悪評
あの日、命からがら恐ろしい悪魔から逃げ出したフロスは、途中で仲間たちと合流して都市へと帰った。
幾人かの仲間が合流できずに、それ以来一度も顔を見ていない。気の変わった悪魔に嬲り殺されたに違いないと、フロスと仲間たちは噂しあった。
実際のところは、逃げ帰っても碌なことにならないと察していた賢しいものたちが、身分や財産を投げ捨てて別の都市へ逃げただけだったが、そんなことは知る由もない。
おかげでフロスたちの中では、ハルカが暇にあかせて人間を狩り殺す、本物の悪魔のように思われていた。本人の知らないところですっかりノクトと同類扱いだ。
街に帰ったフロスたちは、上官に獣人と遭遇し逃げられたことを報告した。そうして一致団結し、一世一代の演技をしたのだ。
仲間たちがやられ、命からがら逃げ出してきたが、必ず捕まえてみせる。お願いだから復讐をさせてくれ、と。
その熱意に押された上官はそれを許可し、そしてフロスたちは街の外でひたすらだらけた。
たまに報告に戻っては誰が返り討ちにあったとか、どこまで追い詰めたとか適当な報告をする。返り討ちにあったと報告されたものは、速やかに別の街へ逃げ出す。
演技力が上がり、街の外で生きるのにも慣れてきて、そろそろ全員失踪してしまおう、そう思っていた頃ついに疑われ任務から外された。
たとえ疑われていなかったとしても、何度も任務に失敗するような兵士など、公爵領においては穀潰しに他ならない。
貧乏くじを引いた十名は呼び出され、叱責され、そして挽回の機会を与えられた。
それが特命飛竜隊だ。
卵から育てたものではなく、捕まえてきた飛竜を騎乗用として利用しようという試みで、実験的な側面の強い部隊だった。
遥か昔の文献から、飛竜に指示を出すことができる魔道具を作り出して、それを運用するというのが主な任務だ。
当然、幾度もの失敗があった。
飛竜に噛まれ命を落としたものが二名、操作中に振り落とされたものが三名、飛竜に乗ったまま制御不能になって二度と戻ってこなかったものが二名。
ようやくそれらしいものができて、今回それの試験飛行に抜擢されたのがフロスだったというわけだ。
そんな長い長いストーリーを、できるだけハルカの機嫌を損ねないように、うまいこと誤魔化しながらフロスは最後まで話し切った。
「逃げりゃよかったじゃねぇか」
「逃げ出したらどんな手を使ってでも探し出して、酷い殺し方をすると脅されてまして、はい」
アルベルトが即座にツッコミを入れると、フロスが情けない声で弁明して項垂れた。
「あの、これで俺がそちらの獣人の人を追いかけてなかったと信じてもらえるでしょうか?」
「証拠なんにもないけどね」
「そんなぁ!」
コリンの一言に、フロスが絶望の悲鳴をあげた。
「モンタナ、どうです? 本当のことを話してますか?」
あまりいじめるのもかわいそうだと思ったハルカがモンタナに水を向けると、ゆるゆると首が横に振られた。
それを見たアルベルトとコリンの視線が厳しくなる。
「え、な、なんですか、嘘ついてないですよ?」
「嘘……、ついてないかもですけど、何か誤魔化してるです。話してないことあるですよね?」
モンタナに追い詰められたフロスは、冷や汗を垂らしながら指を忙しなく動かし、ハルカの顔をチラチラと窺う。
「は、話さなければいけませんか?」
「お前、隠して許されることあると思ってんの? ナギの餌にするぞ」
「グルゥ」
アルベルトが脅しをかけると、そんなものは食べないと、ナギが首を振りながら抗議の声を上げた。ハルカたちにはそれがわかったが、フロスにはそんなことはわからない。頭からバリバリと食べられる自分を想像して、体を震わせて話し始めた。
「あ、あの、あの! 以前遭った後ですね、合流できなかった者たちがいたのですが、それはその、こ、殺したのでしょうか? こ、殺して薬の材料にしたのだと、そ、その仲間が噂してまして」
「え?」
「ああああすみませんすみません、殺しててもいいですごめんなさい」
あまりに突拍子もない話に何を言われているか理解できずにハルカが首を傾げると、フロスはそのままべたりと地面に蹲ってしくしくと泣き出してしまった。
「嫌だ、生きたまま手足をもがれて薬にされるのは嫌だ……」
「あぁ、なるほどぉ」
「師匠、なるほどじゃないです。なんでそんな話に……」
「これねぇ、ふへへ。多分僕が昔やった話と混ざっちゃったんですねぇ。ちょっと言うこと聞かない人を潰したり治したりしたことがあったのでぇ。でも薬にはしていないですよ?」
「……その話、別に聞きたくなかったですね。でも理由はわかりました」
ハルカ達もノクトが昔相当暴れていたことは察しがついていたが、本人の口から笑って話されると流石に引いてしまう。
全員呆れたようにしていたが、イーストンなんかは、かなり本気で関係を改めようかと思ったくらいだ。
「フロスさん」
声をかけるだけで小さく丸まってしまったフロスに、ハルカはため息をつき、そのため息にフロスがまた震え出す。
きりがなかった。
「そのまま聞いてください。私は薬なんか作りませんし、不機嫌になったくらいで人を殺したりしません。手を下すとしたらそれは、仲間に危害を加える相手に対してだけです。あなたは約束を守ってくれたんでしょう? 何もしませんよ」
「……ほ、本当ですか?」
「本当です」
「絶対?」
「いえ、ですから、危害を加えるようなら別ですってば」
「し、しません!」
「じゃあ私も殺しません。……ところでその、私の印象の話って、地元で人に話したりしましたか?」
「……ええ、はい。その、酒を飲んだ時とか、あと、仲間もいろんな人に話していたと思います」
「あ、そうですか、はい……」
ハルカは空を仰いで思う。
公爵領にはあまり近づかない方がいいかもしれないと。