鎧袖一触
大竜峰を出る前に、ヴァッツェゲラルドから飛竜の肉を分けてもらった。つい先日中型飛竜の牧場を見て、毎日ナギと共に過ごしているハルカとしては、とても複雑な気持ちだったが、焼いて食べてみるととてもおいしかった。
ナギも山で分けてもらって普通に食べていたようだったし、竜たちにとってはそれ程気にするようなことではないのかもしれない。
『通りかかったらまた寄るといい』
「ええ、またいずれ」
途中まで見送ってくれたヴァッツェゲラルドは、多くの言葉を交わさずにそのまま山頂へ戻っていった。ハルカ達だけだったら大型飛竜にちょっかいをかけられていただろうが、真竜が横にいるとその影すら見ることはなかった。
王都ネアクアまではまっすぐ飛んでいけば恐らく五日ほどで到着する。問題は神聖国レジオンの時のように領土の兵士に追いかけられた時だ。その懸念を仲間たちに話すとコリンが笑って答える。
「あの時はさー、謎の板が空を飛んでたから追いかけられたんじゃない?」
「竜が飛んでたら、逃げはしても追いかけてこないと思うです」
「あ、確かにそうですね」
一般人だけでなく兵士からしても、中型以上の飛竜というのはなかなか恐ろしい存在だ。足で掴まれて上空から落とされればそれだけで容易く命を奪われる。鱗によって半端な攻撃は全て弾き返されてしまうし、時にブレスを吐いてくるものすらいる。
ましてそれが大型飛竜ともなれば、わざわざ誰何してくるような物好きはいないだろう。
「飛ぶ速度も滅茶苦茶速いしな。そもそも追いかけられねぇよ」
「あー……、そう考えるとすごいですねぇ、ナギ」
ハルカが感心してそう言うと、イーストンが呆れたような顔をした。
「……大型飛竜なんだから、すごいに決まってるでしょ。ハルカさん、だいぶずれてるよ。基準が自分になってるでしょ」
「……き、気を付けます」
間に休息を挟みながら空を行くこと丸二日。日暮れ頃に王国の中心部付近までたどり着いた。念のため道の上空を飛んでいるので、たまに整備された広場を見つけることができる。
先客がいるところに降りると驚かせてしまうので、ハルカたちは誰もいないのを確認してから広場を使うようにしていた。
上空をぐるぐると何周かしてもらいながら、全員で地上を覗き込む。モンタナの「大丈夫です」の言葉を聞いてから、ナギはゆっくりと高度を下げた。
地面に降りるとすぐに枯れ枝を集めて火を作る。枝を集めるのはハルカとイーストン。かまどを作るのがコリンとアルベルト。モンタナはユーリを連れて、ナギと一緒に狩りに出かける。
特に話し合うわけでもなくばらけるのは旅慣れた仲間である証拠だ。それぞれがやることをわかっているので互いに気楽で過ごしやすい。
何事もなく夜が更けていく。
先にモンタナと二人で夜の番をして、たまにぽつりぽつりと他愛もない話をする。
モンタナは時間が空いたらまたバザーに行きたいだとか、竜の鱗で装飾品を作ってみたいだとか。
ハルカはこの世界の歴史を学ぶならどこがいいのだろうとか、ダークエルフってどんな生活をしてるのだろうとか、そんな話だ。
忙しいやり取りではなく、沈黙の多い会話だが、二人だけの会話はそんなものが多い。火を絶やさないように薪を放り込みながら、小さな声で行き帰りする会話がハルカにとっては心地よかった。
不意にモンタナの耳がピクリと動き、手元に向けられていた視線が上がる。ハルカもそれに気がつくと、薪を放り込む手を止めて耳を澄ませた。はじめのうちは何も感じなかったが、やがて馬を走らせる音が複数聞こえてくる。
「起きてください!」
ハルカはその場で声を上げて目を凝らす。背後でコリンたちがすぐさま動き出すのが分かった。
最初に暗闇から現れたのは白馬だった。その上に十代半ばくらいの少年が乗っている。腕の中には一桁の年齢であろう少女を抱えているにも関わらずしっかり馬を操っていた。
