悪い姉弟子
少し遅い昼食の席には、ちゃっかりとリルの姿も見られた。
外で待っている仲間たちにも手配してくれるそうなので、ハルカも遠慮なく食事をすることができた。
華やかさや繊細な味を表現した料理は、もっぱら野趣に富んだものばかり食べているハルカの舌にはややお上品すぎたが、それでもおいしいものはおいしい。食事をしながら色々とおしゃべりをするというようなこともなく、結局本題に入ったのは全員が食事を終えた頃だった。
子爵一家の女性陣は自然体で食事をしていたが、男性陣はかなりの緊張が見られる。何かを失敗したわけではなかったけれど、息子に関しては若干手の震えまで見られた。
女王と少人数での会食など、子爵位の貴族にとってはありえない出来事なのだから仕方がない。
汚れてもない口元をナプキンで拭いたエリザヴェータは、場の様子を眺めて「さて」と呟き注目を集める。
「まず初めに、イングラム子爵よ。その方を襲うよう指示を出したのは、恐らく私の叔父であるマグナス公爵だ。目的は、地方の貴族の近親者を攫い、きたる戦いに備えること。その方の妻はデルマン侯爵の娘であったな。妻と子を押さえることで、その方とデルマンの両方に圧力をかけるつもりであったのだろうよ」
エリザヴェータは難しい顔をして考える子爵をよそに、ハルカの方を一瞥すると、右腕をテーブルの上に持ち上げて、手の先を向けてくる。
「そこを、偶然私の友人であり、以前から国内の様子を探るよう頼んでいた特級冒険者であるハルカが通りかかった。運が良かったな、子爵よ」
ありもしない頼みを勝手に作り子爵に恩を売るエリザヴェータ。ハルカから言いたいことは色々とあったが、今は彼女の作った場であることを考慮して黙り込む。悪いようにはしないだろうと思っているからこそだったが、あまりに酷い嘘をつくようだったら、流石に抗議するつもりだ。
「依頼の一環として、ハルカには私の方から報酬を支払っておこう」
「い、いえ、それは私の方から……」
「私が……」
上げていた腕をテーブルの上に下ろし、爪を天板にぶつけてカツンと音を立てる。
「支払うと言っているのだが」
「……仰せのままに」
唾を呑んで頭を下げた子爵に、エリザヴェータは笑みを浮かべる。
「そう緊張するな。子爵とその家族は私が守ってやろう。何、大事なこちら側の貴族を、むざむざと攫わせたりはしない。そうであろう?」
話を振られたリルが大きく頷き「お任せください」と低い威厳のある声で答えた。
「ところで、子爵の領地では質の高い宝石がたくさん採れるとか?」
「……はっ、よくご存じで」
「エレクトラムとネアクアに卸す価格の間に、随分差があるようだな」
「ゆ、輸送費などの、問題で……」
「そうだ、そうだろうなと思い、輸送距離とリスクで、その値段の差を計算をしたことがあるのだ。随分と前のことだから詳しくは覚えていないが、当然、適切な価格にしてくれていたのだろう。そうでなければ、おかしいものなぁ。イングラム子爵よ、その道程は余程リスクが高いのだろう? 例えば、恐ろしい賊に襲われるとかなぁ?」
一瞬チラリと自分に向けられた視線にハルカは疑問を覚える。しかし子爵がこちらに目を向けごくりと唾を呑み表情を歪めたのが目に入ると、そこで初めて言外に利用されていることに気がついた。
抗議しようかと思った時には、もうエリザヴェータは次の言葉を紡いでいた。
「……私は、貴様が、今後も適正な価格でやり取りを続けることに期待しているぞ。努々忘れるな」
「は、はい、今後ともどうぞよろしくお願いいたします」
「わかったなら良い、下がれ。ブロッケン、案内してやれ」
聞きなれない名前が呼ばれ、リルが立ち上がる。どうやらブロッケンというのが、あの姿の時のリルの名前らしい。そのまま部屋から連れ出されていく子爵一家を、ハルカは黙って見送ることしかできなかった。
扉が閉まるとその場はしんと静まり返り、廊下や外から何も音が聞こえてこなくなる。随分と遮音性に気を使っているのようだ。
「……私たちを勝手に利用しましたね?」
