意地は張らない
大竜峰はたくさんの山が連なり、高いことよりも広いことこそがその特徴であると言える。とはいえ、その中の高い山の頂に立てば、雲は眼下に流れるようになる。
雲の中を抜けるのが初めてだったナギは幾度か不安そうに背中の仲間たちを振り返ったが、やがて意を決してその中に飛び込んだ。
雲海の上へ躍り出たナギは陽の光を浴びながら、上機嫌にまっすぐ飛び続ける。
実はハルカ達はヴァッツェゲラルドがこの大竜峰のどこに住んでいるのかをよく知らない。しかし出会えない心配はまるでしていなかった。
前回来た時、ヴァッツェゲラルドはハルカの気配を感じて向こうから現れている。だから今回もハルカが山の中に入っていけば、向こうから出迎えに来るだろうと考えていた。
ハルカ達がやることといえば、この広い空の四方に目を配って、どこからか現れるであろうヴァッツェゲラルドを見つけることくらいだ。
山をいくつか越える間に大型飛竜とすれ違うことが何度かあった。改めてよく見てみると、どの大型飛竜もナギよりは若干小さいように見えた。
威嚇するように声を上げるものや、しばらく追いかけてくるようなものもいたが、ナギは少し速度を上げるとそのどれをもあっという間に振り切った。
しばらく進むと前方の山の頂上から、空に向けて光が放たれた。いつか見た閃光にハルカは顔を顰める。彼方からすれば、その場所にいるというアピールなのかもしれないが、ハルカからするとちょっと嫌なことを思い出す光だ。
「ナギ! あの光ったとこ向かえ!」
アルが風の音にかき消されないように声を張ると、ナギも負けじと大きな声で吠えて空気を震わせた。
平らな山の頂上には雨風を凌げる洞窟のようなものが見えた。その前で動かずにじっと待っているヴァッツェゲラルドを視界に入れるとナギはガクンと進路を変える。
成長してからというもの、自分より大きな生物を見たことがなかったために驚いて逃げ出そうとしたのだ。
「ナギ! 大丈夫です、地面に降りてください」
ハルカが声をかけるとナギは心配そうに何度も振り返りながらゆっくりと降下していく。それほど広くない山頂だが、できる限りヴァッツェゲラルドから距離を取って着陸したナギは、ハルカたちが地面に降りてからもまだ不安そうにしていた。
『なんだ、また来たのか。そこの竜は、我の晩御飯候補だったものか? よう育てたのう。食料として献上しに……、冗談じゃ、やめい』
面白くもない冗談にハルカが殺気立つと、ヴァッツェゲラルドはすぐさま言葉を撤回する。
『全く短気なエルフじゃ。ろくに冗談も言えんわい』
「面白くない冗談はやめてください。ナギが怯えているでしょう」
ハルカの後ろに小さくなっているナギを撫でながらハルカは抗議する。図体が大きいので全く隠れられていないのだが、ナギはハルカが自分のことを守ってくれると思っているらしい。
『ナギと名付けたか。そもそも元から食らおうとしていたのは冗談じゃ。生命力に満ちた卵であったからの。我が育ててやろうと奪ってきたものを譲ってやったのだ。大事にされているようで安心じゃな』
ふっふっふとヴァッツェゲラルドは笑っているが、ハルカはちっともおかしくない。じっとりとした目つきで見つめていると、それに気がついたのか真竜は大きく鼻息を吐いた。
『それで、何しにきたんじゃ。また卵でも欲しくなったのか? 今はいいのを持っておらんぞ』
「退屈だって言ってたので、通り際に寄り道したんですよー」
『ほう、殊勝なことじゃの。ではゆるりとしていくがいい。……さっきの様子だとナギは群れのボスをエルフ娘だと思っているようだのう』
「ボスですか?」
『うむ。大型飛竜は成長する過程で、群れのボスに戦いを挑む習性がある。負ければ傘下に収まり、危険が近づけば群れのボスに頼るのだ。自分より弱いものには従わないのが当然じゃからな』
ハルカは記憶を遡ってみるが、これまでナギから勝負を挑まれた覚えはない。戯れて噛みつこうとしてきたのを叱ったことはあったが、まさかあれがと思う。
しかしよく考えてみれば、あの時点でナギは既にハルカたちより体が大きくなっていたし、その牙や爪も十分に人を殺傷しうるほどには鋭かった。
「ってことはー……。大型飛竜より強くないと、一緒に暮らすのって難しいってこと?」
『群れの長に大型飛竜を迎えるのであれば、難しくはないぞ』
しばしの沈黙の後にハルカは口を開く。
「そういうことは先に言ってください……。大事になったらどうするんですか」
『お主のような強者がおって大事になるわけなかろう。実際なっておらん』
「それは……、そうですが……」
『ならよかろう。ほれ、人里の瑣末な話を聞かせよ。我の退屈を慰撫するためにきたのであろう?』
相変わらずその図体と同じくらいに態度の大きな真竜は、その場に伏せてハルカ達が話し出すのをじっと待つ。
ナギよりもさらに大きな竜であったが、そうしていると見た目はナギと大して変わらない。竜と暮らすことにすっかり慣れた仲間達は、さっさと一晩泊まるための準備をしながら代わる代わるヴァッツェゲラルドに人里の話をしてやるのであった。
ナギは終始ヴァッツェゲラルドと距離をとっていたが、ユーリは違った。
ハルカに抱かれたままずっとその巨体に目を輝かせている。ハルカもそれに気づいており、やがて苦手意識をほんの少しだけ改める。
ハルカだって魔法や竜のいる世界に憧れていたのだ。ユーリに倣ってヴァッツェゲラルドのその姿を見てみれば、その威容と堂々たる体躯に憧れる気持ちが沸々と心の奥底に湧き上がってくる。
意地を張ってしばらく世間話もせずにいたが、夕食を終えた頃に仲間に勧められるとハルカはようやくヴァッツェゲラルドの顔の前に腰を下ろした。
何から話そうか迷っていると、先にヴァッツェゲラルドから声をかけてくる。
『その子供、前はおらんかったな』
ヴァッツェゲラルドは声を発しても口を開かない。近くに来て初めてハルカはそのことに気がついた。きっと魔法で音を震わせて言葉を発しているのだ。
ハルカはヴァッツェゲラルドのことをよく知らない。出会いが出会いなだけにあまり良い印象を持っていなかったが、それをいつまでも引き摺るのは間違っているような気がした。
「ユーリです。私の……私達の、家族です」
『どれの子だ?』
「誰とも血のつながりはありません。でも家族です」
『……そうか、エルフよ、お前は群れのボスだったな。度胸のある娘も、威勢の良い青年も、愛し子の獣人も、混じった吸血鬼も、それからその子やナギも、家族なのだな』
「……はい、そうです」
『実に愉快で騒がしい群れだ。少し羨ましくもある』
「いいでしょう?」
ハルカが笑って答えると、ヴァッツェゲラルドは魔法を使わず空気と共に喉を鳴らす。威嚇するようにも聞こえるその音に、ユーリはハルカの服を掴む。
しかしハルカは動じずにじっとヴァッツェゲラルドの顔を見つめた。
『まったく、不遜なエルフめ』
ヴァッツェゲラルドが魔法で生み出したその声は、少し震えて笑っているように聞こえた。