無人の野を行く人たち
ハルカはアンデッドたちの無機質な視線を身に受けながら、しばらく飛行する。わざと障壁の傍をぐるりと回ってから、後をついて来られるくらいのスピードで移動していく。
この辺りにいるのは、いわゆるゴブリンやオークと呼ばれる、比較的数の多い破壊者たちだ。一体どれくらいの間、アンデッドとして森の中を彷徨っていたのか。
それを考えると、敵対すると言われる種族のものたちであっても同情してしまう。死後自分の体がこんなふうに歩き回るのは気分が悪いし、まして意思なんかが残っていたら地獄だ。
ハルカはそんな考えを振り払うように、少し高さを上げて、首を振った。障壁の周りにいるアンデッドたちを集めることができた。ハルカの足元にだけ数百のアンデッドが集まり、その周りにはポッカリ空間が空いた。逆ドーナツのような形だ。
ゆらゆらと揺れるアンデッドは足元からゆっくりと動きを止める。やがてその集団の全てがハルカを見上げた姿勢のまま、氷の彫像と化した。ハルカはそれでもしばらく、アンデッドたちを冷やし続け、大きく息を吐いてから、巨大な石で氷の彫像をまとめて押し潰した。
ぴしり、ばりばり、と砕ける音がする。肉体が壊れるような、あるいは液体が吐き出されるような、はたまた空気が漏れ出すような、そういった生を感じさせる音はそこには一切なかった。
ただ死んでいたものが、そこから消えて無くなった。それだけの結果がそこには残った。
落とした岩を消すと、細かな氷のかけらが日の光に反射する。ハルカが腕を振るって強い風を吹かせると、それはサラサラと転がり、あるいは飛んで〈忘れ人の墓場〉のあちこちへと散らばっていった。遠くにいるアンデッドたちは、自分の同胞が数百体消えて無くなったことにも気づかない。
当然だった。彼らは仲間などではなく、ただ生きているものを襲うように決められただけの存在なのだから。
とにかく準備はできた。これだけのスペースがあれば、障壁を消してもすぐにはアンデッドに襲われない。レジーナたちも自由に暴れられるはずだ。
ハルカは頭を切り替えて、障壁の正面部分を消した。
やる気満々で待機していた三人だったが、いざ外が見えてみれば、周りはずいぶん綺麗になってしまっていた。拍子抜けしながら歩いて出てきたのに合わせて、ハルカは着陸し障壁を張り直す。
「さ、行きましょう。露払いは済みました」
ハルカは緊張していた。この作戦で自分がなにかひどく間抜けなことをすると、全員の命が危ない。今までだってそうだったが、今回は特にその比重が大きいような気がしていた。
「露払いって言うには倒しすぎだよね」
ポツリと言って周りを見渡すシャフトと、勝手にガンガン前に歩いていくレジーナ。それについていきながら、アルベルトはハルカに声をかけた。
「おい、ハルカ。あんま心配すんなよな。少なくとも、竜の時よりは俺も強くなってるぜ」
アルベルトは割と強くハルカの背中を叩く。ハルカが驚いていると、それを見てアルベルトが笑う。
「まだ追いつかねぇけど、これ乗り越えればまたちょっとは強くなるだろ」
「……そうですね。やりましょうか」
レジーナが最前列にいたアンデッドの頭を数体まとめて吹き飛ばしたのを見て、アルベルトも走って補助に向かう。
「なんか、大きくなりましたね、アル」
そう呟いて、ハルカは空に浮き上がった。
鎧袖一触。
レジーナの進行は、まさにそれだった。触れた瞬間には、肉片が、骨が、血が舞う。近くにいると自分の方にも飛んでくるので、ハルカは途中で高度を少し上げたくらいだ。
前は次々と倒すのだが、それでどんどん進んでしまうせいで、左右や後ろからもアンデッドが迫ってくるのだが、それをうまいこと三人でカバーする。
アルベルトが剣でアンデッドの頭を斬り飛ばし、シャフトが槍で顔面に大穴を開ける。後方から近づいてくればハルカが数体まとめて魔法で弾き飛ばす。
