行商と護衛
大通りを歩いていると、対面からゆっくりと馬車を走らせてくる一団が見えた。装飾はされておらず、機能性だけを重視したそれは、恐らく商人のものであると推測できる。
周りには数人の武器を携えた護衛者が歩いている。彼らもまたハルカたちに気付き、警戒を強めたのが、遠目からでも分かった。
変に争いになるのが嫌で、ハルカたちは早めに道の端に避けて、商人たちが通り過ぎるのを待つことにした。これからどこかに立ち寄る予定なら、情報を収集するいい機会でもあるのだが、今回はもう帰るだけだ。
しかも竜を連れているものだから、あちらとしても下手に関わり合いになりたくないはずだ。ハルカは首を伸ばしているナギの頭を、下に数度押さえつけるように撫でる。下手に大きな鳴き声でも出されて、馬が混乱したら大惨事になりかねない。
こちらを警戒しつつも横を通り抜けていく一行だったが、ハルカたちが動くことなく道を譲ったのを見届けると、そのうちの一人が振り返って腕を二度ひらひらと振った。半月刀を背負ったその護衛は、ハルカに近い褐色の肌をしており、右目から頬にかけて、大きな切り傷が印象的だ。
アルベルトとユーリがそれに応じて手を上げると、女性はにっと笑ってから正面を向く。ハルカとしてはかなり好印象で、少し話をしてみたいくらいだったが、今回は仕方がない。
これまで通り旅をしていれば、いつかまた会うかもしれないと思いながら、道に戻り歩き始める。
数歩進んだところで、後ろから大きな声で呼びかけられる。
「すみません! ちょっとお待ちを、あいや、ホントにちょっとだけお待ちを」
振り返ると、綺麗な服装をした男性が、バタバタと馬車から身を乗り出したかと思うと、そのまま転げるように外に出てきた。
はてどこかで会ったことがあっただろうかと思案してみるが、記憶にはない。もしやユーリ関係では、と思い至ったハルカは、慌ててユーリを自分の後ろに隠した。何かの遊びかと思ったのか、ナギもどたどたと歩いてその後ろに並ぶ。
こうなると今度は警戒するのはハルカたちの方だった。身構えたところで、モンタナから冷静な声がかかる。
「多分大丈夫です」
そのモンタナの言葉を証明するかのように、男は十分に距離を取った位置でとまり、ふーっと大きな息を吐いた。
「すみませんね、ちょっと慌てたもんだから、警戒させちまいましたかね」
「あのねぇ、旦那。わざわざ道をあけてくれた冒険者に駆け寄るとは、いったい何事だい? せめて一言相談してほしいもんだけどねぇ」
「ああ、アイーシャ、でもな、見ろあの立派な竜を。あれはきっと大型飛竜の子供だぞ。足がでかいだろう? きっとまだまだでかくなる」
「あー、はいはい、わかったからちょっと引っ込んでな」
一歩男の前に出たアイーシャは、勝気な笑顔を見せながら両手を左右に大きく広げて、何も持ってないことを示す。モンタナの言葉を聞いた時点で、ほとんど警戒を解いていたハルカだったが、相手の態度を見て肩の力を抜いた。
男の反応も、なんとなく最近見たばかりのバルバロに近いものを感じる。きっと、竜が好きな男なのだ。ハルカだって竜に対する憧れはあったし、今だってナギの動きはずっと見ていても飽きない。男が慌てて馬車から降りてきた気持ちも、少しは分かる。
「見ての通り、あたしゃこの商人の旦那の護衛だ。こいつはこんなでも、バルバロ侯爵が懇意にしている商人でね。決して怪しいもんじゃない。ちょいと問題があるとすれば、竜が好きすぎるってこった。つまりだ、あんたらが連れてる竜が気になるあまり、勝手に馬車を止めて、護衛に断りもなく飛び出してきたってわけさ」
「そう、そうなんだ。だからちょこっとその竜を見せてはもらえんかな?」
