訓練風景
「そういえばハルカさん、魔法の詠唱をするのはやめたんですか? 先ほど治癒魔法を使う時に何も言っていませんでしたが」
「……ああ、やめたんです。周りにどう思われるかよりも、大切なことがあると気づいたので」
もう長いこと詠唱せずに魔法を使用していたので、何を言われたのかもハルカは一瞬理解できなかった。それから、旅の途中まではしっかりと詠唱をしていたことを思い出した。
今は周りから普通と思われることよりも、どうしたら仲間たちに貢献できるかの方がよほど大事だ。わざわざ隙を多くする癖をつける必要なんてない。戦闘では一瞬の判断がものをいうことくらい、もう理解していた。
「ハルカさんは、随分冒険者らしくなりましたね。……本当は、ある程度の階級まで上がったら、一緒にチームを組んでもらえたらと思っていたんですけどね」
隣に座っていたコリンがハルカの腕に抱き着いて、ラルフの方を見る。ラルフとハルカは同時に笑った。
「そんなことしなくても、盗りやしないって。というより、盗れやしないかな。今更別のチームを組む気なんてないでしょう?」
「まぁ、そうですね。お世話になった手前、無理やり誘われたら断りづらいですけどね」
「嫌われたくはありませんから。……でも諦めたわけじゃないんですよね。ハルカさん、そのうちクランを立ち上げる予定とかは?」
「……まぁ、あるかもしれませんね。皆次第です」
「じゃ、その時は是非俺を誘ってください。それで我慢しますから」
「あ、その時は俺にも声かけてほしいんすけど」
「あんまり先の話はわかりませんが、その時はきっと」
最後だけ話に交じってきたトットをラルフが睨みつけるが、喧嘩は始まらない。二人の関係も以前ほど険悪ではないようだ。
「お二人は、前より仲がよさそうですね」
「……別に良くはないんす。今もムカつくくそ野郎には違いないんすけど、たまに一緒に仕事はするんすよ」
「……ま、戦闘の腕はあるので」
お互いに不満そうではあるが、認め合ってはいるのだろう。
トットは一緒に仕事をすることで、ラルフの冒険者としての実力を認めざるを得なかったし、ラルフはそもそもトットに対してそんなに思うところはない。組んでみれば、経験と実力が意外とよくかみ合ったのだ。
「あ、こいつのおかげってわけじゃないんすけど、俺、三級冒険者になったんすよ!」
「へぇ、それはすごいですね! かなり早い昇級なのでは?」
「ええ、おかげでようやく最近色々上手くいってましてね。……姐さんに会ってなかったら、多分こうはなってなかったっすよ」
「私は何もしてないですよ。トットの実力でしょう」
トットは首を振って、自分の膝を叩く。
「それが違うんすわ。姐さんにやられてから、世界の広さを知ったっつーか、色々反省したんすよ。嫌いな奴からも、技術を吸収してやろうって気にもなりましたし」
「せめて陰で言えよな」
ラルフが砕けた口調で注意するが、トットはそちらを見ることもしない。ただ、それは確かな関係性の改善に見えた。
二人が話している間、レジーナはずっと静かだった。
話を聞いているのかいないのか、黙々と食事をしている。よそ見をしていることが多かったが、たまにハルカ達に視線が向けられることがある。
文句を言うわけでも、話に入ってくるでもないのが少し不気味でもあった。
日が暮れる頃まで話をして、ラルフとトットは連れ立って街に帰っていった。話し足りないような気もしたが、どうせ明日にはまたみんなで冒険者ギルドに集まることになっている。今日一日ですべてを話し終える必要もないだろう。
てっきりレジーナも一緒に戻るものだと思っていたのだが、何故か彼女はハルカたちのキャンプ地に残っている。二人の姿が見えなくなってもレジーナは黙って座っている。
「あのー……、帰らなくていいの? 招待されたなら宿とか用意してもらってるんじゃない?」
恐る恐る声をかけたコリンが、ぎろりと睨まれて、慌ててハルカの後ろに隠れた。
