複雑怪奇な商人の心
「こりゃまた、見たことない魔法の数で、びっくりです」
戦闘能力はないであろうラウドは、動くことはやめて、数度瞬きを繰り返した。声は平静を保っているが、身振り手振りしながら話していたのをやめたところを見ると、危険な状態であることは理解している。
「アイーシャ、こっからなんとかなります?」
「馬鹿が、なるわけない。そのよくまわる舌でなんとかしろってんだ。もったいぶった話し方ばかりするから、逆鱗に触れるんだ。冒険者の相手をするってのは、商人を相手するのとは話が違うんだよ」
「どうか、ゆっくり武器から手を離してください。争い事は好きではありません」
「一方的に命を奪うことはお好きということですか?」
ブラックな冗談に、ハルカは付き合わない。イラついた様子を見せたのは、ハルカたちではなく、アイーシャだった。武器から手を離し、そのまま両手を上げて、ラウドを睨む。
「頼むから命を守る方法を考えてもらえないもんかね! あたしら、この人の気が長いから生きてるだけだよ。ここで全員始末しちまえば、証拠なんて何も残らないんだからね」
「そんじゃお望み通り続きを話しましょっかね。アイーシャ、いざとなったら命を張って助けてくれます?」
「試してやるけど、そんな僅かな可能性に賭けるのはやめな。商人らしく口で戦えって言ってんだろ」
「そんじゃ続きですが、その子供を見つけて帝国からの使いに伝えると、お小遣いがもらえるんですよ。わかってもらえると思うんですけどね、私はそれなりの稼ぎがある。わずかなお小遣いのために命を投げ出すタイプじゃございませんよ?」
「モンタナ」
「八割がた本音です。でも、残りは何か企んでるです」
「いやいや、そんな」
笑ってごまかそうとする胆力は大したものだったが、モンタナ相手に嘘やごまかしは難しい。後ろで眠っていたアルベルトやコリン、それにアイーシャたちの仲間も目を覚ました。咄嗟に武器を取ろうとする仲間たちに、アイーシャが鋭く「やめな!」と声をかける。
「…………なにか心を読む手段でもお持ちで?」
「私は、人を傷つけること自体が好きじゃありません。あなたたちを攻撃しない、納得できるだけの理由をください、と言っているのですが、通じませんか?」
「いやぁ、そうは言っても、商人ってのはこういう生き物なんですよ。わずかな可能性を捨てられないのは、もう生き方そのものでして……。これでも心の底からお約束する気はあるんですけどね」
ハルカがぐっとこぶしに力を入れたのを見て、慌てたアイーシャが声を上げた。
「待て待て待て、わかった、あたしが殺す。こいつが約束破りそうになったら、あたしがこいつを殺す、絶対にだ! だから見逃してくれないかい?」
「それ護衛が言うことじゃないよね?」
「今死なないために提案してやってんだろ!」
脅しが通じない相手はやりづらい。思わずため息をつきそうになるのを堪えていると、コリンに声をかけられる。
「何の騒ぎ?」
「帝国がユーリを探している話を、ラウドさんが知っていました。連絡するとお金がもらえるそうです」
「へぇ……、でも連絡したりしないんじゃないかなぁ」
コリンがあまり危機感のない、のんびりとした調子でハルカの横に並び、なだめるように、ぽんぽんと背中を叩いて顔を見上げた。
「私が話してもいい?」
「何か考えがあるならお願いしたいです」
「じゃ、そうする。魔法は、そのままでいいや」
コリンはその場でラウドに呼びかける。
「ラウドさん、バルバロ閣下と取引があるんですよね?」
「ええ、そうです」
「多分、公爵領でも取引していますし、なんなら南方大陸まで足は延ばしてます?」
「おや、よくお気づきで」
「じゃあケチな小銭のためには、当然通報したりしませんよね」
「ですから、先ほどからそうは言ってるんですが、信用してもらえなくて」
ニコーっと笑ったコリンは、手をパーにして前に突き出した。
「私たち、バルバロ閣下とは懇意にしています。内容は秘密ですが、依頼もいただいています。ドットハルト公国における南の要衝を任されてます、フォルカー子爵閣下とも食事をしたことがありますし、そのご子息とは友人関係にあります。ご存知かわかりませんが、隣にいるハルカは、特級冒険者であり『月の道標』の宿主である、ノクト=メイトランドの弟子です。その実力は、王国のデルマン侯爵閣下、ヴェルネリ辺境伯閣下にも認められてます。今展開されている魔法を見れば一目瞭然ですが、本人の実力は確かなものです。まさか、恩を売る相手を間違えたりはしませんよね?」