どうやらバルバロの竜オタク仲間らしいことが分かり、コリンがプッと噴き出した。言われてみれば反応がよく似ている。
ハルカとしては見せてやりたいところだったが、ナギは見られたくないだろう。つい最近散々観察されてたせいで、ナギはやや人間不信気味だ。美味しいものを出してもらって、快適な生活をさせてもらったのに、バルバロには近づこうとしなかった。本能が何か嫌な雰囲気を察しているのかもしれない。
「ナギ、あなたのことが見たいそうですよ」
ハルカが振り返って提案すると、ナギはギャウと小さく鳴いて、ハルカの肩に手を置いて、背中にぴったり張り付いた。既にハルカより大きいので全然隠れられていないことは、ナギも理解しているはずなのだが、そこから離れようとはしない。
肩から覗く爪が少し伸びているように見える。大竜峰は岩肌が多かったが、この辺りの地面は土だ。爪先が自然と削れないのだろう。あとで切ってやる必要があるかもしれない。
そんな現実逃避をしながらも、ハルカは曖昧に濁した返事をする。
「その、あまり近寄らず、遠くからお願いします」
「触ってはダメか?」
「噛まれるかもしれませんよ?」
そんなことはしないだろうと思いながらも、脅かすためにそう言ってみる。男はアイーシャに注意されて、肩を落としながら遠くからぐるぐる回りながら観察を始めた。
ついでに自分も観察をされている気がして、居心地はひどく悪い。これがナギの気持ちだとするのなら、おいそれと観察の許可は出さない方がいいかもしれない。ハルカはできるだけ男の動きを目で追わないようにしながら、無心で時間を過ぎるのを待った。
安全だとわかり、時間がかかりそうだと判断したモンタナとアルベルトは、わき道にそれて狩りに出かけてしまう。ただここにじっとしているのは時間が勿体無いので、仕方がない。
少し時間が経っても観察をやめない男に向けて、アイーシャは呆れたように声をかけた。
「旦那、いい加減迷惑だ。それ以上やるならちゃんと出すもんだして、飯でもおごってやんな。少し戻ったら泊まれそうな広場があっただろ」
「ああ、うん、そうだな」
「……旦那、聞いてないだろ?」
「うんうん、アイーシャの言うとおりだ」
「ラウド、いい加減にしろ、ぶち殺すぞ」
殺気の混じった低い声が聞こえて、男がようやくぴたりと動きを止めた。アイーシャは、背中の半月刀の柄に手をかけており、目の端がぴくぴくと痙攣している。
「ああ、ああそうとも、もちろんそうしようと思っていた。ささ、少し道を先に進んだところに、いい広場があるんだ。今日の夕食はこちらから出させてもらおう。なんなら補給物資も提供するぞ。話はまた移動してからにしよう。私たちが先導するからついてくるといい。な、それがいいな、アイーシャ、な?」
「…………そうだな」
長いための後に一言同意したアイーシャは、一度目を閉じて、柄から手を離した。ラウドは足早に馬車へ戻り、鼻先を回れ右させる。ゆっくりと戻ってきた馬車がハルカたちを追い抜いたところで、アイーシャが肩を竦めてハルカに言う。
「虫に刺されたとでも思って付き合ってやってくれよ。悪い奴じゃねぇんだ。きっとそれなりの対価も払う」
先ほどまで怒っていたそぶりを見せていたのに、今度は庇うような発言をしている。もしかしたらあの怒りは、こちらに対してのポーズだったのかもしれない。そんなことを思いながらも、ハルカも穏やかに答える。
「別に構いませんよ。ね、コリン?」
「うん、対価をちゃんとくれるならね!」
「ケチな奴じゃないから、そこは期待してもいいぜ」
「楽しみ楽しみ!」
コリンが明るく歩き出したのに対して、ナギがハルカの首元で、力なく「ぎゃう……」と鳴き声を上げた。