言わなくてもいいこと
「あなた方は国お抱えの冒険者にでもなったんですか?」
「いえ、そういうわけではありません。ただ、依頼として動いているだけです」
しばらくの間各地のことや、魔法のことを話した後、ジルが唐突に尋ねてきた。
彼がそう思うのも当然のことだったが、ハルカとしてはそうでないことをしっかり答えなければいけないと思っていた。
周囲にそう認識されてしまうことは、冒険者として自由に生きていくつもりの自分たちにとって枷になりかねない。
同時に何かあった時に、エリザヴェータに迷惑をかけてしまう可能性もあった。
雑談程度のつもりだったのだろう。ハルカの返答をさほど気にせずにジルは続ける。
「それなら普通は配下のものに頼みそうなものですが。王国の不穏な噂は事実のようですな。これだけ広い国土を持っていると、なかなか管理も行き届かないんでしょう。王や領主というのは得るものの割に苦労が多い。その割には権力を欲しがるものが多いのは不思議ですな」
つい最近、望まぬうちに王様の身分を手に入れてしまったハルカには耳に痛い話だった。別になりたくてなったわけでない場合もある。
エリザヴェータにしても長子相続が決まっていたから、当たり前のように女王の座に収まっているが、平民に生まれていれば別の人生を歩んだ可能性が高いだろう。
「ならざるを得なかった人もいるでしょうね」
「確かに。しかしうちのデルマン侯爵については、この身分に御執心のようですな。その分仕事はきちんとこなすし、自分に従うものにはきちんと利を与える。あれはあれで権力者に向いているのかもしれません」
「街は繁栄していますものね」
「逆に領主に向いていない領主、なんてのもおりますな。あなた方はどんな人がそうだと思いますか?」
ジルにしてみれば本当に雑談なのかもしれないけれど、妙に現実に沿った話をするせいで、何かを試されているような気になってくる。
見た目も相まって、ハルカは教授か何かと問答をしているような、嫌な緊張感を覚えていた。
「利益を溜め込むだけの人かなー」
「街を守れねーやつ」
同じテーブルについていたコリンとアルベルトが、端的に答える。イーストンはユーリとナギのそばでのんびりしていて、モンタナは一人で小さな赤い宝石を磨いている。二人は退屈凌ぎであっても他人との雑談を好むタイプでないので、そんなものだろう。
「ふむ、なるほど。私はですな、領民を食糧だと思っているような領主はごめんですな」
イーストンの方を真っ直ぐ見つめてジルが言い放つ。妙な雰囲気にアルベルトの目つきが剣呑なものになった。
「何か言いてぇことでもあんのか?」
「いえ、私からは特に何も? ちょっと思い出したことがあっただけです。そういえばあの竜、以前ここに寄った後に大竜峰で卵でも拾いましたか?」
「ええ、その通りです」
「見たところ大型飛竜ですが、当時のあなた方ではなかなか苦戦したのでは? よく生きて帰りましたね」
「あー……、確かに大型飛竜は強かったよな。でも真竜が出てきて、それどころじゃなくなったけどな」
「真竜? 私は何度かあの山に登っていますが、いまだに遭ったことがありません。ノクト殿に師事していることといい、真竜のことといい、あなた方は冒険者として恵まれていますな。素直に羨ましい」
ハルカは話を聞きながら、主にトラブルが舞い込んでくることが多いだけだと思ったが、確かにそれによって得たものもたくさんあることに気がつく。
「私もそろそろ研究と後進の育成ばかりにかまけていないで、また冒険に出るべきか……」
ジルが顎に手を当てて考え始めたところで、一人の兵士が息を切らせて走ってきた。
城への着陸許可が下りたハルカたちは、すぐに準備をしてナギの背に乗り込む。
「私も同乗させてもらっても?」
「ええ、どうぞ。降りる場所を教えていただけると助かります」
最後にナギの背に乗り込んだジルは、飛び上がった後も平静を保って、楽しそうに街を見下ろしていた。
わずかな空の旅だったが、城の庭に降りてからジルはやや興奮した様子で一言。
「ふむ、私も今度中型飛竜の卵を取ってこよう。これはとても良い。敷地内に竜のための小屋を作るか。ハルカさん、竜は何を食べる? やはり肉かな?」
「え、ええ。多分そのはずですよ」
「ふーむ……、そのうち飛竜便の商会でも訪ねてみることにしよう。ああ、案内をするからついてきたまえ」
「そういえば、先ほどあの竜は翼を羽ばたかせていなかったな。魔素の流れを感じたから、何かしらの魔法を使っているということになる。……ふむ、どうして今まで研究をしてこなかったのだ」
考えながら歩くジルは、初老にしては非常に早足だ。ユーリでは追いつけそうにないので、途中でイーストンが抱き上げて歩く。
ブツブツと呟きながら歩くジルは、どちらかといえば不審者であったが、場内の兵士たちは通りすがりに頭を下げてその歩みを止めることはなかった。
おそらくそれほど珍しい光景ではないのだろう。
赤絨毯が敷かれた豪奢な廊下を歩き、細かな彫刻がなされた扉の前に止まったジルは、ノッカーで音を立てながらも独り言を続ける。
「誰だ」
中からの問いかけにジルは答えないが、ややあってからドアが勝手に開く。メイド服を着た女性が開けてくれたドアをなんの悪びれもなくくぐったジルに、部屋の主人は大きなため息をついた。
「おい、尋ねたら名乗るくらいしろ」
「失礼、ちょっと今は話しかけないでいただきたい」
「…………部屋から出ていけ、私はそこの冒険者たちと話す。お前に用はない」
「それは重畳。では、何かあっても私のせいにはしないようお願いいたします」
「わかったから出ていけ」
虫でも追い払うかのように手を動かしたデルマン侯爵は、その次に扉を開けた女性に声をかける。
「客人に茶を出せ。その後はお前も少し休憩しろ。一時間は戻らなくていいぞ」
静かに頭を下げた女性は、そのまま扉をくぐり、ハルカたちにも軽く会釈をして部屋を離れた。
「いつまで突っ立っている? 入って扉を閉めろ。適当に座れ。お前たちに使者らしい姿勢は期待していないから、私も好きにさせてもらう。それとも女王の使者として盛大に迎え入れた方がいいか? そうなると、以前のように大広間で迎え入れることになるが」
「えーっと……、お好きになさってください。私たちは依頼を受けた冒険者でしかありませんので」
「だろうな。好きにくつろげ、じきに茶と菓子がくる」
書類に向き合ったまま、たまに視線だけをハルカたちの方に向けるデルマン侯爵の姿は、以前大広間で話した時とは少し印象が異なっていた。
以前の印象が傲慢で合理的な領主だったとするならば、今は気難しいが働き者の上司という感じだ。
侯爵は書類にサインを終えると、それを左の山へ重ねる。そうして背もたれに寄りかかり、お腹を撫でる。
「……ちょうど小腹が空いたところだった」
アルベルトの視線がそのよく出た腹に向いていることに気がついたコリンが、肘で脇腹を突く。
「……なんだよ」
「別に、なんでも」
使者らしい態度は期待しないと言われてもわざわざ怒らせる必要はない。何もしなければ数秒後にアルベルトが何を言い出すか、コリンにははっきりとわかっていた。