師匠になっていた
「さて、ハルカさん。いったん訓練場からははけましょうか」
「……はい」
あからさまに元気のない返事をしたハルカを見て、ノクトは笑った。自分の足でのんびりと歩いていくと、その後ろにとぼとぼとついてくるのがわかる。彼女なりに、もう少しは何かできると思っていたのだろう。
その認識は間違っていない。ただ、やらせなかっただけだ。
彼女が自分のことを師匠と呼んだ頃から、いや、はじめてその姿を見かけたときから思っていた。友人から聞いて、こっそりと遠目に観察して抱いた印象は、ちぐはぐな異様さだった。
動きはど素人で隙だらけなのに、どうにかなりそうな気がしない。あれが演技なのだとしたら、なぜ御しやすく自分を見せないのか。全身からエネルギーが満ち溢れているような、そんな子だった。
だというのに話してみると、強者感はまるでない。自分の感覚が狂ったのではないかと思えるほどの平凡さだった。
その立ち居振る舞いは、ノクトにはひどく危うく見えた。何かふとした拍子に爆発して、何もかもを破壊しつくしてしまうような、危うい気配があった。
話をしてみると、意外と考えている。自分たちが、小さな子供の頃に落としてきてしまったような疑問を、胸に抱えてずっと悩み続けている。それは滑稽であったし、持つ者の傲慢であるようにも思えた。そして同時に、妙なノスタルジーを感じた。
彼女が身に宿した力は、最初に感じた通り、やはり異常だった。野放しにしておくには危険すぎる。
一度は断った師弟の関係だったが、話をしているうちに、そんな関係も悪くはないのではないかと思えてくるから不思議だった。見張りをしなければという使命感だけではない。彼女がこれからいったいどんな成長をしていくのか、それを傍で見てみたいとも思った。
元から知ってはいたが、改めて彼女の仲間たちを見てみると、余すところなく才能に満ち溢れていた。他に思うところもあって同行したのに、すぐに楽しくなってしまった。
向上心があって、天井の見えない若い才能を育てるのは楽しかった。少し時間を空けただけで、見違えるほど強くなる。戦いを一つ経るごとに、さらに強くなる。
しかし弟子の彼女だけは、悩み事が多くて、力を発揮しきれずにいる。しかしそれでも強い。想像のつかない強さを、彼女の心が押し込めているのだ。しかし、これが力の制御装置なのだと考えれば、これほど安心なものはなかった。
ノクトはハルカの心の悩みを、葛藤を、人の好さを、問題と考えるのと同時に、高く評価してもいた。
旅をするうちにわかったことがある。
彼女は仲間を大切に思ういい子だ。そして仲間は彼女の弱点でもある。
一人でいれば容易に退けられる敵も、仲間と一緒にいることで苦戦することが出てくるはずだ。守らなければいけない存在もできた。
そろそろ力を発揮する方法を知る必要がある。
無茶はしないけれど馬鹿をする、寂しがりの竜の下へ彼女を送りこんだ。ノクトは万が一のことがあった場合のリスク分散として、ユーリを手元に置いて山を眺める。
当然勝算あっての選択だったし、万が一など起こらないよう本気で祈っていた。じっと座り込んで、森の方を眺めていると、一緒にいる赤子に声をかけられる。
「しんぱい」
「そうですね」
「いっしょだね」
冷静に少し離れたところで見守っていたつもりだったのに、自分が考えていた以上に、寄り添っていたことに気付かされる。今からでも様子を見に行こうかと、急く気持ちを抑えて、ユーリと話を続けた。今行くのはきっと、彼女らのためにならない。
黒雲がわいた時、これはまずいかもしれないと思った。
万が一が起こってしまったのではないか。
ユーリを安心させるように会話を続けながら、それでもやっぱり、山頂付近からは目を離せずにいた。後ろで騒ぐ兵士たちが煩わしく、八つ当たりをして助けに行こうかと何度も思った。
それでもノクトは、じっとその場に座って、飛び出していくのを我慢した。
ノクトは旅が終わりに近づくにつれて思う。
もっと彼女たちの成長を見たい。しかしいい加減責務を果たさねばならない。
無感情に書類の処理をしながら考える。いくつかの問題を処理したら、また旅に出よう。空を飛んで、さっさと進めば、きっとすぐに一行に追いつくことができるはずだ。
アルベルトあたりは、「ちゃんと仕事をしろ」と文句の一つも言うかもしれないが、最終的には温かく迎え入れてくれるだろう。あの少年は、あれで妙に生真面目なところがあるのだ。戦闘スタイルも含めて、どこか友人のクダンに似た雰囲気を持つ子だった。
するとやることは決まっている。
また合流するときのために、宿題を出してやらなければいけない。三人は放っといても成長するのだが、どうも彼女だけはある程度道筋を示してやらなければいけない。自信がないから、答えが分かっていても一歩踏み出すのに躊躇ってしまうのだ。
強さを見せるのと一緒に、足りないところを知らせてやる。判断が遅いけれど、頭が悪いわけではない。一緒に訓練さえしてやれば、怖がりながらでも自分の道を進んでいくはずだ。
仕事のことなど碌に考えもせず、ノクトはハルカとの戦闘シミュレーションを脳内で巡らせた。
意地悪をした気はない。いや、ほんの少しはあるけれど。
ただ彼女が落ち込んでいるのは、悔しかったからではないはずだ。きっと、自分に対して力を示せなかったこと、すなわち、弟子として不甲斐ないところを見せてしまって落ち込んでいるに違いない。
そういうところが、彼女の可愛らしいところだとノクトは思っていた。仕方がないなと、手を差し伸べてやりたくなる。
「さて、ハルカさん、一緒に反省会をしましょう。魔法の展開速度は悪くなかったですよぅ。ただちょっと判断が遅いですねぇ」
「……すみません。もうちょっと何か見せられたらよかったんですが」
「はいはい。僕はあなたの手の内は、大体わかってますからねぇ。逆にハルカさんは、あまり僕の手の内を知りません。自分が何をできるのか、相手は何ができるのか知ることは大切ですよぉ。手数を増やしていきましょう」
ノクトは話しながら訓練場の真ん中に、黒い障壁を一つ発現させる。ハルカがぼこぼこ割ってくれたのと同じものだ。
「新人の皆さん、あれを壊してみましょう。上手にできた人から、今日は解散とします。夕食までに壊せた人には、賞金を出してあげますからねぇ」
わっと駆けだした新人たちは、思い思いに障壁に攻撃を始める。あれではだれが壊したのか分かったものじゃないが、最初はそれでもいいだろう。壊れなければ、いずれ、それぞれちゃんと考えて動き出すはずだ。
少し離れたところから、呆れた顔をしたアルベルトと、少し責めるような視線のモンタナが歩いてくる。コリンだけは、黒い壁を壊しに向かっているようだ。新人でないので、壊したところで賞金は出ないのだが、理解しているのだろうかと、ノクトはまた笑う。
多分アルベルトは自分の所に来て小言を言うのだろう。モンタナは何も言わないけど、しばらくあんな目をしている。過保護なのだ、この仲間たちは。
それでもまぁ、弟子たちの仲が良いのは悪くない。
もはや色あせた記憶ではあったが、殺伐とした青春時代を過ごしてきたノクトにとっては、その関係がとても眩しく見えるのだった。