「……アイーシャ、この人たちの実力は確かなのかい?」
「知らないね。少なくとも、一瞬でこんなに魔法を展開できるようなのは、あたしの手におえないよ」
ラウドは空を見上げて黙り込んで、ややあってからニコリと胡散臭い笑顔を見せた。手もみとはこうやってやるのだなと、感心するような見事な仕草で、腰を低くしてしゃべり出す。
「いやぁ、私は最初っから、そんな話があるから間違って目をつけられないように気を付けてくださいね、って言おうとしただけなんですよ。勘違いされちまいましたけどね。ああ、そうだ。荷駄の中に自然由来の髪を染める液体があるんです。勘違いされちゃ大変だから、ぜひお持ちください。もちろんお代はいりませんよ。有望な冒険者さんと知り合える機会なんて滅多にありませんからね。もしこれから先街で出会うようなことがあれば、各地の情報もお伝えしますとも。ついでに、他国で怪しい動きをしている帝国の兵士共には適当な情報でも流しときましょうかね。ええ、それはもう、もし変にばれちまって聞かれたところで、腕の一本くらい持っていかれても絶対に喋ったりしませんとも。そんなことになるくらいなら、さっさとアイーシャに殺してもらうことにします。信頼は絶対に裏切りません、それが商人の誇りですからね」
「…………本音です」
少し長い沈黙の後、モンタナが呆れたようにそう言った。
変わり身の早さが理解できずに、ハルカは魔法を展開させたまま呆然としてしまった。商人の心というものがさっぱりわからない。多分昔勤めていた会社でやっていたことは、おままごとだったに違いない。
「で、で、でですよ。私、実は北方辺境伯領にて新たに土地を開発してるという話を掴んでおりまして、他の商人たちが入り込む前に、そちらに商会を立てたいと思っているんですよ。是非に、是非に、簡易なものでも構いませんので、紹介状などを一筆いただければ、これはもう、絶対にあなた様方とのお約束をお守りできる気がするのですが!」
「……書きましょう。あと、アイーシャさん、一応裏切りそうな場合は止めてください。今回は気がそがれはしましたが、私はユーリのためなら、割となんでもやると思います」
「……おう。まず近寄らせないように気を付ける」
アルベルトが、目を閉じて大あくびをしたかと思うと、そのままナギの近くへ戻って寝転がった。もう話はついたと判断したようだ。
平和に終わりそうでよかった。本音が分かっても、対処が分からないと厄介な相手もいるものなのだ。コリンがいて本当に助かった。
相手方全員が、体の力を抜いて座り込んだのを見て、ハルカも魔法を消してその場に腰を下ろす。アイーシャは仲間たちの方へ事情を説明しに向かった。
ラウドが何か他にも喋りたそうにうずうずしていたが、ハルカはあえてそれを無視することにした。なんだか疲れてしまって、相手をする気になれなかった。
「二人とも、ありがとうございます。助かりました」
すぐ横に腰を下ろした、仲間に礼を言う。
モンタナは尻尾でハルカの背中を撫で、コリンはそのまま身体を投げ出して、ハルカの太ももに頭を置いた。
「いいよー、代わりに枕になってね」
「……ええ、まあ、そんなことで良ければ」
それだけ言ってコリンはすぐに目を閉じる。頭を撫でていると、すぐに静かな寝息が聞こえてきた。寝入ったばかりで起こされたから、実はかなり眠たかったのだろう。
モンタナはその様子を見ていたが、何を思い立ったのか、一度立ち上がった。そうしてハルカの後ろへ回り込み、背中に寄りかかって腰を下ろした。
「じゃあ、僕はこっちでいいです」
背中と足が温かい。ざらついた心が少し溶けていくような感じがする。
ハルカはそっと指を動かし、ユーリのベッドをコリンとは逆側に移動させた。すると今度は、先ほどの騒ぎでも目を覚まさなかったナギが、ずりずりと地面にお腹を引きずりながら近寄ってきて、ユーリの隣で動きを止めた。
一人だけ離れてしまったアルベルトが気になって、振り返って見てみる。しばらく様子を観察していると、一度身体をブルリと震わせて、左右を見渡し。何かをぼそりと呟いて立ち上がった。
薄目で焚火の近くにいる仲間たちを見つけると、がりがりと頭をかきながら近寄り、ナギの尻尾を枕にして寝転がった。チーム全員で団子状態だ。
ハルカは自分たちの周りにだけ障壁を張る。これ以上何かあるとも思えないが、念のためだ。
冒険者とこの世界には少しずつ慣れてきたけれど、覚悟がある人との関係構築は難しい。まだまだこの世界ではひよっこなのだと、自分のことを省みて、ハルカはこっそりと息を吐くのだった。