ほろり
「なるほど、うちの若いのがそちらに迷惑をかけたのか。そりゃあ悪かった、この通りだ」
挨拶を交わして椅子に座ったニルは、今回の経緯を聞いてそのまま深く頭を下げた。座っていてもなお、ハルカ達と変わらないくらいの上背があるというのに、見かけによらず随分温厚な性格をしている。
「謝罪ならもう頂きましたのでお気になさらずに。それにしても随分と立派な体格ですね」
「父は立派な戦士だったのだ。俺とは比べ物にならないくらい強かった」
「お客人の前で恥ずかしい話をするな。腰を痛めてからはさっぱりでなぁ、はっはっは」
片手でつるりとした頭を撫でながらニルは笑う。この体格で槍を振り回されたらさぞかし迫力があるだろうことは想像に難くなかった。
「それで、なにか相談ごとがあるという話でしたが?」
道中でイルの言っていたことを思い出して尋ねると、ニルが執務机に肘をついて語り出す。
「うん。我々リザードマンは七つの里が集まって一つの国となっている。その長の中で最も強いものが暫定的に王となるのだが、まぁ儂はこの通りでな。人との付き合いをすることに対して、王は反対していないのだが、付き合いをするだけのものかを知りたいと言っておる」
一度言葉を止めたニルは、じろりとハルカ達を順番に見てから、頷いて続ける。
「これでも儂は元王だ。客人たちが強いことはよっくわかる。特にハルカさんが入ってきた瞬間なんかは、腰にびりびりっと来て驚いた。今日が儂の命日かと諦めかけたぐらいだ」
それはただ人が来たことに身体が反応して腰が痛んだだけなのではないかとハルカは思ったが、口は挟まない。
実際クダンやノクトのような特級冒険者達はハルカと最初に出会った時に、違和感を覚えていた様子があった。ニルも似たようなものなのかもしれないと、自分の中で納得する。
「おっさん、腰が元から痛いだけじゃねぇの?」
我慢できないのがアルベルトだった。
ニルは何度か瞬きをしてから、部屋を揺らすような大きな笑い声をあげて、机をバンバンと叩く。
「いやはや、面白いなぁ。我々の中じゃ、儂にこんなことを言う者は長いことおらんかったから驚いてしまった。こりゃ本当に、たまには外との交流もしてみるもんだなぁ。儂らは長いこと内に篭りすぎた、今回のことが新しい風になればいいんだが」
大声で笑いだしたときはどうなることかと焦ったハルカだったが、えらく楽しそうなニルの様子にほっと息を吐いた。
オランズの街ができたのが百年ほど前。その元の村ができたのがさらに数百年前で、まだ王国の領土だった時代。神人時代から何年たっているのかハルカは正確な資料を見たことがなかったが、少なくともその頃からずっとリザードマンは自分達だけで他と交わらずに暮らしてきたことになる。
むしろこの適応力の高さの方が異常だった。
「儂の父の代にはな、人が一度来たことがあったそうだ。その人たちは当時の王や実力者をバタバタとなぎ倒し、山を越えてどこかへ行ってしまったらしいがなぁ。それ以来儂らリザードマンは増々武に力を入れてきた。腰さえなんともなければ、儂も客人らと手合わせしてみたかったもんだ」
表情は分からないまでも、その言葉の端々から、ニルが本当に残念に思っていることが分かる。腰の痛みをなんとかできるであろうハルカからすれば、治療をしてやりたい気持ちはあれど、それをすると手合わせさせられそうな雰囲気がある。
とはいえやりたいことができないという状況には同情してしまう。友好関係を築いていきたいと思っている相手に対して、できることを惜しむのはどうなのだろうという思いもあった。
「その、ニルさんの腰の痛みを、治せるかもしれません」
「ほう? そりゃどうやって? 色々試してみたがどうも何をやっても治らんくてな。山の方にある湯は大体の怪我に効くんだが、こればっかりはどうにもならなんだ」
治るということが想像つかないのか、ニルは首をかしげながら答える。しかしハルカは疑われたことよりも、戻ってきた言葉が気になって聞き返す。
「湯ですか?」
「おうおう、ここから東にしばらく行くとな、地面から湯が湧きだす場所があってな。それにつかると傷が早く治るのだ。心なしか腰の痛みも和らぐからよく通っているのだ」
天然温泉だ。
ハルカの脳内に日本旅館のビジュアルが浮かび、カコンと鹿威しの音が響く。温泉があるというのなら是非ともゆっくり浸かってみたい。拠点ができる頃にはクダンが風呂を作ってくれる手筈だったが、それと温泉はまた違う。
一人暮らしをしていた時は、いつもシャワーで済ませていたが、湯に入れないとなるとゆっくり浸かりたくなるのは日本人の精神なのかもしれない。
「そのお湯、私も浸かってみたいのですがいいでしょうか?」
「そうさな、今回の件が落ち着けばいいんでないか。それで儂の腰の話はどうなってる?」
「あ、はい、そうでした。私治癒魔法使いでして、ちょっと触れさせてさえくれれば治せるんじゃないかと」
「魔法……。儂らにはあまり縁のない技術だな。それこそ人が来た時に魔法を使っていたと聞いたが、怪我を治すようなものまであるのか。なんにせよ治してくれるというのならありがたい、ぜひお願いしたい、あいててて」
立ち上がったニルは、また少し屈んだまま振り向いて背中を向ける。立派な長い尻尾がくるんと丸まって、ハルカの足元をあけた。歩み寄って腰に手を当てて、治癒魔法を使うと、ニルから「ほぉおお」とか「こりゃこりゃ」という変な声が漏れてきた。
ハルカが手を離すと、ニルは首だけ振り向いてその位置を確認し、ゆっくりと体を反転させてから、ハルカの手をがしっと握った。
「痛くない。痛くないぞ、こりゃ、こりゃこりゃこりゃすごい。痛くないぞ、ははは、はっはっはっはっは、イル! でかした、よう連れてきてくれたぁ! ハルカさん、ありがとうありがとう!!」
ニルの目にジワリと涙が浮かび、ハルカの手を揺さぶるたびにぼろりぼろりと大粒の涙がこぼれる。
「うおお、儂は、儂はまた、戦士として戦えるぞ。生きられるぞ、おお、おおおおお」
されるがままに手を揺さぶられながら、ハルカは大喜びするニルを見つめて思う。
変に知恵を使って交渉なんかしなくてよかった。
涙まで流して喜んでもらえたことがただ嬉しくて、ハルカは「良かったですね」とだけ伝え、ニルの興奮がおさまるのを待つことにした。





