彼の転機
ラルフは頭をがりがりと掻いて、息を深く吸った。感情が乱されると思考が鈍ることはよく知っている。ゆっくりと肺を空っぽにしていく。
「……えーっと、俺は拠点に戻って残党狩りに参加してくれる冒険者を募ります。この状況だったら、集まっている冒険者の大半は来てくれる時じゃないでしょうか。できれば、まとめてハルカさんにここまで運んでいただきたいのですが、可能でしょうか?」
「あ、いいですよ」
答えてからはっとして、コリンの顔を窺うと、特に反対は無さそうだった。目が合うと解説までしてくれる。
「今回の依頼では、もう貰えるもの貰う約束してるからねー。えーっと、私たちはここで待ってた方がいいかな?」
「っつーか、こいつ帰していいのか?」
アルベルトが親指でイルの方を指さした。ずっと黙って話を聞いているが、イルだって不安があったはずだ。放ったままいなくなるのは、あまりに不親切だ。
「いいんじゃないでしょうか。念のためどこに行けばイルさんに会えるのかだけ知りたいのですが。これから連絡を取り合う必要も出てくるかと思いますし」
「空を飛べるのなら、暗闇の森を山へ向けて飛べばすぐに目につくはずだ。イル=ハの名を出して訪ねてきてくれればいい。できるだけ各族長に話を通しておく。もし話を聞かないような奴がいても、一対一で戦いに勝てば話は聞くようになる。それが俺たちのルールだ」
「わかりました、そのようにします。では、私はラルフさんを連れて拠点へ、イルさんは国に戻り、私たちの状況を伝えてください」
イルは自分のつるりとした頭を撫でながら口を開く。
「……人間にとって俺たちリザードマンは警戒すべき異種族だろう。事情を知った俺を本当にそのまま帰していいのか?」
レジーナがじろりとイルを睨む。
「嘘ついたら全員ぶっ殺す」
「そういう態度の方が清々しくもある。他の者はどうなんだ」
「俺はレジーナと一緒」
「二人の意見はともかく」
乱暴な二人の意見をフォローするように、ハルカは言葉をつなげる。
「人間だって、信用のならない人はいます。短い間でしたが、イルさんは信用に値する相手であるように思えました」
イルは尻尾でべしんと地面を叩く。何か怒らせるようなことを言ってしまっただろうかと、ハルカが身を硬くした。
「先ほど空の上で、モンタナ殿にも似たようなことを言われた。その気持ちは絶対に裏切らんと、この尾に誓おう」
杞憂だったようだ。
言い方から察するに、リザードマンはその尻尾を自慢としている種族なのかもしれない。独特の言い回しではあったが、その熱意だけは伝わってきた。
踵を返したイルは、背中越しに大きな声でハルカ達に告げる。
「また会おう、良き人間たちよ」
その後姿を見送っていると、コリンとラルフがハルカの隣に歩いてくる。
「私さー、破壊者って、もっとやばいの想像してたんだよね。それこそ巨人みたいなのばっかりだと思ってた」
ハルカも本を読んだ限りではそんな印象だった。歴史によれば破壊者達との戦いのせいで、人の数はかつての十分の一以下になっているとも言われている。
自分たちが特異な例にばかり遭遇しているのか、それとも、自分たちの知らない何かがあるのか。少なくともリザードマンに対する認識は覆ってしまっているし、かつての人間が非人道的な魔道具を使用したのも知ってしまった。
いくら追い詰められていたとはいえ、無差別に死体をアンデッドとして戦わせようという発想は、かなり狂気じみているように思う。急に準備して作れるようなものとも思えないから、恐らく、追い詰められる前から使うことを想定していた魔道具だ。
「……俺も、あんなにまともな破壊者がいるとは思ってなかった。だからと言って、俺みたいな弱い奴は相手の人格確認してから戦うわけにはいかないんですけどね。……えーっと、ハルカさん、それじゃあ運んでもらってもいいですか?」
「そうですね、行きましょうか。誰か一緒に来ます?」
「私は一応行こうかなぁ。交渉とかあるかもしれないし」
「行って戻るだけだろ、めんどくせぇ」
「ここにいるです」
アルベルトは素振りを始めて、モンタナは石を削り始めた。レジーナはナギとユーリがうろうろしているのについて歩いている。護衛をしてくれているのかもしれない。
あるいはナギに向けて歩いてきたアンデッドを狩るために一緒にいるだけの可能性もある。なにせナギは大きいので、遠くからでもよく目立つ。アンデッドが寄ってくるとしたら、彼女のところだろう。
空に浮かびできるだけ速度を上げて拠点へと向かう。
ラルフの表情が少し曇っているのが気になった。何か声をかけようかと思っていたハルカより先に、コリンが口を開く。
「ラルフさんはさー、冒険者の中じゃまともな方だと思うんだよね。だからラルフさんみたいな人が上に立ってくれたら、多分みんな働きやすいと思うよ」
「……急になんだ?」
「なんか元気なさそうだからさー、一応思ったこと言っただけ。いくら強いからって、ハルカが支部長だったらちょっと不安だもん」
良いことを言うなぁと思い、黙って頷いていると、突然名前を出された。
「……コリン、なんか直したほうがいいところがあれば言ってください」
「あ、違う違う。そういうんじゃなくて、ハルカはそのままでいいの。でも冷静に物事決められる管理者にするには頼りないじゃん。向き不向きの問題だから」
じゃんと言われても困る。確かにそうかもしれないが、四十代半ばにしてその評価は心に来るものがあった。
「実は……、今支部長に補佐をやらないかと誘われてるんですよね……。ハルカさんはどう思います?」
「あなたが嫌でないのなら、やってみる価値はあると思います。いずれ支部長にということでしょう? ラルフさんがそうなるのなら、私は協力を惜しみませんよ。そうなればようやく恩を返せるかもしれませんし」
「恩だなんてそんな。……そうですね、やってみようかと思います。コリンさんも、ありがとう。決心がついた」
ラルフはまじめな顔で、じっと街の方を見つめた。