「私の配下である子爵の懐を案じて、支払いを私が代わりに持ってやるだけだ」
「私はリーサの依頼を受けて王国を見て廻っていたわけではありません」
「ああでも言わないと、支払いを代わるのに不自然であろう」
「宝石の卸値を下げないと、私たちに襲われるというように伝えましたよね?」
「まさか。適正な価格で販売するように期待しただけだ。あの時ハルカの方を見たのは、不埒な賊が現れたとしても、今回のようにハルカたちがいれば安心だろうなと思ったからだ」
ハルカがじっとエリザヴェータを見ていると、ややあってからエリザヴェータは声を出して笑い始めた。
「ふふ、ははは、なぁ、コリン、モンタナよ。ハルカはノクトじいの弟子なのだろう? なぜこんなに純真に怒っておるのだ? もしやじいは私が知らぬうちにとても性格が良くなったのか?」
「性格悪いです」
「ふはは、だろう? 私はじいから、使えるものは全部使って生き残れと教わったぞ? ハルカはそう教わっていないのか?」
「ハルカがノクトさんと会ったのは、もう大人になってからですから」
「大人ならもうちょっと融通が利きそうなものだが。まぁ、そう怒るな。私は子爵一家の安全を確保し、ハルカ達の支払いを肩代わりして、宝石を適正価格で販売するように言っただけだ。誰か損をしたか? 悪いことはあったか?」
「それは……」
相談もなく立場を利用されたことに怒っているのか、それとも子爵を追い詰めるやり方が気に食わなかったのか、ハルカもよくわからなくなってしまって言葉に詰まる。
エリザヴェータは大げさに手を振って苦笑する。
「わかったわかった。ああいうことも今後はしなければいいんだろう。本当に手のかかる幼子のような妹弟子だな。生きるのに苦労するぞ。それで依頼の話をしてもいいか?」
「はい、大丈夫です」
納得いかずに押し黙っているうちに、エリザヴェータとコリンの間で依頼の話が始まってしまう。
その内容は二つだ。
エリザヴェータからの手紙を各地に届けること。
上記をこなしつつ、各地で多発している貴族攫いの事件をできるだけ未然に防ぎ、実行犯を突き止めて潰せるのなら潰すこと。
ハルカの倫理観にも反していない、断りづらい依頼だった。
相変わらず納得のいっていないハルカを見て、エリザヴェータはまた笑う。
「いつまで拗ねているんだ、本当に子どものようだぞ。……この依頼に関しては他に頼む当てがないのだ」
突然まじめなトーンになったエリザヴェータに、ハルカも意識が切り替わる。
「これから内戦を起こすのだ。始まってしまえば攫われたものたちの命もどうなるかわからん。取り戻せていなければ、やむを得ずにあちらに寝返るものも出るかもしれん。余計な犠牲を増やしたくないのだ」
「戦いは、避けられませんか?」
ハルカが静かに尋ねると、エリザヴェータは断固とした口調で答えた。
「避けられん。この機を逃すと、更に面倒なことになる」
テーブルの上に身を乗りだしたエリザヴェータの瞳に、めらめらと燃える強い意思を見て、ハルカはそっと息を吐いた。
こんな大事に関わることになるとは思わなかった。
しかし自分が今持っている情報を照らし合わせれば、エリザヴェータに味方することが、一番犠牲が少なく、自分の大切な人たちのためになるように思えてしまう。
「わかりました」
ハルカの頷きに、エリザヴェータは「よし」と言って姿勢を戻す。
「貴族間の力関係が分かる王国の詳細な地図と、リストを持ってくる。絶対に失くすな、あと見せるなよ。絶対にだからな」
「ちょ、ちょっと、機密なら渡さないでください。私たち王国のお抱えになったわけじゃありませんよ」
「わかっている! 漏らさなければいいだけだ。漏らしたら、まぁ、専属になってもらうか」
「そんなもの渡さないでください」
「冗談だ」
「本当ですか?」
「…………」
「リーサ?」
「冗談だと言っただろう。お前をからかうのは少し面白い」
ドアの前で立ち止まったリーサは、ハルカの方を振り返ると、悪戯が成功した子供みたいににやーっと笑った。