猫の目覚め
「適当に腰を下ろして構わないわ」
遠慮なく最初にソファに座ったのがアルベルト、床に腰を下ろしたのがモンタナだった。ハルカとコリンも続けてソファに腰かける。難しい話が始まるのだろうと察したユーリは、ハルカの膝の上から降りて、モンタナの隣に移動した。
イーストンだけは座らずにハルカ達の後ろに立っている。パーティメンバーではないのに一番警戒しているというのもおかしな話だが、ハルカにすれば若干の安心感があった。
「……最近特級冒険者になった人よね。活躍は聞いているわ。アンデッド騒動はお手柄だったわね」
特徴的な見た目をしているので、情報さえあれば看破するのはたやすいことだ。それでも何も言わないうちに自分の身分を口にされると警戒心が高まる。
「ありがとうございます。ギルド長に重要な話があるのですが……」
ハルカが膝の上の少女にチラリと目をやると、女性は撫でるのをやめてわざとらしく口元に手をやって、驚いたふりをした。
「あら、ごめんなさい。でも大丈夫よ、このまま話してもらっても」
女性の目が細く弧を描き、その真っ赤な瞳が怪しくきらめく。モンタナが床から跳ね上がってユーリの前に出る。それを確認した直後、ハルカ達も一斉に立ち上がって体を緊張させた。
何が分かったわけではなかったけれど、モンタナが反応したということは魔素が集められた可能性が高い。
唯一反応の薄かったイーストンが、部屋の中に通る声で女性に告げる。
「あなた、吸血鬼ですよね」
「……あら、秘密にしてね。テト、起きて頂戴? 皆さんをリラックスさせてあげようとしたら、私、警戒されてしまったわ」
「……うるさ」
目をこすった獣人の少女は、その細いヒョウ柄の尻尾を揺らしながら起き上がりもせずにハルカ達を眺める。
「うわ、なんか強そうなのいる」
「そうなの、失敗しちゃったわ。魔法に敏感な子がいたみたい」
「ええ……、めんどくさ」
「悪気はなかったのよ、許してもらえないかしら? ダークエルフの子がちょっと緊張してるみたいだったから、リラックスさせてあげようとしただけよ」
無断で魔法を使われてリラックスも何もあったものではないが、いつまでも戦闘態勢でいても仕方がない。仮にもここは冒険者ギルドの長がいる部屋なのだ。ハルカはモンタナの方を見て、頷くのを確認してから深いため息をついて腰を下ろす。
「もうしないでください。こちらには子供もいるんです」
「ええ、もうしないわ。ああ、テト、私が吸血鬼なのもばれちゃったわ」
「……えぇぇ、なんでだよ。お前ら秘密だからな」
のそのそと起き上がったテトは、大あくびをしながら服をめくってお腹をかいた。とても年頃の少女とは思えない動きだったが、なぜだかとてもそれがよく似合う。
「んで、なに?」
「えーっと……。イーサン支部長から、ギルド長に持っていけと言われた案件があるんですが」
「イーサンって誰」
「あの本ばかり見ている少年ですよ」
「……ああ、がり勉君ね。で、何?」
やり取りを見てうすうすハルカは察し始める。このやる気のなさそうな少女こそが、ギルド長なのではないかと。
「あの、あなたがギルド長ですか?」
「ああ、うん。北方冒険者ギルドのギルド長テト。こっちがシルキー」
テトの紹介に吸血鬼のシルキーが座ったままなのにやけに優雅に頭を下げる。先ほどの魔法のことや、吸血鬼であることを思えば決して油断ならぬ相手なのだろうけれど、穏やかな表情とその不健康なまでの真っ白い肌を見ているとどうも毒気が抜かれる。
イーストンといい、シルキーといい、吸血鬼は細めの美形が多いのかもしれないと、ハルカはどうでもいいことを考えていた。
やや現実逃避をしてしまっていたが、真面目な話の最中であることを思い出し、ハルカは耳につけたカフスを撫でてから話を戻す。
「シルキーさんがいても、報告はしていいんですね?」
「いいぞ。っていうか、俺よりギルドのこと詳しいし」
つまりギルドの中枢は、実質人族ではなく破壊者に握られていることになるのだが、本当にそれでいいのだろうか。ハルカはまた余計なことを考えさせられて、言葉に詰まってしまったが、今は気にするのをやめて話を続ける。
「では続けますが……」
ハルカはゆっくりと順を追って、アンデッド騒動とマグナス公爵領への疑い、そして偵察や竜を制御するための魔道具のことまで話す。テトは聞いているんだかいないんだか、耳をかいたり、姿勢を忙しなく変えたりしていたが、話を聞き終えると「ふーん」と言って少し悩むようなそぶりを見せてから「っていうかさー」と続ける。
「お前って、ハルカとかいう特級冒険者?」
「……ええ、はい」
「へぇ……」
テトは立ち上がるとテーブルの上に膝を乗せて、ハルカの眼前まで顔を寄せる。ハルカは思わず体を引いたが、テトはお構いなしに「へー」とか「ほー」とか言いながら、ハルカのことを眺めまわす。
「あの性悪竜人に推薦された割に、性格まともそうだな。クダンと連名で来たから、俺も一応書類見たんだぜ」
性悪竜人と言われて一瞬何のことかと考えたが、すぐにノクトのことであると思い至る。ギルド長ともなれば、当然あのあたりの特級冒険者とも付き合いがあるのだろうけれど、随分と気安い関係であるようだった。
「性悪ってじじいのことか」
笑いを堪えながらアルベルトが呟くと、反対側から噴き出す音がする。ハルカがそちらを見るとコリンが顔をそらして口元を押さえていた。
「だってあいつ性格悪いじゃん」
「あ、いや、師匠は良い人ですよ」
「お前も性格悪いと思ってるから、あいつのことだってわかったんだろ」
よじよじとテーブルの上を戻りながらテトに言われて、ハルカは何も言い返せなかった。
「なあ、シルキーどうする?」
「ご自分で決めましょうね」
「えぇ……。……とりあえず抗議しといたほうがいいんじゃね? 国的には。お前らさー、あのー、なんだっけ、王国の女王様に馬鹿公爵のことチクってきてよ」
「……依頼ですか?」
「うん、依頼依頼。なんかシルキーにいい文章書いてもらうから、その手紙渡してきて」
仲間たちの方を見ると、それぞれが頷いて依頼を受けることを了承する。ギルド本部からの依頼だし、乗り掛かった舟だ。断る理由も特にはない。
「前向きに考えます。条件を確認させてください」
「よーしおっけー。しっかり伝えてくれよ、喧嘩売ってんなら買うぞ馬鹿野郎って」
「……あの、手紙はもうちょっと柔らかい文面にしてくださいね?」
「シルキー、赤のインク使おうぜ。血みたいな色してるやつ」
「預かる前に中身を改めてもいいですか?」
「いいぜ、きっと気に入るだろ!」
気分が乗ってきたテトは、ソファの上に立ち上がり胸を張って笑った。