猛犬注意
屋敷というのはそんなにすぐに建つようなものではない。綿密な計画を立てて、人と資材を集める必要がある。
その間にハルカは、周囲の環境を整えた。〈忘れ人の墓場〉は今でこそ土と岩しかない場所だが、かつては街が栄えていた。土砂を掘り返せば、かつてのように川から水を引くこともできる。
一人で公共事業のようなことをやっている現実に、ハルカはひどい違和感を覚えていたが、できるのだから仕方がない。専門家の意見を聞きながら、拠点の縄張り近くまで川をひき、別の川へ繋げるという循環を作ることができた。
そうこうしているうちに冬を越しやがて春が来る。不毛の地であった〈忘れ人の墓場〉にも、数百年ぶりの春が訪れた。
これまで命を吸い取られ続けてきたことに復讐するかのように。あちらこちらにたくましく新緑が芽吹き、岩土の露出が少なくなる。点々と建てられた職人達や木こり達用の簡易小屋。〈忘れ人の墓場〉は、数ヶ月前とは打って変わった賑やかさとなっていた。
ある日ハルカとコリンが、街に買い出しに向かった時だった。門番の一人から声をかけられる。
「あれ、ハルカさん達を訪ねて街に来た人がいたんだけど、途中で見かけなかったかい?」
「訪ねてですか? 空を飛んでいたので気づきませんでした。どんな人です?」
自分達を訪ねてくる人なんてそうそういないはずだ。もしかしたらユーリの関係かもしれないと思い、少し警戒しながら尋ねる。
「あー、いや。なんか色白で黒髪黒目の、妙に顔の整ったにーちゃんだよ。体の線が細いから、最初は女性かと思ったんだけどね」
ハルカとコリンは顔を見合わせる。思い浮かべた人物は同じだったようだ。
「いつですか?」
「いや、もう一昨日になるかな? 早けりゃそっちに着いてる頃だと思うんだけどな」
「ありがとうございます。用事を終えたら戻って確認しますね。知り合いで間違いないと思います」
「そりゃよかった。ま、乱暴そうな人には見えなかったからね」
ハルカ達は街に入り次々と食料を買い込んで、障壁で作ったカゴの中に放り込んでいく。物品の輸送もお手のものだ。
『冒険者をやるより商人をした方が絶対に儲かるのよねー』というのがコリンの見解だ。ここにきたばかりのハルカだったら喜んでそうしたかもしれないけれど、今は冒険者という仕事にも愛着を持っている。
コリンとしても、だから一緒に商人をしよう、というニュアンスではなかったので、ただの雑談でしかない。
拠点の方にはアルベルトやモンタナも残っているから、イーストンが来てもちゃんと出迎えてくれるはずだ。それでも、折角だから早く再会したいと思っていた二人は、急いで買い出しを済ませるのであった。
◆
愉快で心地よい彼らが、功績を重ねて出世していると聞いて、イーストンはとても気分が良かった。
なぜ街から遠く離れたところに拠点を作るのかはわからないが、きっと何か考えがあってのことなのだろうと思う。たまに街に来るらしいから、待っているのも手だが、待機中にすることもない。
だからイーストンは〈斜陽の森〉をやや早足で歩いていた。
正直なところ、あの保護者然とした獣人であるノクトがいない状態の彼らは、トラブルを必要以上に誘引しそうで心配だった。自分が会いに行った時には、碌でもないことになっている可能性まで考慮していたが、思ったよりうまくやっているようだ。
彼らの冒険の話を聞きたかったし、別れの時に泣きだしてしまったユーリとも早く再会したかった。
そんな思いを持ちながら、そろそろ森を抜けようかという時に、物音がして身を屈める。
そっと茂みから音の方を覗くと、修道服のようなものを着た人物が、金棒で猪の魔物を殴り殺すところだった。
記憶を手繰ってみれば、あの見た目と武器には覚えがある。アルベルトと同様に、闘技大会に出場していた選手であったはずだ。必要以上に人とトラブルを起こしていたのをよく覚えている。
関わると厄介だと思い、そっとその場を離れようとすると、ぎろりと三白眼で睨みつけられ、足を止めた。
音を立てたつもりはなかったのに、どうしてバレたのか。そう思いつつも、隠れていても仕方ないので立ち上がって両手を上げる。
「誰だテメェ」
「イースっていう旅人。戦う意志はないよ。この先にいるはずの友人達に会いに来たんだけど」
「…………ハルカか?」
「ああ、知ってるなら話が早い。じゃあここを離れても良いかな?」
「……一緒に行く」
ずるずると巨大な猪を引きずって、イーストンの横を通り過ぎた彼女は、先を歩きながら振り返りもせずに脅しをかける。
「嘘だったらぶっ殺す」
「いや、いいけどさ。嘘じゃないから」
随分物騒な人に出会ってしまったと、イーストンは肩をすくめて後に続いた。
◆
「ただいま戻りました……けど、えーっと……。お久しぶりです、イースさん。なぜレジーナさんと焚き火を挟んで見つめ合っているんですか?」
「いやぁ、見つめ合ってるというか、監視されているというか……」
「……レジーナさん、モンタナとアルはどこに?」
「ユーリとナギ連れて川に遊びに行った」
「あ、はい。その、イースさんはちゃんと友人ですので、えーっと……警戒していただきありがとうございました」
ハルカがそう言うと、レジーナはふいっと顔を逸らして立ち上がり、そのままどこかへ歩いて行ってしまった。
「なんだろうね。確かに突然僕みたいなのが現れたら怪しいものね」
「あ、いえ、すみません。どうもすれ違ってしまったみたいで。改めまして、お久しぶりです、イースさん」
「うん、久しぶり。元気そうだね」
イーストンはうっすらと笑い挨拶を返してくれる。相変わらず幸が薄そうで儚げな、そして女性にとてもモテそうな笑顔だった。