レジーナは煙草を口にくわえて、ずだ袋のような荷物に肘をつき、体勢を崩した。完全に居座る気満々だ。
アルベルトはレジーナが寛いでいることをあまり気にしていないようで、いつも通り夕食の後の訓練を始めた。全身にできうる限りの身体強化を施し、限界が来るまでそれを続ける。モンタナがアルベルトに続くと、コリンもちらちらとレジーナを気にしながら、訓練を始める。
まるで集中できていないのは、傍から見ていてもわかった。
その間にハルカは魔法の訓練をする。
「ユーリ、お願いします」
「うん、……十一の十五」
ユーリが空を見上げたまま声を発すると、ハルカは瞬時に、定められた方角の定められた距離に光るだけの球を浮かべる。ハルカは自分を中心に座標を作り、目的の場所に素早く魔法を発動させる訓練をしているのだ。
自分で場所を指定するより、他人に言われた場所を狙う方がよい訓練になる。最近はいつも、ユーリに指定してもらっていた。
魔法が発動されるたび、レジーナが僅かに目を細める。ハルカの使用する魔法で動く魔素は、レジーナにとっては眩しいのだ。意図せず目くらましのようになっている。
訓練を続けていると、やがてアルベルトがその場で大の字に倒れる。冬の寒い時期だというのに、全身から汗を流して、びしょびしょになっていた。放っておくと風邪を引きそうだ。
ハルカは、訓練をやめた。
隣で汗をかいて息を吐いたモンタナに治癒魔法を使ってから、アルベルトのことも治癒してやる。ずっとレジーナのことを気にしていたコリンだけは余裕がありそうだったが、ついでに治癒魔法を使ってやる。
「よし、やるか」
すぐさま起き上がって剣を構えたのはアルベルトだった。
「ですね」
モンタナも立ち上がると、焚火からは少し離れた所にむかったアルベルトを追いかけた。
アルベルトはその辺で拾った木の枝で、地面に小さな円を描く。
モンタナが円の中に入って短剣と同じくらいの長さの棒を構えると、アルベルトも自分の剣と同じくらいの棒を構えて、それに向き合った。
唐突に打ち合いが始まる。円の中から出てはいけないルールでの、正面からの殴り合いだ。身体強化を延長し、棒が折れないように強化する。全力でやるから、体に当たれば良くて内出血、下手をすれば骨や内臓に傷がつく。
初めに提案されたときは、そこまでやるのかと思って、ハルカは直視できなかった。しかし今は、しっかりと目を離さずに見るようにしている。戦い方を目に焼き付けるのも勉強だった。
ちなみに棒が折れたら、折れた方が負けだ。アルベルトは攻撃に集中するあまり、これで負けることが多い。
この訓練が始まった途端、レジーナは体を起こして、真面目に訓練の様子を観察するようになった。小さな声で「そこだ」とか「ちげえだろ」とか言っている。
気もそぞろだったコリンだけがそれに気づき笑う。怖い人だと思っていたのに、アルが訓練を見ている時とやることが一緒で、面白くなってしまったのだ。
ちなみにこの訓練、ハルカが入ると、まったく別のものになる。ハルカが一撃入れるまでに、何発攻撃が入るかという訓練になるからだ。
絵面はひどいものだが、強化された棒でいくら叩かれようとハルカはダメージを負わないので、本人も仲間たちもあまり気にしていない。そんなことより、ハルカが力加減を誤ったときに、いかに攻撃を受けないかが大事なのだ。
ハルカがこれまでに折ってきた骨の数は、両手両足の指では数えきれない。
この日は、コリンが訓練に参加しなかったので、いつもより少し訓練時間は短かった。
終わって体を拭いていると、ずっと静かにしていたレジーナが誰に言うとでもなく、声を発した。
「おい、お前らがクラン立ち上げたら、アタシもいれろ」
うとうとし始めたユーリをベッドに寝かしていたハルカは、聞き間違いかと思って、腰をかがめたまま振り返る。
他の仲間たちも同様に動きを止めていたのが見えて、勘違いではないらしいことに気付いたハルカは、どうしたものかと目を泳がせた。