巨拳
片手に持っていた杖を背中に背負って、ハルカは仕方なくドルの前へ進み出た。相手が長物を持っているのに対して武器を手放すというのは、普通に考えればあり得ない行為だが、棒術を使ってその道の達人に勝てるとは思えない。
下手に翻弄されるくらいならば、最初から相手の土俵に立たない方がいいだろうというのがハルカの考えだった。
「魔法は使用可ですか?」
「この距離から魔法を使えると思われているんですか。別に構いませんがね」
目つきが鋭くなったドルを見て、質問の仕方を間違えたかと反省したハルカだったが、決闘前に誤解を解く必要もない。ノクトの戦い方を真似るのであれば、障壁で囲って、空から魔法の撃ち放題をしてしまうのが無難だったが、それでは恨まれそうな気もする。
つい先ほど相手の土俵に立たない、なんてことを考えつつも、地に足をつけて戦うことを決めるハルカは、やはり戦いに関しては甘いところが抜けきらない。
「まあいいでしょう。私が勝てば今まで通り、あなたが勝てば……はぁ」
腰に手を当てて見物の姿勢に入っているニルを睨んで、ドルは深いため息をついた。
数百年に及ぶリザードマンの里、そして国の歴史上、別の種族が王になったことなど一度もない。はぐれた破壊者を受け入れたことくらいならあったはずだが、こんな展開は過去の決まりを作った者達も想定していなかったに違いない。
歴代の王の中で恐らくかなりの力を持つニルは在位中もさんざんドルのことを困らせたものだが、ここにきて特大の爆弾を放り込んできた。生真面目で自らがトップに立つことを好まないドルは、別に王位を譲ること自体は構わないと思っていた。こんなことになるのであれば、掟書きをこっそりすり替えて、ニルに王位を返しておけばよかったと思うくらいだ。
しかしここまで話が進んでしまい、臆したかと言われて引き下がるのは流石にプライドが許さない。
「あなたが勝てば……、まあいいでしょう」
立ち合ってまでいつまでも気持ちを引きずるわけにはいかないと、ドルはしっかりと槍を構えた。
「ハルカさん、準備は良さそうか?」
「ええ、いつでも」
握った拳を見ていたハルカが顔を上げると、ニルは大きく頷いて腕をまっすぐ上に上げた。
「そんじゃ、はじめだ!」
腕が振り下ろされるのと同時に、ドルが駆けだしてまっすぐハルカの肩口に向けて槍を突き出した。
武器を手に取って動くとなると、咄嗟にうまくやる自信はなかったが、使い慣れた魔法ならば話は違う。目にもとまらぬ速さであるはずの突きを、ハルカの目はしっかりととらえていた。
障壁にぶつかって弾かれた槍を掴もうとハルカが手を伸ばしたとき、その槍は既にドルの手元まで引かれていた。
目に見えぬ壁に槍が弾かれたというのに、ドルの動きは淀みはなかった。それだけでドルが一流の戦士であることは疑いようがない。
再び突き出された槍を、ハルカはやはりかわさない。
槍を掴むことが難しいと判断して、障壁を前面に出して全ての攻撃を受け止め、その間に魔法を背後に展開する。空中に無数の小さな石を生み出し、それを一斉にドルに向けて放った。
殺傷力を低くし、相手の動きを制限するための攻撃だ。
ドルは体を低くして回転させ、飛んでくる石を弾き飛ばす。そうしてそのままの勢いで槍を振り回し、十分な威力を持った槍をハルカの脇腹にたたきつけた。
何をしてくるかわからない相手だという認識を持っていただけに、ドルは油断するつもりはなかった。しかしその一撃は確かに肉体に当たった感触がして、ドルはほんの一瞬だけ気を抜いてしまった。
流石にあの勢いの攻撃を胴体に喰らって無事であるとは思えない。しばらく療養のためにこの人間を里に泊めることになるかもしれなかったが、他種族の者を王にするなどという訳の分からない状況になるよりはずっとましだ。
槍を引いて勝負を終わろうとして、それがピクリとも動かないことに、ドルはジワリと焦る。ハルカがその場から一歩も動かずに、槍の柄を掴んでいることに気がつき、もう一度槍の柄に力を込めた瞬間だった。
「捕まえました」
やや高揚したその声と共に、槍を強く引かれてドルは前のめりに姿勢を崩す。槍を取り戻すことに固執せずに手を離すべきだったと気がついた時にはもう遅かった。
なぜ細身の魔法使いがあの攻撃に耐えうるのか。
なぜ人の魔法使いがリザードマンの中でも大きなドルの膂力に勝るのか。
そんな疑問は横面に迫る、巨大な岩でできた拳を見たときに一気に吹き飛んだ。
槍を持つ腕に力を籠め、わずかに地に着いていた足を蹴り、尻尾で思いきり地面を叩き、姿勢を変えて体を浮かせ拳を真正面から受け止める。防御姿勢さえ取れれば、仕切りなおしてまだ戦うことができる。体重差を考えれば、それほど大きなダメージを受けることはないはずだ。
そう考えたドルの身体は、地面に足を着くこともかなわずに数メートル宙を飛び、そのまま里の外を囲う頑丈な壁に思いきり叩きつけられた。全身に走る衝撃に意識を奪われたドルは、そのまま壁と共にゆっくりと里の内側に体を倒す。
地響きと共に土煙が上がる。
ハルカはドルの身のことは心配していなかった。これくらいならばあれだけ丈夫な体を持つリザードマンが死ぬとは思えない。死ななければ治療をすれば問題がない。
拳に纏わせた岩を消して、ハルカはゆっくりと倒れたドルの方へ近づいていく。
その途中でふと思う。もしかしたら立ち上がってまだ戦闘が継続される可能性だってある。勝負ありの声がかかっていないのに油断をしてはいけない。
ハルカが再び拳に岩を纏わせたところで、慌てたニルが今日一番の大声を上げた。他のリザードマンが口をあんぐりと開けたまま固まる中、いち早く立ち直ったのは流石だった。
「勝負あり! 終わりだ終わり!! おい、ドル、生きてるか!?」
その言葉を聞いて、ハルカはもう一度拳に纏わせた魔法を解いた。体が酷く疲労したわけではなかったが、気持ち的には割とぐったりだ。ハルカは大きく息を吐いて、汗をかいたわけでもない額を腕で拭った。