少しずつ動き出す
コリンたちの下へ戻る道すがら、モンタナに袖を引かれてハルカは耳を傾ける。
「さっき逃げたの、前に逃げられた人かもしれないです」
逃げられたと聞いてもすぐにはピンとこない。ハルカはしばらく考えてからようやく一人、心当たりが思い浮かんだ。
「はじめて王国に入った時、不意打ちをしたのに逃げていった人がいましたね」
「あの後もしばらくついて来ていたです。二人が殺されかけていたのは、多分時間稼ぎのためです」
「……元々は目的があってつかまえていたはずですよね。意味もなく王国の貴族を襲うとは思えませんし」
「あの人たちから話を聞いて、女王様に報告すれば何かわかるかもしれないです」
「なんだか不穏ですね、王国全体が」
連れ添って歩く夫婦がいると、戻るのにも少し時間がかかる。この調子だと到着までまだまだかかりそうだ。
ハルカは魔法で地面に障壁を張り、子爵夫妻に声をかける。
「歩くと少し時間がかかりそうなので、魔法で運んでもいいですか?」
「魔法で運ぶ?」
「ええ、地面に浮いている板が見えますか? これに乗って目的地まで向かいます」
「あら、すごいわ。うちの子も学校を出たらこんな魔法が使えるようになるのかしら?」
「そうだと楽しみだな」
子爵は妻の言葉に小さく笑いながら同意して、ハルカに軽く頭を下げる。
「ぜひお願いしたい。私としても早く子供たちの無事を確認したい」
「ではどうぞ。全員が乗ったら壁を張りますが、転落防止の意図しかありませんのでお気になさらず」
全員が障壁に乗るのを確認して、ハルカは静かにそれを発進させる。気分としては車を運転しているようなものだ。最初はゆっくり。それから少しずつスピードを上げていく。
万が一歩行者にぶつかるようなことがあれば大惨事は免れないので、ハルカは僅かに高度を上げた。三メートル程の高さまで上がる途中、子爵夫人が感動したような声を漏らしたが、子爵は難しい顔をしていた。
足元の落ち着かない様子でそわそわしているように見える。一言声をかけてからにすればよかったと思ったが、今となっては余計なことを言わないようにハルカは黙っていた。
落下防止の壁は腰くらいの高さまでしか作っていない。人が走るくらいのスピードを出すと、夜風が気持ちいい。この辺りは冬になると氷点下まで気温が下がるが、流石に夏場の夜は少し汗ばむ。
飛ぶことに慣れてきて景色を眺めているジーン夫人をおいて、ウォルトは前方に目を配っているハルカの隣に並んだ。
「首元に激痛があって、意識がすぐさま無くなった。先ほどまでの私たちは死にかけていたんじゃないだろうか?」
「ええ、まぁ、首にナイフが刺さっていました」
「ハルカさん、だったか? 凄腕の魔法使いなんだな。空を飛ぶ魔法とは……」
ウォルトは言い淀んでから苦笑する。
「角が生えて竜のような尻尾と翼が生えた悪魔の昔話がこの国にはあってね。それを思い出したのだけれど、比べるのは失礼だな」
「……あぁっと、いえ、別に」
ハルカは目をそらして曖昧な返事を返すことしかできなかった。特に失礼とも思わないが、ノクトの話を聞くたびに余程酷い暴れようだったのだろうなと想像してしまう。
なんだかんだと意地悪をしながらも、人の自立を助けたり、困っている人に手を貸す今のノクトは、紆余曲折の末に形成された人格なのだろうなと考える。若い時のノクトに出会わなくてよかったともちょっと思った。
「ああ、そんな話をしたかったわけじゃないんだ。私は詳しくないが、君たちかなり強い冒険者なんだろう? 実は今回の件を国に上奏したいんだが、道中の護衛をお願いしたくてね。恨まれる心当たりはないが、わざわざ貴族を襲って子を攫おうなどと正気の沙汰とは思えない。あの場ですぐに私たちを殺さなかったということは、生かしておいて何かを知りたかったか、利用したかったということだ」
「どちらにせよ、私達は王都へ向かうつもりでした。護衛料については仲間とも相談しなければいけませんが、恐らく可能だと思います」
「そうか。全ての支払いはちゃんと行うよ。私の領地はそれなりに潤っているんだ。ジーン、目的地の変更だ。これからエレクトラムではなくネアクアに向かおう。最寄りの街についたら、取り急ぎジーンから義父上に手紙を送ってもらえるかい?」
「ネアクア! 久しぶりね。わかったわ、父さんに事情を説明すればいいのね」
「ああ。妙なことが起こっているようだからね。義父上にも警戒していただいたほうがいいだろう」
聞くつもりもないが耳に入ってくる情報に、ハルカはぼんやりと耳を傾けて考える。ウォルトにしても、自分の立ち位置や支払い能力の有無を伝えるために、あえてわかりやすく話している節があった。
ウォルトの妻ジーンは恐らくエレクトラムのデルマン侯爵の娘。自分より身分の高い侯爵の娘を嫁に貰っているということは、イングラム子爵家は何らかの事情で潤っており、デルマン侯爵の一派の中で大事に思われているということだ。
デルマン侯爵は野心のある中立派の大貴族だが、ハルカと関わった一件で、女王へ叛意がないことを表明している。
夫婦の会話だけでわかる人にはいろいろなことが分かる。会話を終えたウォルトがチラリとハルカの様子を窺ってきたのに対して、ハルカは相手に伝わるようきちんと頷いておいた。