古強者
ハルカの手を放して、どかりと勢いよく椅子に座ったニルは目を瞑って天井を見上げる。
「戦いの中で負った傷なら耐えられるが、腰の痛みはそうではない。何かにつけて動きを邪魔され、もう二度と槍ばたらきはできんと思っていた。儂に返せるものがどれだけあるかわからんがきっと役に立つぞ。……そうだ、言うことを聞かぬ小僧を今から行って叩きのめしてきてやろう」
手元にあった槍を持って勢いよく立ち上がったニルは天井に頭をぶつけて首を少し屈めた。この執務室の天井の低さが、ニルの腰に悪い影響を及ぼしている可能性はかなり高そうだ。
「ニルさん、まずこの部屋の天井を高くしたほうがいいと思いますよ。腰を痛めたのも、この部屋が原因かもしれません」
「そうか、それが理由かもしれんのか。ではこの執務室はもう使わんことにしよう」
「父よ、それについては俺も散々言ったはずだが」
「こういうのはな、言う相手によるんだ。伝統なんぞ知ったことか。こんな腰に悪いところはとっととおさらばして、とりあえず外へ行くぞ」
イルからの呆れた視線をものともせずに、槍だけを持ったニルは床を軋ませながら建物の外へ向かう。
雰囲気が随分と若返った。ハルカ達はニルから、年寄りのような印象を受けていたが、今は働き盛りの壮年のようなパワフルさを感じる。
外に出るとニルはそのままハルカ達が来た道を戻りながら話を続ける。
「今我らが王をしている男はな、昔儂の部下だったんだが、腰を痛めてから繰り上がりで王になったんだ。慎重で賢いが思い切りの悪いやつでな、何かをするときはケツを叩いてやらねばなかなか進まんのだ。だから今回の件も、強いと聞いたハルカさん達にケツを叩きにいってもらうつもりでいたんだが……」
槍の石突でトンと地面を叩いたニルは、口角をわずかに上げてハルカの方を振り返った。
「儂が直接行くことにした。腰が治るだけでこんなにも気力がみなぎるとは、感謝してもしきらんなぁ」
勢いがあまり過ぎているようにも聞こえるニルの言葉に、ハルカは念のため確認を入れる。
「力で従わすようなことをして、後々問題にはなりませんか?」
「ならん。強き王の言うことに従うのがリザードマンの掟だ」
はっきりと断言されると、それ以上追及するのは失礼に当たる気がしてハルカは口を閉じた。
「つまりよー、おっさんが今の王様と戦って、もう一回王様になるってことかよ?」
「うむ、そうだ。恩を返すためにもその方が都合が良かろう。なにより、今の王より儂の方が強い」
「病み上がりなのに大丈夫かよ」
「なぁに、ブランクがあっても負けやせん」
「……行く前に俺と手合わせしねぇ? 俺も強い奴と戦ってみてぇし、勝った方が王様と勝負ってことにしねぇ?」
「ほぅ、アルベルトは儂に勝つ自信があるか」
人にしては背の高いアルベルトだったが、ニルと睨み合うと大人と子供くらいの体格差がある。それでもアルベルトは一歩も引くことなく、その鋭い眼光を見つめ返した。
「やる以上は勝つつもりでいるぜ。強い奴と戦う経験は貴重だからな」
腰を治した以上こんな展開になることはハルカも予測していた。諦めの気持ちで経過を見守っていると、イルにこっそりと話しかけられる。
「父は本当に強いぞ。あの少年は強いのか?」
「ええ、強いと思います」
「俺に勝ったレジーナさんとどちらが強い?」
「レジーナさんの方が、ちょっと強いのかな……? ニルさんの強さは?」
「わからない。少なくとも俺より強い者の実力は計りかねる。しかし俺は今まで見たことのある者の中で、父が一番強いと思っている」
レジーナと手合わせした上でのイルの感想だ。相当な実力を秘めているはずだ。
病み上がりというのを考慮したとしても、ハルカにはアルベルトの方がやや分が悪いように思えた。
「あたしもやる」
二人の睨み合いに平然と割って入ったのはレジーナだった。強くなる機会を窺っているのはアルベルトだけではない。あるいは静かに経過を見守ってくれるのかと思っていたが、やはりだめだった。
「たしかレジーナさんがうちの息子を負かしたんだったな。ようしいいぞ、二対一でやってやる。なんならハルカさんを入れてもいいぞ」
「いや、一対一対一だ。勝ったやつが王とやるでいいだろ」
「……ハルカはなし」
二人揃って否定するのを見て、何を思ったのかニルは笑う。
「はっはっは、まぁ、いくら強者といえど魔法使いだものな!」
「いや、そういうことじゃねぇよ」
アルベルトは律儀にツッコミを入れたが、ニルにその本意は伝わっていなさそうだった。ハルカからしたって別に参加する気はなかった。
しかし仲間から参加を却下されると、仲間はずれにされているような変な気持ちになる。そんなに邪険にしなくてもいいではないか、というのが正直な気持ちだった。
ニルが腰をしっかり伸ばして歩く、背の高さがより際立つ。のしのしと道を歩くと、驚いた住人達が次々と声をかけ、ニルの完治を喜んだ。
随分と慕われた里長だ。
訓練場に着く頃には、多くのリザードマンやその子供達を引き連れていたが、ニルはそれを見ても、「久々の手合わせにちょうどいい観客だ」と豪快に笑うのだった。