一箇所で戦わず、常に走るくらいの速度で移動し続けているおかげで、仕留め損なったアンデッドが戦いの邪魔になることもない。
なかなか良いペースだった。大体二、三秒に一体、単純計算で一時間で千体近くは倒した計算になる。
そうして一時間、予定通りに事は進んでいた。
しかしそれから少しして、最初に限界が来たのはアルベルトだった。振るった剣の一閃でアンデッドの頭を切り飛ばせずに、途中で止まってしまったのだ。胴体を蹴りつけて無理やり剣を抜いたアルベルトを見て、ハルカは声をかける。
「休憩します!」
「まだいける!」
「いいから止まって!! 周りにいるアンデッドを殲滅してください。空間ができたら障壁を張ります!」
すぐさま返ってきたレジーナからの返事に被せるように、ハルカも大きな声を出した。グッと歯を食いしばったレジーナは、進むのをやめて、周りにいるアンデッドを倒すよう動きを切り替えた。
「障壁張ります!」
三人の周りだけにポッカリと空間ができたところで、ハルカは障壁をめぐらせた。安全を確保してから、元いた位置を確認すると、ずいぶん離れてしまっている。戻りにはまた同じくらいの戦闘をする必要がありそうだ。
ハルカは上から障壁の中に入り込み、すぐにアルベルトに治癒魔法をかけた。
「もう少し早く声を上げてください」
「悪い、まだいけると思った」
「次からはお願いします。レジーナさんとシャフトさんも治癒魔法を使います」
レジーナが壁の方を向いて反応しないので、先にシャフトに治癒魔法をかける。シャフトはいつもと変わらない表情をしていたが、障壁を作ってからは、アルベルト同様その場に座り込んでいた。
「君たちさ、本当に二級冒険者? 嘘ついてるでしょ。僕だって結構きつかったんだけど」
「俺よりは余裕がありそうだけどな」
「そりゃ新米二級冒険者に負けるわけにはいかないでしょ。でも、あっちはちょっと怪しいね」
顎でレジーナの方を示して、シャフトは大きく息を吐いた。肩に手を当てて、治癒魔法を使うと、今度は目を大きく見開く。
「……なにこれ。疲れとか無くなったんだけど」
「まだいけそうですか?」
「うん、まぁ、いけそうかな」
手足の具合を確認しているシャフトを置いて、今度はレジーナの方へ向かった。背中を向けたままでいるのをみて、拗ねているのかと思う。
「レジーナも、元気かもしれませんが治癒を」
「……あいつ危なかったのか?」
返事をしないので、そのまま肩に手をかけると、レジーナから問いかけられる。
「あいつって、アルですか? 疲れは出てましたね」
「そうか」
ハルカの治癒魔法を受けてから、レジーナは振り返り、アルベルトの方へ向かう。案外反省でもしていたのかもしれないと思い、黙って見送る。
「疲れたら言え。見えねぇからわかんねぇんだよ!」
「……は? 何言ってんだ突然」
目も合わせずに言い放ったレジーナに対して、アルベルトの目つきが剣呑なものになる。
悪気はないのだ、多分。それを伝えるために、ハルカは慌ててその間に入った。
「一緒に戦うものとしてちゃんと連携を取りましょう、って言ってるだけです。文句言ってるわけじゃないですからね」
「ふぅん……、じゃ、そう言えばいいじゃねぇかよ」
アルベルトが言うと、レジーナはフンッと鼻を鳴らしただけだった。
「おい、本当に今言った通りなのか? あいつ態度悪いぞ」
「集団行動に慣れてないんです。照れてるだけです」
「……ぜってーちげぇと思う」
文句を言いながらも折れてくれたアルベルトに、ハルカはほっと胸を撫で下ろした。実際、もし疲れていると分かれば、最初から言うことを聞いたのに、という意味だろうから、連携を取る気はあるのだ。
多分謝ったり、自分から折れると言うことを知らないだけのはず。悪いと思っていなければ、彼女は堂々としているはずなのだから。
この件が終わったら、謝り方を教えてあげなければいけないなとハルカは思うのだった。