救援
ゆるゆると空を移動していく。
まだ慣れていないため、その速度は決して速いものではない。感覚的には、青い猫型ロボットがよく使う空を飛べる秘密道具くらいの速度だ。
人が平地で小走りするより少し速いくらいだ。それでも足元に気を使ったりしないで良い分、地上を行くよりは随分と速い。
腕の中にいるヴィーチェが随分と静かなのが心配で、一度声をかけてみる。あちらからよく触れてくるので気軽にお腹に手を回してしまったが、もしかして不快だったろうか。それとも空を飛ぶのが怖かったのかもしれない。
「ヴィーチェ、大丈夫ですか?」
「はい、大丈夫ですわ。でももっとギュっとしてくださってもいいんですわよ?」
なぜだか背筋がぞっとするものがあって、手を離してしまいたい気分に駆られたのだけど、恐らくそれは、夜の空が寒いせいだ。もしかしたらそのせいで体温を感じたかったのかもしれない。
悩んだ末に現状維持を選択し、仕事に集中する。
モンタナなら、きっと遠くからでも自分の姿を見つけて、何かしらの反応をくれるはずだとハルカは思う。実のところハルカだって、モンタナやコリンがどうにかなってしまった等とは思っていない。
数体のアンデッド相手にどうにかなるような仲間ではないはずだ。仮に何かトラブルがあって、数十体のアンデッドを相手にしても、無事に逃げおおせるだろうと信じている。
逆に、だからこそ、戻ってきていない今が心配だった。あの二人なら大抵の状況でもなんとかできるはずなのに、なぜ戻ってこないのかが分からない。想像のつかないトラブルに巻き込まれている可能性が高かった。
空を飛んで二時間。おそらく慎重に森の中を進んだとしたらその倍以上はかかる距離を進んだ時、森の木の陰にチラリと明かりが見えた。その明かりは、ゆらゆらと揺れており、どうもハルカ達に向けてなんらかのメッセージを送っているようにも見受けられる。
「明かりが見えますわね。こちらに気がついているようですわ」
「ええ。降りて確認しましょう」
あまり速度を出し過ぎないように気をつけながら、ゆっくりと地上に向かっていく。地表が見えるようになると、大木を囲って何かがたくさん蠢いているのが見える。
人型のアンデッドが数体、それに狼型のアンデッドの群れが声を漏らさずハルカの方を見上げていた。何も考えていないのであろう空虚な瞳に一斉に見つめられると、酷く不気味だった。
明かりは大木の枝の上に見える。葉に隠れるようにしているが、そこから声が聞こえる。
「ハルカー、いるならこっちに来てー!」
コリンの声が聞こえた。
ハルカは地上に降りずにそのまま、声が聞こえた方へ向かう。近くに寄ると、太い枝の上に数人の影を見つけることができた。
まずヴィーチェを枝の上に下ろす。両足が着いたので、そっと手を離すと、彼女は不安定な場所にいるとは思えないほどまっすぐに立って、すぐにぐったりとしている皆の方へ向かった。
ハルカも空を飛んだままその横に移動する。モンタナとコリンが怪我をしている様子はなかったが、アルビナはそうでない。
どうやら気を失っているらしいアルビナを、糸目の女性が支えている。足から流れた血が赤黒く固まっており、体はピクリとも動かない。ヴィーチェが珍しく真面目な表情で、アルビナの足を見ている。その横では、コリンが、ぐったりとして目を閉じているエリの身体を支えていた。
「エリ殿は魔法を使い過ぎただけでござる。ただ、アルビナ殿は歩ける状態ではござらん。拙者が背負ってがむしゃらに逃げていたところ、そちらのお二人に遭遇して助けていただいた」
「そうですの。ではお二人には後でお礼をいたしますわ。なぜこのようなことに?」
「帰り道の途中、狼のアンデッドに見つかってしまったんでござるよ。奴らアンデッドのくせに群れで行動しているらしく、交戦になってしまったのでござる。拙者が胴体を両断したアンデッドが、這いずってアルビナ殿の下へ。面目ない。この件が済めば、腹を切って詫びるでござる」
「そんなことをしても誰も喜びませんわよ。一先ず逃げ切れただけよしとしましょう。とにかく、この場を脱します。ハルカさん、申し訳ないのですが、怪我人から先に運んでいただいても?」
「それはもちろん構いませんが……。先に、足を治しても?」
「治す……? 治癒魔法を使えるんでしたわね。魔法に関してはそれほど詳しくありませんけれど、帰り道は大丈夫ですの?」
「大丈夫です。ちょっと失礼しますね」
ハルカは宙に浮かんだままアルビナに近寄ると、その足に手をかざして治癒魔法を使う。半分嚙み千切られかけて、骨が露出しているような怪我が、見る間に塞がっていく。血を流しすぎて色を失っていた肌も、ゆっくりと常のように戻っていく。
ハルカはアルビナの治癒を終えると、そのままエリの方に移動し、そちらにも治癒魔法をかける。意識を失っている彼女の表情が和らいだのを見て、ハルカもほっとする。助けに来てよかった。
「ハルカー、来てくれて良かった。もうちょっと待ってダメだったら、下を無理やり突破しようと思ってたんだ。じゃないとアルビナさん、間に合いそうになかったから」
「まさか本当に救援が来るとは思わなかったでござるよ。疑って申し訳ない。まさか空からとは……。拙者、助けてもらった身でありながら、お二人のこととハルカ殿のことを信じ切れず、下の突破を主張し続けていたでござる。重ねて申し訳ござらん」
「あ、いえ、お気になさらずに」
糸目の女性は、木の枝の上で土下座をしてくる。いくら太いとはいえ、すさまじいバランス感覚だ。ハルカは思わず、相手に合わせて頭を下げた。飛びながら腰を折ると、どうも格好がつかず変な感じだ。しかも下を向いたせいで、無機質なアンデッドたちの瞳と目が合ってしまう。
それが気持ち悪くて顔を上げると、糸目の女性はまだ土下座したままだった。
「あの、本当に構いませんので、頭を上げてください」
ハルカの言葉に、ようやく姿勢を直した女性は、まっすぐな目でハルカを見つめる。
「拙者、カオル=カジと申します。このご恩は必ずお返しいたす。街に戻ったらなんなりと申しつけください」
「あの、本当にお気になさらなくてもいいですので……」
あまりに礼ばかり言われると、かえってこっちが恐縮してしまう。どう断るべきか考えているところに、ずしんと地面が鳴る音が聞こえた。
それは少しずつハルカ達の方へと向かってきて、やがて木をかき分けるようにそれは姿を現した。
十メートルはあろうかという巨人。そのアンデッドがじっとハルカ達を見つめていた。