少年はまっすぐ炎に向けて馬を走らせ、ハルカ達の姿を見るやいなや叫ぶ。
「助けてください!!」
「そのまま走らせて!」
何に追われているのかも、事情も分からないが、子供二人が夜中に助けを求めているなんて異常だ。少年たちの後ろに馬上で弓を引く男が見えて、ハルカは慌ててその間に障壁を張った。
放たれた矢が弾かれ、走ってきていた馬が壁に気がつき前足を大きく上げる。弓を引くために手を放していた追手が、馬から振り落とされて地面に転がった。追いついてきた仲間たちが手綱を引いて障壁の前に馬をとめる。
少年たちを乗せた馬はハルカたちの近くまで来ると、その先に巨大な竜が伏せていることに気がつく。
白馬は先ほどの追手の馬同様に前足を上げて少年たちを振り落とし、半狂乱で闇の中へと逃げ去っていった。
近くまで来ていたイーストンが慌てて二人を受け止め呟く。
「ナギはちょっと刺激が強すぎたかもね」
ナギはべったりと顎を地面につけたまま、目だけを白馬の消えていった方へ動かした。脅かすつもりなんてさらさらなかったので、ナギにしても不本意な結果だ。イーストンは少年を脅かさないように、ナギが見えないように二人を地面に下ろす。
「ここでじっと見ているといいよ。大丈夫、みんな強いから」
そう言うとイーストンは、一人だけ武器を構えずにハルカたちの方を指さした。
コリンがギリリと弓を引き絞り、ぴたりと止まる。
「何者か、は分からないよねー」
「わかりません。その少年を追いかけてきました」
「追っ払えばいいのか?」
「です」
四人の会話を聞いて、少年が声を上げる。
「父さんと母さんが捕まってて! 助けてください」
モンタナは振り返って少年の様子を観察する。震える手と地面に汚れた服。ぐすぐすと泣いている少女。少年のまっすぐな瞳に嘘はなかった。
「追っ払わないで、全員倒して捕まえるです」
モンタナの言葉にハルカ達が頷くと、障壁の向こうから声が張り上げられた。
「その子供をこちらへよこせ。身分は明かせぬが、我らは崇高なるお方の命により参った。邪魔だてすると容赦はしない」
その言葉にアルベルトがニヤッと笑った。
「うるせぇ馬鹿ども! 夜中に子供を追いかけまわすような奴は悪者って決まってんだよ!!」
すぐに走り出したアルベルトの後をモンタナが追いかける。
後ろから放たれたコリンの矢が、二人を追い抜くのを確認しハルカは障壁をかき消した。先頭にいた追手が剣を抜き、矢を叩き落とす。
「殺せ!」
命令が飛ぶと、追手たちは一斉に馬を降りて剣を抜いた。
その四人の中心に、唐突に小さな赤い光が生まれた。見えていた者は慌てて飛びのいたが、背中を向けていた命令を出した男は反応が一瞬遅れる。
光はすぐに膨らみ、そして破裂音と共に熱をまき散らした。
その熱が男の背中を焦がし、体を吹き飛ばし地面と抱擁させると、アルベルトがわざわざその頭部を踏んづけて走り去る。
ハルカの魔法を避けることに気を取られていた追手の首に、ほんのわずかな音と共に一本の矢が生えた。陣形が乱れた隙に放たれた、コリンの二本目の矢だった。
身を低くしたモンタナが、距離を保ったまま短剣を横に振りぬくと、手前にいた追手の足首が綺麗に切り落とされる。いくつかの悲鳴が重なる中、先頭を走っていたアルベルトが大剣を大きく横に薙ぐ。
予想外に素早く鋭利に振るわれたその大剣を、追手は避けることができない。アルベルトは表情を渋くゆがめて、剣の角度を無理やり変えて、その腹を敵にたたきつける。
硬いものがぶつかり合う鈍い音がして、その追手は地面を転がり、やがて木にぶつかってその動きを止めた。
ほんの十数秒で再び静かになった森の中で、助けを求めた少年は目を見開いて息を呑んだ。