意地悪爺ちゃん
夕陽を反射してキラキラと輝いている川の岸に、小さな獣人を一人挟んで男が二人横並びに座っている。
左側にはダスティン。コート一家の大黒柱で、妻と娘をこよなく愛す不器用な男だ。
右側にはフロス。植物を育てることを趣味としている、元マグナス公爵領の一兵卒。昔から運と要領が悪く、流されやすい性格をしている。
間に挟まっているのはノクト。
一世紀ほど前にレジオン王国の各地で大暴れし【独立商業都市国家プレイヌ】の立ち上げに手を貸した獣人。古い冒険者の間では【血塗悪夢】と呼ばれ恐れられている特級冒険者にして、冒険者宿【月の道標】のマスターであり、獣人国フェフトの王族だ。
そんなノクトはニコニコと笑いながら、子供のような顔をして足をばたつかせている。
フロスは先ほど既に、この小さい獣人の本性を見てしまっている。ハルカから師匠と呼ばれ、自分を殺すように進言する冷徹な一面があることを知っている。だからどんなに可愛らしい顔で可愛らしい仕草をしていても、心拍数は恐れによってしか上がらない。背景を知ったら恐らく卒倒しているだろう。
その隣で険しい表情をしているダスティンより、このノクトの方が百倍恐かった。
「ノクト君、大人の話をするから君は家に戻っていていいんだよ」
「いいえぇ、怖い顔してるから付き合いますよぉ。穏便にお話ししましょうねぇ」
「そうかい? 悪いね」
ダスティンとノクトのやり取りにフロスは目を剥いた。
そして、もしかしてダスティンこそがこのメンバーの頭なのではないかと疑い始めた。
あまり強そうには見えないし、先ほどの話し合いからも外れていたので、てっきり自分と同じようにここで仕事をしているだけだと思っていた。
しかしハルカが師匠と呼ぶ人物に対して、気安くノクト君と話しかけた上に、本人もそれを受け入れている。
先ほどの話し合いは序の口で、これからこそが本当の面接なのではないかと、フロスは緊張して姿勢を正した。
「フロスさんと言ったかな。私はダスティン=コート。先ほど食事を一緒にしたダリアの夫で、サラの父だ」
「はい! 美しい奥さんと可愛らしいお嬢さんですね!」
フロスは純粋に褒める気持ちだけでそう言ったが、ダスティンからはじろりと睨まれて息をのんだ。きっと指先一つで自分のことなど殺してくるのだから、言動には細心の注意を払わねばならないと冷や汗を垂らす。
「君とうちの娘じゃ年が離れすぎているから、狙ったりするんじゃないぞ」
「ああ、それはもう、全然考えてもいませんでした」
ここに来てから命の心配ばかりをしていて、正直なところここの住人の顔など碌に見ていなかった。それについては大丈夫だと思いホッとしながら返事をして顔を見ると、ダスティンが鬼のような表情をしている。
「サラが魅力的でないと……?」
ただの親馬鹿にノクトは腹を押さえて笑いをこらえていたが、焦ったフロスはそれに気がつかない。どこでミスったかが分からない。ダスティンの意に沿うような返事をして怒られているのでもう大混乱だ。
「そ、そんなことは、いえ、めっちゃ魅力的だと思います!」
「うちの娘をそういう風に……」
もう何を言っても地雷だった。フロスが口をパクパクさせていると、ノクトがようやく仲裁に入る。
「ダスティンさんはぁ、ここの先輩としてアドバイスをしに来たんじゃなかったんですかぁ?」
「む、うん。そうだった、ありがとうノクト君」
「どういたしましてぇ」
ダスティンは腕を組んで目を閉じる。
「話を戻す。ここはまだまだいろんなものが不足しているが、不便はそれほどない。驚くようなこともたくさんあったが、俺はここに来たことを後悔していない。正直なところよその国の兵士と聞いて、俺は君のことを警戒している。しかし同時にここの人たちのことを信じてもいる。だから、俺もできるだけ君を悪く見ないよう努めよう。互いに協力して、ここを住みよい場所にしていこうじゃないか。……という話をしに来たんだ」
「……ありがとうございます。信用してもらえるよう精一杯頑張ります」
「それはそうと、娘にはしばらく近づくんじゃないぞ」
「え?」
「じゃあノクト君、俺は仕事に戻るよ」
「はぁい。僕はフロスさんを見張ってます」
「ははは、冒険者ごっこかい? 頑張るんだよ」
笑って立ち去ったダスティンを見送って、フロスが恐る恐るノクトの方を見る。うっすらと笑い子供らしさのない表情になったノクトと目が合って小さな悲鳴を上げた。
「何か言いたいこと、ありそうですねぇ」
「な、ないです」
「ハルカさんの師匠が、子ども扱いされているのが気になりますかぁ?」
ふるふると首を横に振るのに、ノクトは勝手に喋り続ける。
「ダスティンさん、いつ僕が年上だって気がつくのかなーって試してたら、面白くなっちゃって。だから勝手にばらしたらちょっとお仕置きしちゃいますからね? ところで、僕何歳に見えますか?」
何と答えたら正しいのかわからないけれど、ダスティンより年上だとは聞いている。どう見たって十歳前後の少年の見た目が段々と絵本の悪魔のように見えてきて、フロスはその想像を脳内で必死にかき消す。
「……よ、四十歳」
「ぶー」
「五十……?」
「もっと上です」
「あ、あの、もしかして、その、もしかしてなんですけれど。ノクトさんは、空を飛ぶことができますか? 羽を生やして、その、昔々に王国で……」
「どぉおもいますかぁ?」
「悪趣味です」
真後ろからぽつりとつぶやく声がして、フロスは川岸を転げ落ちる。辛うじて川に落ちる前に踏みとどまって見上げると、モンタナがぼやっとした表情でノクトを見ていた。
もしかしてこの少年もノクトと同じように、と考えてしまう。
「僕は十七歳です。ノクトさんと一緒にしないでほしいです」
心を読まれてフロスはいよいよ顔を強ばらせた。とんでもないところに来てしまったけれど、もうここにいるしかないのだ。ここで頑張るしかないのだと、自分に言い聞かせる。
「モンタナ君は僕のことをお爺ちゃんって呼んでもいいんですよ。どうせどっかで血が繋がってるんですから」
「やです」
「なんでですかねぇ」
「なんかやだからです」
小さな獣人は地面によつ足で伏せながら覚悟を決めるフロスを置いて、のんびりと拠点の建物へ歩き出す。
「そういえば何をしに来たんですかぁ?」
「ご飯です」
「お迎えに来てくれたんですねぇ」
「お年寄りなので、どこかで眠っているかと思ったです」
「ありがとうございますぅ」
「フロスさんも、ご飯ですよ」
「は、はい!」
振り返って声をかけてくれたモンタナの言葉に、フロスは飛び上がって後を追いかけた。
まだしばらくの間、フロスのストレスフルな生活は続きそうだ。