馴染む
ハルカは棚に並ぶ本の背表紙に目を滑らせて目的の資料を探した。半分くらいは背表紙にタイトルが載っていないので、たまに開いて確認しなければならない。日本にある図書館のように簡単にはいかなかった。
ギルドの資料室には相変わらずいかつい男がでんと構えている。前と同じ人物であるところを見ると、彼は冒険者ではなく、ここの職員なのかもしれない。
彼が口を開いているところをハルカは見たことがない。見た目も無口そうに見えるが、資料室にいるから静かにしているという可能性もあるだろう。外で会ってみたら、意外とおしゃべりだったりしたら面白い。
この世界の本は表紙が何かの皮で作られている。羊皮紙というやつなのだろうか。それが金具で留められて製本されている。大量生産はできないだろうから、きっと一冊の価値は高いに違いない。
街を歩いていても本屋、というのを見かけることはなかった。看板を立てていない店もたくさんあるので、何処かにはあるのかもしれないが、まだ見つけることはできていない。
たまに露店でぼろぼろのものが売りに出されているが、きちんと読めるようなものであるかは疑問が残る。
地球ではすでに電子書籍が世に出て長く、最近は本屋の閉店も目立っていた。ハルカ自身もそれを利用することが多く、紙の媒体からは離れて長い。資料室は、図書館や古書店を思い出させる懐かしいにおいがした。
思わぬところでノスタルジックな気分になっていたところで、ようやく探していた本を見つけることができた。
ハルカがこの世界に来て、すでに半年ほどになる。
冒険者稼業が忙しく、また思った以上に仲間と活動する毎日が楽しい。そのため、一人でじっくりと学ぶ機会があまりとれず、気づけば随分と時間が過ぎてしまった。ハルカの知識は最初の頃に資料室と研修で学んだものからさほどアップデートされていない。
昨日神聖国レジオンの使節団が来ているのを見て、このままではいけないと、改めてこの世界について学ぼうと思い至ったわけである。
ハルカは椅子に腰かけ、テーブルに本を広げた。
今の時代を生きる人たちは、神人時代の生き残りの子孫だ。
神人時代というのは破壊者と人が卓越した戦闘技術と兵器をもって争った時代だという。
あまりに技術が発達した後に起こったせいで、歯止めが利かず、知的生命体の大多数が滅びかけるところまで行ってしまったのだろう。ハルカはその時代のことを、第三次世界大戦がおこってしまった地球みたいなものだと思っている。
そんな苛烈な戦争の中でも生き残った者たちもいた。
彼らは互いに力を蓄えるまで近寄らないようにし、争いを控え、再び今の時代ほどまで数を増やしたというわけだ。
ただそのころの影響で、未だにはぐれた破壊者が山奥などに、独自の集落を築いていることがあるようだった。人里離れた場所では気を付ける必要がある。
北方大陸は、創造の神オラクルが降りたったといわれる場所が幾つも存在する。
北方大陸の半分ほどを領有するディセント王国は、神の領土を名乗る歴史のある大国だ。北に獣人の国とエルフの森、それにディグランドを抱える王国は精強な軍隊を持っている。
その南西には王国と連携する神聖国レジオンがある。
神が初めて降り立った地ヴィスタを首都とし、学術や魔法にも力を入れている。中立国として軍隊としての戦力を放棄していて、その防衛は周囲を囲む国々に委ねられている。
また軍隊を持たぬ代わりに、神殿騎士と呼ばれる戦闘員を多数有しており、彼らはそれぞれが高位の冒険者並みの実力を持っているという。領土を巡回をして街道を守ったり、国の重要人物の護衛をしている騎士は、国内外で信頼されている存在だ。
比較的安全で、各国の王侯貴族の令息令嬢が学ぶ大きな学園が存在しているらしい。学者や研究者といった者たちにとっても、過ごしやすい国となっており、そういった者たちにとっての憧れの地でもあるようだった。
創造の神オラクルが存在したというのは、この世界の人たちの中では共通の認識であり、揺るぎない真実として受け入れられている。入信をしていない者たちの間でも、その存在を疑うものはいないようだった。
その中でも特に、神に仕える者・崇める者たちが集まり、組織を作り、神聖国レジオンという国を成り立たせている。
獣人の国やエルフの森については、この本には詳しく載っていないようだった。いつかモンタナが血のつながった両親を探しに行くのだとしたら、その時は、王国より北の土地について詳しく書かれた本も探したほうがいいかもしれない。
王国の南東には今ハルカたちがいる国、独立商業都市国家プレイヌがある。
比較的新しい国で、もともとは王国の若い商人と、冒険者が手を組んで破壊者や魔物たちの溢れる土地を開拓して作ったものらしい。樹立してからまだ二百年ほどしか経ってない。詳しい開拓記録については、沢山の伝記や物語が作られているそうなので、それを読んでみるのがよさそうだった。
冒険者ギルドはもともと王国に存在していたが、この国ができてからは、首都プレイヌにその本部を移転してきている。
その際に王国とひと悶着あったようだが、それについても本には詳しく書かれていなかった。王国で出版されたらしい本だから、ここに書くには支障があったのかもしれない。
北方大陸の最南端には、南方大陸へと続く細い陸地を塞ぐようにして、ドットハルト公国がある。
元々は南方大陸の雄であるグロッサ帝国と、先に学んだプレイヌと王国の連合軍が争っている時代に、当時伯爵であった【不敗のドットハルト】を将軍とし、侵攻、占領した土地であったようだ。
しかし、帝国が後継者争いをしているのを見計らって、そのドットハルトが帝国からの独立を宣言し今の国を作ったのだという。
それ以来、ドットハルト公国は帝国とは水面下で常に牽制しあっており、逆に北方大陸の国との関係には気を使っている。
王国も表向きは昔の戦争のことは忘れ、南方大陸への盾と考え手を取り合っている。武を尊ぶ気風があり、現場主義の者が多いため、プレイヌの商人や冒険者とも比較的相性がよさそうだ。
北方大陸のことは大まかにこんなとこだろうか。メモを取りながら読んでいた本を閉じる。メモ帳も残り数ページとなってきた。そろそろ新しいものを買う必要がありそうだった。
本を戻し、資料室を後にする。
午後からはコリンの買い物に付き合ってほしいと言われていたので、のんびりとギルドの入口に向かう。
昼ご飯をどこかで食べてから行くらしく、そこで待ち合わせをしていた。
また服を買いに行くのだろうと思うが、服は着られればそれでいいタイプのハルカは、買い物に付き合うのはあまり得意じゃなかった。それでも他の二人よりマシ、と言ってコリンはハルカを買い物に誘う。
飽きてすぐに別の所に行ってしまうアルベルトや、すぐに座り込んで作業を始めて返事をしなくなるモンタナよりはいいんだそうだ。
本当はコリンが、ファッションにまったく気を使わないハルカを心配して買い物に誘ってくれているのだが、そんなことにはハルカは全く気づいていなかった。今日もきっと、自分の服を買い足すことはないだろう。
十二時の鐘が鳴るのが聞こえてくる。時計のない暮らしにも、少し慣れ始めていた。