一歩譲る
ヴィスタの街は変わらず美しく整然としていた。
以前来た時と少し違うのは、街に少年少女の姿が少ないことか。学院や学園が長期休みに入っていないので、昼間から街をうろついている若者は少ないのだ。
その分商店街には、穏やかで優雅な空気を感じることができた。
うろついても十分楽しめそうではあったが、今回はコーディと話をするという目的がある。ただでさえ予定から少し遅れているので、最低限の買い物だけを済ませたハルカ達は、さっそくヘッドナート邸へと赴くことにした。
街の一等地に立った屋敷の門をくぐる前に、警備の詰め所にいた人物に声をかけられる。コーディを訪ねてきたことと、自分たちの名前を告げると、その人物は分厚い帳面を開いた。指で文字をなぞりながらハルカ達と文字を見比べてからそれをしまう。
「旦那様がヴィスタに滞在している時にいらしたら、屋敷でお待ちいただくよう言付かっております。ご案内しますので少々お待ちください」
以前来た時はこんな警備はなかったはずなので、この一年くらいの間に増設したのだろう。警備員が詰所の中にある紐を引くと、小さな鐘が音を鳴らし、屋敷の中から身なりの整った使用人が現れる。
「お久しぶりでございます。旦那様は夕暮れに戻られますので、屋敷の中でお待ちください」
こちらは去年も屋敷を案内してくれた人物だ。顔を覚えていてくれたらしい。広い客室に通されて、これまた前回と同じように、それぞれ好き勝手にコーディの到着を待つことにした。
夕暮れに戻る、と言われたのにそれよりも随分早くに部屋のドアが叩かれ、コーディが姿を現した。相変わらず表情の読みにくい穏やかな笑顔を顔に浮かべている。秘密を共有している者であれば、その胡散臭さも心強い。
「お久しぶりです。随分早かったですね」
「いやぁ、よく来てくれたね。仕事でめんどくさい奴に絡まれていたから、帰る理由ができて助かったよ」
「お邪魔してすみません」
「いやいや、本当に面倒だったんだ。ちょうどよかった……、ところで、ユーリ君は来ていないのかな?」
「ええ。こちらの状況が分からなかったので、留守番をしてもらっています。師匠が護衛してくれているので、そちらは心配ないかと」
「ああ、そうなんだ。ヴィスタはよそ者がいても目立たないからね。どれだけ帝国の者が入り込んでいるかわかったものじゃない。それから先に一つ言っておくことがあったんだ」
コーディは一呼吸おいて、目をさらに細くする。
「昇級おめでとう。まさかこんなに早く特級になるとはね。アンデッドの大群を片付けたんだって? オランズの街じゃすっかり英雄じゃないかな。それに君たちも一級になったんだろう?」
「それって……、普通に知られてることなんでしょうか?」
「いいや。私が勝手に調べて、こっそり得た情報さ。基本的には本人の承認がないと外に出ない話だね。ただ、アンデッド騒動に関しては割と早くに耳に入ったから、ついでにそんな話があるんじゃないかって耳をそばだてていたんだ。ま、皆椅子に座るといいよ」
先にコーディが席に着くと、対面の椅子にハルカ達がずらっと並んで座る。
「君たちはやっぱり全員そっちに座るんだね。一人ぐらいこっちに来ようと思わないのかな?」
「いやー、交渉相手の顔は見えるようにしておきたいかなー」
「そういえばコリン君は最初から結構したたかだったねぇ。旅に出て磨きがかかったかな?」
「ふふん、ハルカ、褒められちゃった」
「褒められたんですか、今のは」
交渉慣れしている者同士の会話は難しい。ハルカは相手の顔色を窺いながら話すタイプなので、一足で相手との距離感を詰めていくやり方を見ているとひやひやするのだ。
アルベルトとモンタナが置物状態で別のことをしているのはいつものことだが、今のところイーストンも静かだ。目を向けてみると、静かに口元だけで微笑んでいる。コーディから胡散臭さを抜いたような、アルカイックスマイルだった。
コーディもイーストンのことは気になっているようだが、こちらから紹介するまでは触れる気がないらしい。これを放置したまま話は進められない。
「コーディさん。こちらは、私達としばらく一緒に旅をした友人です。実力も十分にあり、信用できる人物なので今回同行してもらいました」
「なるほどなるほど。信用できるっていうのは、ユーリ君のことだね。いや、私もユーリ君のことは短い期間だけれど我が子のように思っているからね。頼りになる人物が増えるのは良いことだと思うよ」
腹の探り合いのような返答だ。
コーディは今回の本題がユーリのことではないと知っていながら、話の本筋を逸らそうとしている。あくまで自分からは情報を出せないというスタンスなのだろう。この場合、それとなく水を向けるのはハルカの仕事だ。
「コーディさんは、〈オランズ〉の東に何があるかご存知ですよね?」
「もちろん。〈オランズ〉は木工の街だからね。それを支える豊かな森が広がっているよ」
「ではその先に〈忘れ人の墓場〉と呼ばれる不毛の地と、〈暗闇の森〉と呼ばれる大森林が広がっていることも?」
「うん、なんだか聞いたことがある。今回のアンデッド騒動はその辺りから溢れ出てきたものなんだろう? ……いったい何故いきなりそんな事態が起こったのだろうね? もしかして、その先にあると言われる〈混沌領〉の破壊者の仕業かな?」
「……いえ、恐らく違います。それはさておき、〈混沌領〉と〈オランズ〉は、〈暗闇の森〉に潜む大量のアンデッドにより、長年隔てられていました」
「おや、まさか破壊者と接触したのかい? だとしたら、教会として一肌脱がなければ……」
「コーディさん」
茶番を続けようとするコーディの言葉をハルカは遮った。コーディはゆるりと笑みを深め、立ち上がり廊下に向かう。外にいる者に席を外すよう伝えて、扉をしっかりと閉めると、そこに鍵をかけた。
「うーん。そちらのお兄さんは、顔色一つ変えないねぇ。仕方ないなぁ。それで、ハルカさん。もしかしたら会話の通じそうな破壊者でも見つけたのかい?」
「……はい。今回はそれも含めていくつかの話をするためにここに来ました」
「わざわざ連れてきたということは、そちらのお兄さんも何か一枚噛んでいるんだろう? そろそろ正体を明かしてくれないと、私も恐ろしいのだけれどね」
「……悪かったね、様子を見てばかりで。ハルカさん、僕の話は僕がするよ」
コーディがお手上げで一歩引いたところで、ようやくイーストンが口を開いた。コーディの方がハルカに極秘の依頼をして積極的に働きかけていた以上、この結果になったのは当然とも言えた。イーストンの粘り勝ちだ。
「僕の名前は、イーストン。吸血鬼と人間の混血児です」
「…………ここは素直に言っておこう。いや、驚いた」
コーディは椅子の背もたれに身体を預け目を丸くする。それからじっとイーストンを見つめ、大きく感嘆の息を吐いた。