ハ族の里
それほど長く待たされることなく、大きな木の扉が開いてイルが早歩きで近づいてくる。ハルカはそれが確かにイルであるか判別できなかったけれど、体つきの良さや、持っている武器を見る限り間違いはないはずだ。
イルがつかつかと歩み寄ると、ハルカの前に立ったカオ達三人はピンと背筋を伸ばした。表情が分からなくても緊張していることだけは分かったハルカは、訝し気にそれを見つめる。
その直後イルの拳が唸り、カオ達が次々と地面に転がった。三人が立ち上がることもままならない状態のまま、イルは深く深く頭を下げて言う。
「うちの若者が大変申し訳ないことをした。場合によっては人と我々全体の戦いになりかねんことだ。そちらの立場を悪くしてはいないだろうか。俺はあんたたちの信用を裏切った。いかなる罰も受けよう」
ハルカはその言葉を否定しようと口を開きかけてから、きゅっと口を閉じて考える。確かに拠点に姿を現したリザードマンの若者たちが、何らかのすれ違いでハルカ達以外の冒険者と出会っていた場合、命のやり取りがおこっていた可能性はある。
結果どちらが命を落としたとしても、互いの未来に暗雲を漂わせたであろうことは間違いない。安易にそんなことはありませんといっていい場面なのかどうか、判断が難しいところだった。
少なくともノクトであれば、絶対にこの言葉を否定したりはしない。
「……今回は何事もありませんでした。若い時には勢いに任せて間違うこともあるものです。今回の件に続く者が出ないよう、そちらできちんと対応していただくことを望みます」
アルベルトとレジーナは変な顔をしてハルカの方を見た。てっきりいつものように甘い顔をするのかと思っていたから意外だった。厳しいことを言っているという自覚があるせいかハルカの表情もかたく、仲間と話している時のような柔らかい雰囲気がない。
「とはいえ、誰かを罰するためにわざわざついてきたわけではありません」
見張り台のリザードマンも含めて、全員が息を呑んで見守る中、ハルカはわずかに表情を柔らかくする。甘いと思われても、今回の件でこれ以上厳しいことを言うのは気が進まなかった。
出会ってしまえば即座に争いになりかねない種族との約束だったのに、イルができる限りのことをして約束を守ろうとしてくれたことは分かっていた。見張り台に立っていたリザードマンが、敵対的な行動をとらなかったのがその証拠だ。
「約束通りお邪魔しに来ました。お久しぶりですね、イルさん」
「……温情感謝する。お前らは里の中へ入れ、説教はまた後日だ」
よろよろと立ち上がったカオたちは、そのまま肩を落としながら門の中に消えていく。殴られた顏に治癒魔法をかけてやっても良かったが、甘やかしすぎなような気がして、ハルカは黙って去っていく後姿を見送った。
「こんな再会にはなってしまったが、改めて歓迎をする。遠慮せずに中へ入ってくれ。恥ずかしながら相談したいこともあったのだ」
先導するイルの後について門をくぐると、中は人間たちの暮らす村とそう変わらなかった。門を入ってすぐは広く訓練場のような広場になっており、見通しが良くなっている。万が一アンデッドたちが門を抜けた場合にも、その姿を捉えやすくするための工夫なのだろう。
しばらく行くと大きな宿舎のようなものがあり、そこから先は普通の家が立ち並ぶ牧歌的な光景になっていた。麦の畑に小さなリザードマンの子供が走り回り、ハルカ達に気付いた大人がそれを捕まえて静かにさせる。
異種族の里はハルカにとって珍しい光景であったが、リザードマンたちにとっても人は珍しい。言葉を交わすわけではないが、遠慮がちにお互いの様子を観察しながら道をまっすぐ進んでいく。
「もうすぐ麦の収穫時期だ。俺たちも遥か昔は肉ばかり食べていたらしいが、森に死にぞこない共が溢れてからは、壁を立て、作物を育てるようになった。苦労はしたが、昔に比べて数はずいぶん増えたそうだ」
「定住するとなると農業は必要になってきますからね。立派な麦畑です」
「そうか。俺たちは戦士であると同時に、畑の主でもあるからな。褒めてもらえると嬉しい」
イルは少し上を向いて誇らしげに答えた。ハルカが仲間たちを大切に思うように、イルはこの里と仲間たちのことを大切に思っているようだった。
やがて一つの大きな建物にたどり着くと、イルは迷うことなくその扉を開けながらハルカ達に説明をする。
「ここには里の長、我が父ニル=ハが仕事をしている。折角来てもらったのだから、顔を合わせておいた方がいいだろう」
ノックもせずに部屋の扉を開けると、イルよりもさらに体の大きなリザードマンが、窮屈そうに椅子に座って槍の穂先を磨いていた。ゆるりと顔を上げたそのリザードマンは、口を開いて独特な空気の漏れるような声を発した。
「それがお前の言っていた人の客人か。よいせっと」
そのリザードマンはのっそりと立ち上がる。少し猫背で腰を曲げているというのに、頭が今にも天井を擦りそうだ。目測で二メートル半以上はある。恰幅もかなり良く、蜥蜴というより恐竜と言ったほうがいいくらいの威圧感があった。
「おいててて、儂がこの里の長であるニル=ハだ。客人の名を教えてくれ」
「父よ、いい加減この執務室を使うのはやめたらどうだろう。腰に悪いぞ」
ニルが腰をトントンと叩きながら挨拶をすると、イルが呆れたように忠告をする。
「そうはいかんだろう。代々里長はこの執務室を使ってきたのだ。俺が勝手にやめるわけにもいくまいよ、おいててて」
大きな図体の割に割と細かい性格をしているらしい。いちいち腰をいたわるその姿は、強そうな見た目とは違ってどこかコミカルな印象をハルカ達に与えていた。