これからが本当の
意図せず視線を集めてしまい、喧嘩の腰を折ってしまうような形になった。これから宿に加入する二人が、争っていてもいいことはないので、結果としては悪くない。
悪いのはハルカの居心地くらいだ。
どうせ注目を集めてしまったので、ついでに勘違いも正しておこうと、ハルカはオオカミっぽい獣人に話しかけてみることにした。一応面接の資料には目を通していたので、彼の名前は知っている。
「ルプスさん、でしたね。私はここの宿の住人ではありませんし、彼の仲間でもありませんよ。むしろ、あなたの方が同じ宿の仲間だと思うんですが……」
ルプスは耳をピクリと反応させて、小さく「え」と声を漏らした。
「受かってるんですか、こいつ」
「そうだ、だからどけよ。あいつ……、宿主に用があんだよ」
「あ、あぁ……」
ルプスは肩を押しのけられて、少しよろめいて道を空けた。リオルの乱暴な行動にも、眉を顰めはするものの、それ以上に邪魔をする気はなさそうだった。
真面目そうで、正義感の強そうな顔をしている。おそらく面接で落とされた腹いせに、リオルが暴れ出しでもすると思っていたのだろう。
そこまで考えて、ならなぜ自分まで敵だと思ったのだろうと首をかしげる。仮にも面接官みたいなことをしていたのに、敵認定される理由がわからない。思い込みの激しいタイプだとすれば、むしろ宿の上司として、慕ってくれそうなものである。
ノクトがリオルと何か小さな声でやり取りをするのを、ルプスはじっと見つめていたが、唐突に振り返ると、今度はハルカのことを見て口を開く。
「あなたは、この宿の人でなければいったいなんなんですか」
きつい口調だった。
何か悪いことをしただろうかと、最近のことを思い出してみる。しかし彼に会ったのは昨日の面接がはじめてだ。何者か問われている時点で、恐らく自分のことも知らないので、トラブルを起こしたせいで嫌われているわけではない。
とりあえず自己紹介でもしておこうかと思ったところで、ユーリとナギがハルカの前にとことこと歩いて出てきた。両手を横に広げて、ルプスのことを見上げたユーリは、今までに聞いたことがない大きな声を出した。
「ママをいじめないで!」
それと同時に、ナギが「ぎゃっ」と大きな鳴き声を上げる。ジンと来るものがあったが、ハルカは慌ててユーリを抱き上げる。子供をいじめるようなタイプには見えないが、何かトラブルにあったら大変だ。
「ユーリ、ありがとう。いじめられてませんよ」
「でもこまったかおしてた」
「してましたかね? 考え込んでいただけですからね、心配しないでください。あ、それにルプスさんも、お気になさらず。面接やこういう祝いの場に部外者がいるのは、気分のいいものではなかったかもしれませんね。失礼しました」
頭を下げているうちに、足元からバタバタと、ナギが慌てて背中に上ってくるのを感じた。動いて落ちてしまってもかわいそうなので、ゆっくりと頭を上げる。肩から首を出したところで、ナギはルプスに向けてもう一度「ぎゃっ」と鳴いた。
周囲の雰囲気がハルカに同情的になったからか、今度はルプスの方がやりづらそうにしている。若いころというのは勢いで行動してしまうこともよくある。さっさとこの場を後にしてしまうのも一つの選択ではあったが、それをすると彼の株は下がったままになってしまうだろう。
それはあまりに大人げないというものだ。
ハルカはできる限り柔らかな表情を浮かべて、ルプスに語り掛ける。
「……しかし、私もまるで無関係な人間というわけではないんです。私はあちらのノクトさんを師匠と仰いで、ドットハルト公国から共に旅をしてきた冒険者です。この国にくることも楽しみにしていたのです。ですので、よそ者ではあるのですが、仲良くしていただけると嬉しいのですが」
反応はすぐに戻ってこないけれど、ハルカはそのまま待つことにした。下手に言葉を重ねて相手を追い詰めたくなかったからだ。新規加入というこのめでたい場で、余計なしこりを残したくない。晴れの日では、トラブルがあっても、将来思い出したときに笑って話せるくらいのものにしておくべきだ。
「その……。勝手なことを言って、ごめんなさい」
「いいえ。握手してくれますか?」
思春期の青少年が素直に謝れただけで十分だろう。歩み寄るのは年長者の仕事だ。
手を差し出すと、あちらからもおずおずと手が伸ばされ、握手が交わされた。数度振られたそれが離されると、ルプスがまだ何かを言いたそうにしている。
「どうかしましたか?」
「あ、いえ、その。その子にも謝りたいと思って」
背中を向けているユーリに向けての言葉だ。やはり獣人は直情的だが根は素直な子が多いのだろうと思う。ハルカはユーリの背中を優しくたたいてから、地面に下ろしてやる。
「ルプスさんが、話したいそうですよ。そう怖い顔をしてはダメです」
きゅっと眉間にしわが寄っていたので、指の腹で撫でて伸ばしてやってから、ユーリをルプスと対面させる。ルプスはしゃがんで、ユーリと視線を合わせようとするが、そうしてもまだ見上げるほどの身長差があった。
「お母さんに嫌なことを言ってごめん。もうしないから、許してくれないか」
お母さんと言われると、リアルな感じが出て、訂正したい気分に駆られる。しかし、ユーリに嫌な思いをさせる必要もないので、ハルカは口をつぐんだ。お父さんかパパだったら、もっと素直に喜べるのだけれど、この身体だと難しいところである。
一生懸命ハルカの身体を伝って地面に降りたナギが、二人の間に入って、口をカパッと開けた。何も音は聞こえてこないが、もしかしたら威嚇しているのかもしれない。かわいいものである。
ユーリがナギの口を手で挟んで閉じると、かぽっと間抜けな音がした。何すんだとでも言いたいのか、首をぶんぶん振るナギだったが、鼻の先から頭まで撫でられると、大人しくなって動くのをやめた。
「ママがいいならいい」
「ごめん、ありがとう」
不満そうな声色だったが、許されたようだ。ルプスは苦笑してユーリに頭を下げて立ち上がる。
「あの、俺、国から出たことなくて。外の冒険者さんだったら、訓練に付き合ってもらえませんか?」
「え、あ、はい。もちろん構いません。あまり近接戦は得意ではないですが……。では仲間も訓練場にいるはずですし、このまま訓練場に行きますか?」
「ご迷惑でなければ是非」
話が決まったところで、ノクトと一緒にリオルが戻ってくる。
ノクトはニコニコと笑っているが、ハルカにはその笑顔が何かを企んでいるときのものに見えた。
ノクトはパンッと手を叩き周囲の注目を集めて言う。
「よぅし、そういうことでしたら、皆さん一緒に訓練場へ行きましょう! 外部の冒険者と訓練できる機会は貴重ですからね!」
広場はざわめくが、それは悪い雰囲気のものではなかった。いよいよクランメンバーとして、本格的に活動できるんだという、熱気のようなものを感じた。
その中一人苦い顔をしていたのはリオルだ。リオルは、この訓練の危険さを身をもってよく知っていた。自分もこの半月ほどの間に、途中で数えるのをやめたくらいの回数、骨を折られている。
「うん、頑張りましょうね、モンタナ」
思っていたよりまっとうな提案に、ハルカはほっと胸をなでおろして、モンタナに話を振る。モンタナは少し悩んでから、こくりと頷いた。おそらくここにいる多くの人が、ただでは済まないことは既に察している。
ハルカのこのやる気が、どんな空回りをするのか想像して、リオルは今にも逃げ出してしまいたい気分だった。