力の差
月明かりだけに照らされて、ハルカ達は夜の空を飛ぶ。ナギが困っている様子はないので、恐らく夜目が利くのだろう。大竜峰にいた中型竜たちは、夜になると巣穴に戻っていた記憶がある。竜の生態にもいろいろあるようだ。
ユーリはすっかり眠ってしまっていたが、ナギはきちんとついてきている。いざとなれば何とかして運んでいくつもりだったが、どうやらその心配もなさそうだ。
遠くに大きな焚火が見える。ハルカがゆっくりと高度を下ろすと、ナギも少し遅れてその後に続いた。
もう深夜といってもいい時間だというのに、ハルカ達の姿に気がつくと、数人の冒険者が焚火の傍まで迎えに出てきてくれた。
この偵察は、元々明日の昼前までに戻ってくる予定だった。予定を随分繰り上げての帰還に、冒険者たちは異常事態の発生を悟っていた。
エリと並んで、コリンもハルカ達を迎えに起きてくる。
「随分早かったですね、何かありましたか?」
「はい。すぐに聞きたい人だけ集まってもらえれば、説明します。皆にいつ伝えるかは、ラルフさんが判断してください」
「……聞きましょう」
ラルフが大きな地図をもってきて、地面に広げた。焚火の明かりだとゆらゆらと揺れて、詳細が見えにくい。しかしそれで十分だった。
ハルカは地図の一部を指さす。
「この辺りから満遍なく、〈忘れ人の墓場〉までアンデッドが大量にいました。はっきりとした数は分かりませんが、控えめに言っても一万以上です」
ラルフが沈黙し、ヴィーチェが表情を硬くした。オウティが、引きつった笑みを浮かべて確認をする。
「まさかビビッて数え間違えたなんてことはねぇよな?」
「上空から数えるのには慣れていませんが、百と一万を間違えたりはしません」
「だろうな。……ラルフよ、なんか手はあるかよ」
「……皆さん一人で何体までなら倒せますか?」
「わかっていて聞いてますわよね? 数十体相手で広い場所ならともかく、怯みも恐れもしない数百体に群がられては大したことはできませんわね」
「癪だが同意見だ。今のうちにオランズから住民を避難させて、特級に泣きつくのが正解じゃねぇのか」
今までやりの穂先を指で弾いて、涼しい顔をしていたシャフトが顔を上げる。
「ま、僕なら千体はやるけどね」
「お前の誇大妄想は聞いてねぇんだよ」
「そんなことより、なんでアンデッドがこっちに出てきたんだろうね。僕らだって〈暗闇の森〉は突かないように気を付けていたはずだよ。向かって戻ってこない冒険者も多かったからね」
「今はそんなことどうでも良いですわ」
「えー、でも気になるよね」
オウティは舌打ちをし、ヴィーチェは肩を竦め、シャフトを構うのをやめた。
「ハルカさん。あなたのご師匠がこの辺りに来ているなんてことはありませんの?」
「どうでしょう……? 仕事を終えたらまた会いに来るようなことは言っていましたが、来るにしても早すぎるかと」
ハルカの返答を聞いたヴィーチェは、また口元に手を当てて考え込んでしまう。
ここに来るまでのハルカは、どう処理をするべきなのかと考え、事態をあまり重く見ていなかった。アルベルトが数体のアンデッドを短い時間で殲滅するのを見ていたし、ヴィーチェが華麗に巨人のアンデッドを討伐するのも見た。
戦いの素人であるハルカは、危険ながらもなんとかなるレベルの問題だと思っていたのだ。
しかし彼らの意見を聞いてみれば、いかに危険なく対処できるか、ではなく、撤退について考えているように聞こえる。彼らほどの冒険者がそう考えるということは、きっとそれだけの大事なのだと、ハルカはここで初めてしっかりと認識した。
みんなが黙り込んでいると、焚火の奥から目の据わったレジーナが金棒を引きずりながら歩いてくる。おそらく寝起きなのだろう、表情は不機嫌そうだ。
地図を見て、ハルカを見て「なんだよ」と呟く。
その呟きを『帰りが早いけど何かあったのか?』という質問と捉えたハルカは、今見てきたことについて説明をしてやった。
レジーナはあまり顔色を変えずにそれを黙って聞き、難しい顔をしている冒険者たちを見渡した。
「ハルカに手伝わせりゃなんとかなんだろ。あたしも戦う。いい訓練になんじゃねぇの」
「いや、いくらハルカさんだってこの数じゃ……」
「ビビってんならこなきゃいいだろ。……お前らも逃げんのかよ?」
ラルフの否定に、レジーナは歯をむき出しにして笑う。初めて見たときと変わらない凶悪な笑いだった。
そうしてハルカの仲間たちに向けても、挑発的な言葉を投げつける。
「は? 逃げるなんて言ってねぇだろ」
アルベルトがこれに乗らないはずがない。
「……まぁ、皆がやるっていうなら付き合うけど」
「やるですか」
「じゃあ決まりだな。よぉ、報酬は全部おいてけよ、雑魚ども」
段々と目が覚めてきたのか、レジーナの目が爛々と輝きだす。勝手に進んでいく話に、ハルカは慌てて待ったをかけた。
「ちょっと待ってください。勝算はあるんですよね?」
「障壁で安全な場所作ってそこから出撃。戻ってきた人は治癒してまた戦う。障壁が持ちそうになければ、一回空に離脱して仕切り直し。これでなんとかならない?」
「なんとか……、まぁ、なる気がしますけど」
コリンの説明を聞いて、動きはなんとなく想像がつく。中が見えないような障壁を張っておけば、アンデッドたちが無闇矢鱈と障壁を攻撃してくることもないだろう。
ハルカ達がやる気を出している中で、オウティは首を振った。
「俺はなんて言われようとごめんだ。一抜けさせてもらう。うまくいけば俺たちの分の報酬は全部お前らに譲ってやるよ」
「私も、今回は申し訳ないですが不参加ですわ。クランに対する責任もありますもの。ハルカさん、無理せずに逃げるんですわよ。でも、案外ハルカさんならなんとかするかもとは思いますわね」
ヴィーチェも申し訳なさそうな顔をしながら、はっきりと不参加の表明をした。
エリは下を向いていたが、この作戦が無謀であると判断してるのは間違いなさそうだ。
「僕はついて行きたいかな」
そんな中で参加表明したのはシャフトだった。先ほど強気な発言をしていたことからもわかるが、よほど自信があるのだろう。いつも一人で行動しているので、仲間もいないのかもしれない。
「他にいなきゃ決まりだな。いつ行くんだ、今からか?」
「いえ、一度休ませてください。今日はずっと飛んでいましたから」
「そうか、じゃあ明日だな」
前のめりになって尋ねるレジーナをハルカが宥める。随分と聞き分けよく、あっさりと引き下がってくれた。
後方でナギとアルベルトが同時に大あくびをする。もういい時間だ、そろそろ休んで明日に備えたい。
「ハルカさん。一応、明日の朝もう一度話だけしましょう」
「わかりました。では今日はこの辺で」
「はい、おやすみなさい。……オウティさん、仲間を貸してください。この件について街への伝令をお願いします」
「いいぜ、本当ならうちのクランにも連絡付けてぇからな」
ラルフは、オウティに頼みごとをしてから、その場に腰を下ろした。地図をじっと見つめ、アンデッドの大群を想像しながらピンをいくつも刺していく。
しかしやがてため息をついて、そのピンを全て引き抜いた。
ラルフは今日も、自分の冒険者としての力の無さを、一人静かに嘆いていた。