スタート地点
のんびり眠っている場合でも無くなってしまったので、ハルカは夜の空を飛んで戻る準備をする。
眠たそうにしているナギを、無理に起こして飛ばすのもかわいそうだ。ハルカは特別大きな障壁の籠を作り出して、全員そこに乗ってもらうことにした。
ユーリやナギはまだまだ子供だ。夜はちゃんと眠ってもらいたい。
イルはおっかなびっくり障壁の中に乗り込んだ。そしてそれが宙に浮かぶと、しっかりと縁を手で掴んで震えた声でハルカに声をかける。
「なんと、空を飛び籠を浮かす大魔法使いだったか。数十年前にそんな魔法使いととびきりの剣士が、俺たちの集落を訪れたと聞いたことがある。まさかその御人か?」
「いいえ。私ではありません」
「では、それほどの魔法使いが人間たちの中にはごろごろいるというのか!?」
「いるわけねぇだろ」
ぶっきらぼうに答えたのは、ハルカではなく、レジーナだった。レジーナはイルに対して少し気安い。一度武器を交えたからかもしれない。
「そうか。人間の中には例外もいると聞いたが、それにあたったのだな」
イルはしみじみとそう言って、目を閉じて座り込んだ。
ハルカは空を見上げて月の位置を確認する。それは自分が眠ってしまった時から、さほど場所を移していなかった。せいぜい二時間程度だろうか。
それでも拠点や街に着くのは真夜中になってしまうだろう。そんな時間に叩き起こすのは忍びないが、緊急事態なので仕方がない。
せめてあまり遅くなりすぎないように。そう思ったハルカは、ほんの少し飛ぶ速度を上げた。
拠点に残っていたラルフは、よく眠れない日々が続いていた。腐れ縁であるシャフトから報告を受けてなお、それは続く。
ハルカのことを心配しているのはもちろんのこと、街の行く末を自分よりも一回りも若い冒険者たちに任せてしまったことに、罪悪感を覚えていた。
どうして自分には力がないのだろう、と遥か昔に忘れたはずの思いが再燃してくる。
寝転がって空を見上げていると、少し離れた場所に、空を飛ぶ人影が見えた。それは拠点としている場所より少し手前にゆっくりと降りてきている。
ラルフは体を跳ね起こして、ハルカが降りた地点へ早歩きで向かった。途中で不寝番をしている冒険者に声をかけて、その場を維持するように頼む。
少し離れた場所で降りたということは、戻ってきたことを隠したがっている可能性もある。責任者として、自分だけがまずコンタクトを取るべきだと思った。
「でも突然連れて行ったらきっと驚きますよ。ちゃんと説明した上で来てもらったほうがいいんじゃないでしょうか」
「……もう来てるですよ」
気配を消さずに近づいてきていたラルフに、最初に気がついたのはモンタナだった。その時にはすでに、遠目に互いの姿が見えてしまっている。
当然リザードマンであるイルを隠す暇などない。
ラルフはその姿を見て一瞬身構えたが、ハルカと初めて会った時のことを思いだし、剣を抜くのを堪えた。努めて冷静に、一定の距離を保ったまま問いかける。
「ハルカさん、いったいこれは?」
ハルカのほっとしたような仕草に、ラルフは自分の選択が間違っていなかったことを確信する。背の高いリザードマンと呼ばれる破壊者も、ラルフの姿を見たからと言って、武器を構えるようなこともなかった。
彼らの中でもう話はついているのだとわかる。
今度は失敗しなかった。
ハルカのようにあからさまではなかったが、ラルフもそっと胸を撫で下ろすのであった。
「順を追って説明します。ラルフさんなら落ち着いて対応してもらえると信じていました。音を立てていないつもりだったのですが、よく帰ってきたことに気がつきましたね」
「たまたま空を見上げていたので」
イケメンは何を言ってもカッコがついていいなぁ、とハルカは関係ないことを考える。昔の自分が同じことを言ったら、鼻で笑われそうだと思った。
しかしラルフが出てきてくれてよかった。別の冒険者に見られていたら、もっと騒ぎになっていたような気もする。一瞬ピリリとした雰囲気になったが、柄にかけられた手はすぐに外され、落ち着いた話し合いの場が設けられる。
急に破壊者を連れてきたのに、ラルフは、ハルカ達のことを信頼して、事を荒立てないでくれたのだ。
信頼を裏切るわけにはいかない。
ハルカは「少し長くなりますが」と前置きした上で、シャフトが離れた後のことを詳細に話した。
アンデッドの殲滅率、〈忘れ人の墓場〉の中心に向けて集まる魔素、リザードマンとの遭遇と、飛龍に乗った人のこと。
ラルフは口を挟まずにそれを全て聞いた上で、ため息をついた。
「ちょっと俺の手に負える話ではなさそうです。支部長と合流しましょう。申し訳ありませんが、今晩は少し離れた場所で待機してください。俺が明日支部長を連れてそこに向かいます。他の冒険者に見つからないようにしてください。ハルカさん、最初に会った湖の場所を覚えていますか? 明日あそこで合流しましょう」
「いいんですか? お気に入りの場所なんでしょう?」
「構いません。あそこは俺以外に誰も来ないので、隠れるのにはちょうどいいはずだ。あまり長く離れていると不審がられるので、この辺で」
そそくさとその場を後にするラルフを見送ることなく、ハルカたちも再び夜の空に浮かび上がる。
ハルカは〈斜陽の森〉の地図をなんとなく頭に思い浮かべて、ラルフとあった湖の方向へと向きを変えた。
ぽっかりと森が開けているはずだから、近くに行けば見つけることは容易いはずだ。
「そういえばハルカって、一番初めはラルフさんと出会ったんだったっけ」
障壁の籠の中で、誰に言うでもなくコリンがポツリと呟いた。