捕食者
リザードマンの国から戻ってしばらくの間、のんびりと土木工事を手伝ったり訓練をしているうちに、気づけば一月近く経っていた。
七月に入り気温が上がってくると、拠点近くに流した川の恩恵を感じる。川ではユーリがアルベルトとコリンに遊んでもらっていた。少し離れたところではノクトが足だけ川につけてぱちゃぱちゃと水音を立てている。実に平和な光景で、ハルカは束の間の休息に幸せを感じていた。
この辺りは比較的乾燥していて、気温が高くなったとはいえべたつくような暑さにはならない。日本という湿潤な地域のコンクリートジャングルを生きてきたハルカにとっては、非常に過ごしやすい気候といえた。
一方でいくらか元気がないのはモンタナとイーストンだ。いざ仕事となればテキパキ働くのだろうけれど、今はだるそうに木に寄りかかっている。この割と太い木は、木陰がないことを嘆いていたイーストンのために、ハルカが森から引っこ抜いて持ってきたものだ。
無茶をするよねと言われたものの、こうして二人が利用しているので悪い仕事ではなかったとハルカは思っている。
ハルカが目を瞑ってぼんやりと水の音を聞いていると、突然ばしゃんと大きな音が聞こえてくる。
「おい、ナギ! せき止めるのやめろ!」
少し上流を見ると、すっかり大きく育ったナギが手足を曲げて、全身を川につけている。お陰でアルベルトの言う通り、川の水量がちょっと減って、ナギがいるあたりで溢れてきている。
呼ばれたことだけに気がついたのか、ナギは用事があるのかと立ち上がってそのままアルベルト達の方へ歩き出した。それに伴って止められていた水が一気に下流へ流れ始める。
コリンが流されては大変と、ユーリのことを抱き上げて小川からあがる。アルベルトは近くに寄ってきたナギの鼻先をつついて言い聞かせる。
「あのなぁ、お前滅茶苦茶でかくなったんだからちょっと考えて動けよな。わかるか?」
ナギは巨体に見合った低い声で「グル」と返事をして川岸へ上がり、バサバサと羽をはばたかせた。ちゃんと仲間たちにかからないように水を飛ばしているのが偉いところだ。
ナギが生まれてからもうすぐ一年。どこまで大きくなるのかと思っていたが、流石にそろそろ成長が止まったようだった。その体躯は見事なもので、大竜峰でアルベルトの剣をへし折った大型飛竜よりもさらに一回り大きい。
ナギが入れる小屋を用意するだけで、家一軒分くらいの建築費用が掛かりそうだ。見切り発車でナギの小屋を作り始めていたら、間違いなく建て直すはめになっていただろう。
レジーナはこういう時に大概どこかへ行っているが、今日もまたそうだった。
昼食のいい香りが漂ってきたところで〈斜陽の森〉の方から戻ってきたレジーナは、何故だが空を見上げながら歩いていた。不思議に思ったハルカ達が空を見上げる。
中型飛竜が一匹、拠点の上を〈暗闇の森〉に向かって飛んでいく。今までこの辺りで野生の竜を見たことがないことを考えれば、あの竜には誰かが乗っているはずだ。
この間のアンデッド騒動は、竜に乗ってきた者達によって引き起こされたものだというのがリザードマンたちの話を聞いたハルカ達の見解だ。だとすればあれは、その犯人が状況を確認するためにやってきた可能性がある。
見逃せば無用なトラブルは避けられるが、捕まえて事情をはっきりさせてしまいたいという思いもあった。決断できないハルカはそのまま飛んでいく中型飛竜を見つめる。
もしあれを捕まえて、アンデッド騒動が公爵の仕業だとはっきりしてしまった場合【独立商業都市国家プレイヌ】と【ディセント王国】は直ちに戦時下に入る恐れがある。
いくら女王であるエリザヴェータが関与していなかったとしても、公爵が動いているとなれば世間からはそう思われない。ハルカはあの女王と争うことはしたくなかった。だとすればできることは……。
「おい、ハルカ。あいつ捕まえに行くぞ」
いつの間にかナギの上に乗ったアルベルトが、そう言って空に飛び立つ。ナギの方が大きいだろうから滅多なことはないだろうが、逆にあちら側が怯えて墜落してしまう可能性は十分にあった。もし関係ない飛竜便の人だったら大問題だ。
翼をばさりと一度はばたいて加速したナギは、見る見るうちにその姿を小さくしていく。
考えている時間はなかった。
「アルを追います! もし敵対するようなことがあれば……、捕まえてきますので」
返事を聞かずにハルカは空に飛び立った。
のんびりした休日があっという間にきな臭いことになってきてしまった。
アルベルトが飛び出したのだって、結局のところ間違った判断というわけではない。ただハルカより思い切りが良かっただけだ。
ハルカが追い付く頃には、ナギは既に中型飛竜の真後ろまで迫っていた。中型飛竜の上には、間抜けなことにきちんとした兵装を身にまとった男が乗っている。紋章のようなものまでついているので、きっとノクト辺りに確認すれば所属までわかるはずだ。
おそらく空を飛んでいるところを追い回されるとは想定していなかったのだろう。
「アル、ナギ、先に声をかけて……」
「よし、威嚇しろ!」
「ガオッ!!」
ハルカが後ろから声をかけた瞬間、アルベルトがナギに指示を出す。ナギは大きな口を開けると、炎のブレスを前方に一発吐き出した。
兵士が振り返り必死の形相で何か指示を出しているが、中型飛竜は完全に混乱状態で制御ができていないように見える。ブレスは命中するような場所に飛んだわけではなかったが、捕食者に追われた中型飛竜は、ついにアクロバティックに回転すると海に向けて一心不乱に飛んでいってしまった。
もちろん、騎乗していた兵士は振り落とされて、もはや絶叫と共に自由落下に身を任せるしかない。
ハルカは慌てて兵士の真下に飛んで空中でその身体を受け止めた。骨が砕ける嫌な音がしたが、即座に治癒魔法をかけて、そのままゆっくりと地面に降りる。
ハルカと接触した時点で、兵士は恐怖のためか完全に意識を失ってしまっている。全身から液体を垂れ流しているのも、落下の恐怖を考えれば仕方がない。
ハルカは障壁の上に兵士を下ろして囲い、ため息をついて拠点へと歩いて戻ることにした。
ハルカに遅れてナギが地面に降りてくる。
「アル、敵じゃなかったら大問題ですよ」
「でもそいつ敵だろ、多分」
「そうですけどね」
「逃げられるよりはいいんじゃね。間違ってたら後で謝ろうぜ」
「その時はいの一番にアルが謝るんですよ」
「いや、俺そういうの苦手だし」
「……ま、話は身元を確認してからにしましょうか。ナギも、お疲れ様でした」
「ぎゃうぎゃう」と返事をしたナギが、首を伸ばしてハルカの体に顔を擦り付けてきたので、ハルカは頭を何度か撫でてやる。こういうところはまだまだ可愛らしい子供竜のままだとハルカは顔をほころばせた。
ナギが普通の人にこれをした場合、その人がきっとひっくり返るであろうことに、ハルカはまだ気がついていない。





