
いざ出発と外に出ようとすると、後ろから女性の声がかかる。
「ベティ、気をつけてね」
「あ、姉さん、なんや気をつけてなんてぇ。遊びに行くだけやんか」
「何年もいて、一度も一人でこの店から離れたことのなかったあなたが、他所から来た知らない人と遊びに行くんだもの。気をつけてっていうのは変かしら?」
美しい女性は、眠そうな目を擦りながら小首をかしげる。子供のような仕草なのにやけに色っぽくて、朝に見るには目の毒になりそうだ。
「……心配せんでも大丈夫や。うちは【血華】のベティさんやで」
「騙されて店に売られそうになるような子は、いくら腕が立っても心配なのよねぇ」
「姉さん!?」
「うちの大事な用心棒ちゃんなんです。皆さん、よろしくお願いします」
抗議するようなベティの声を無視して、その女性は優雅に、艶やかに頭を下げた。
「おう」
変な顔をして短く返事をしたのはアルベルトだった。鼻の下が伸びていないのがアルベルトのいいところだ。並の男だったらすっかり色気に参っているところだろう。なんなら「わぁあ、すっごい美人……」と呟いているコリンが一番反応がいい。
「ったく、姉さんはもう、まったく。……ほなもう行くで!」
さっさと先を歩き出したベティに、ハルカたちは続く。
最後尾でユーリを抱えたハルカが、ほーっと息を吐いて感心したようにつぶやく。
「綺麗な人でしたねぇ」
「ママも綺麗」
すかさず返したユーリに、ハルカは返答に少し悩みながら、背中をポンポンと叩いてやる。照れたわけではないが、将来プレイボーイになりそうなユーリのことが少し心配だった。
「ありがとうございます。でも女の人を褒めすぎると勘違いされちゃいますからね、簡単に言っちゃダメですよ。ここぞって時に言うようにしましょう」
ユーリは大きくうなずいて、ハルカの目を見て答える。
「ん、ママだけにいう」
「あー……、難しいのでこの話はまた今度にしましょうか」
ややこしいことになりそうだと悟ったハルカは、早々に問題を横に避けて、これからの作戦に集中することにした。