どうしてこうなった
淡々とした口調でニルの要求をはねのけ続けるドルは、決してニルのことを軽んじているわけではなさそうだった。態度はずっと丁寧であったし、困った上司に対して言い聞かすような口調を崩すこともない。
これは案外まともに交渉をすれば話の通じる相手なのではないかと思ったハルカは、ニルが腕を組んで唸り出したところで口を出してみる。
「お話の最中に申し訳ありません。この度は森を挟んでの隣人としてご挨拶に参りました、冒険者のハルカ=ヤマギシと申します。先日ハ族のイル隊長と出会い、こちらにリザードマンの国があると知りました」
ハルカの口上にガ族のリザードマン達が僅かに身構え警戒を露にする。ハルカもその反応に気がついてはいたが、一度話し始めたのだから中途半端にやめるわけにはいかない。
「今回私たちがイル隊長と偶然知り合ったように、隣人とあらばいつかは顔を合わせるようなこともあるでしょう。その時に互いに不利益を被らないよう、予め協力関係を結んでおければと思いここまで参りました」
ドルはその細く鋭い目でハルカを見つめ、警戒を緩めぬまま答える。
「歴史なんぞに興味のないニル様や、その息子であるイルは知らぬだろうが、私は知っているぞ。私達が古に人と争い、その結果この森と山の狭間で死にぞこない共と戦い続ける羽目になったことを」
「遥か昔の話です」
「姿や生活が違えば争いも起こる。必ずしも人と仲良くやっていける保証はない。舌先三寸で里までの道を切り拓かれ、不意打ちを喰らわせられては堪ったものではない」
冒険者としてのハルカや仲間たちは絶対にそんなことをしないと保証できる。しかしこれが、他の者達であればどうか。暗闇の森には豊かな自然がある。森を抜ければ整った里があり、山には温泉。手のついていない資源だってあるかもしれない。
一般的に破壊者が敵だと思われているのだから、それらを駆逐することに人は躊躇しないはずだ。
今この交渉の席で、自分の正しさを考えるのは愚策であったが、正直なハルカは返答に詰まってしまった。
それを見て首を振ったドルは続ける。
「ニル様に免じてこの場で争うことは避けよう。それが私のできる最低限の譲歩だ」
「……死にぞこない共がいなくなった今、人たちのことを知っておくのは必要なことではないのか? ドルよ、望む望まぬに関わらず時代は変わるぞ。であれば友好的に接してくれている相手の手を取り先を見据えるのも、国を守る王たるものの務めではないのか?」
「ニル様はそうおっしゃいますが、来るかもわからない暗い未来を案じて外患を呼び込むのには賛同できかねます。この森は長く我らと死にぞこない共の領域でした。人族の攻勢など跳ねのけてみせましょう。……そのために本当は、この人族共を生きて返したくないのです。私はそれを譲歩すると言っているのですよ?」
「頑固者め」
「ニル様は楽観的すぎます」
槍を握り締めて言い合う二人の間には、今にもそれを交えるのではないかという緊張が走っていた。
しばらく睨み合った二人だが、唐突にニルがしゅるりと舌を出したのを見て、ドルがじりっと足を引いた。
「なぁ……」
「やめてください、さっきのは碌なことを言わない時の合図です」
口を開いたニルの言葉をドルが早口で遮る。
「まぁまぁ、聞けよ、悪い話じゃないから」
「やめてくださいと言っているでしょう」
「この掟って、リザードマン以外が決闘に挑んじゃいけないなんてどこにも書いてないよなぁ?」
「普通に考えてダメに決まっているでしょう」
「書いてないんだよな?」
「書くまでもなかったということです!」
「でも書いてないんだよなぁ!?」
「いい加減にしてください!!!」
悲鳴を上げるような声を出したドルを無視してニルは振り返る。
「三人の中で一番強いのは誰だろう?」
レジーナとアルベルトが同時にハルカを見る。
「はっは、流石に魔法使いのハルカさんに殴り合いはきびしいか?」
「……やめときましょうか。私達も出直しますので」
嫌な流れになってきて、ハルカはニルに提案する。
「いやいやここまで来たら、一発アイツの石頭をどついてもらって柔らかくしてもらうしかないだろうなぁ。うーん、レジーナさんのが少し強かったか? どっちもドルと真正面からやり合う分にはいい勝負だと思うんだがどうだろう?」
「ニル様、やめてください」
「ニルさん、やめましょう」
ドルとハルカが同時に声を上げて、二人は見つめ合う。妙な親近感を覚えて、意見が合わなかった二人なのにアイコンタクトを交わした。言葉にするのなら『何とかして止めましょう』『そうしましょう』だ。
「強いのはあたしじゃなくてハルカだ」
「レジーナさん、いいからもう帰りましょうね」
「魔法使いなのにか? その杖で戦うのだろうか?」
「いや、ハルカは殴ったほうが強いぞ」
「ほっほう、魔法使いってのはあまりど突き合いには強くないと思っていたんだがな」
「アル、余計なことを言わないでください」
「それじゃあハルカさん」
のしのしと数歩歩いてきたニルは、ハルカの両肩に手を置いた。
「いっちょ儂らの王になってもらうとするか。なぁに、実務は儂とドルのやつに任せておきゃあいいんだ」
「ニル様!!!」
「ハルカも王様か。いや女王様か?」
「アル! 冗談はやめてください!」
アルベルトは顔を青くするハルカに対して笑う。
「俺、悪くないと思うぜ。ハルカなら自分の国の住民を見捨てたりしねぇだろ。安心しろよ、何かあってこいつらと人族が争うことになっても、俺たちはハルカの味方してやるから」
アルベルトの言葉に少し心を動かされそうになって、ハルカは慌てて首を横に振った。そんないい話ではない。これから上手く仲良くやっていきましょうね、という話をしに来ただけなのに、訳の分からない責任を負わされそうになっているのだ。
「そういう問題じゃなくてですね」
「……あたしも、ハルカの国なら住んでやってもいい」
「れ、レジーナさん?」
話が進んでいる間腕を組んで考え込んでいたレジーナが言ったのを聞いて、ハルカが二の句を継げずにいる間に、ニルがリザードマンたちを散らせて広い空間を取る。
「ニル様、本当にふざけるのも……」
「ドル!!」
空気が揺れるような大声にドルが目を見開く。
「王なら腹括れ。それともお前は、魔法使い相手に尻尾を撒いて逃げるのか?」
「…………挑発だとわかっています。わかっていますが……、それに乗らないわけにはいかないでしょう! 本当にろくでもない人ですね!!」
諦めたドルが槍を構える。
いや、諦めないでくださいよとハルカは視線を送るが、それに応えてくれる様子はない。
「安心してください。あなたも巻き込まれたのは理解しています。怪我はさせないであげますから」
そうじゃないとハルカは思ったが、もう手遅れだった。
「ハルカ、わざと負けるのなしな」
「当然手を抜いて負けるようなことは、戦士としてのプライドには反する。勝つために尽くすのは、決闘相手に対しての礼儀でもあるからなぁ」
アルベルトとニルに背中を無理やり押し出されるような言葉を貰い、最後にハルカはレジーナの方を向く。レジーナは腕を組んだまま胸を張ってハルカに言う。
「なんだよ。勝てるだろ、ハルカなら」
信頼が嬉しい。
しかしそれは、絶対にハルカの今欲しい言葉ではなかった。