郷愁?
ノクトのクラン『月の道標』がある町が遠くに見えてきた。背中には大竜峰にも劣らぬほどの、巨大な山脈が聳えている。
森や湖もあり、二日ほど足を延ばせば、海にも出られるそうだ。
街を囲む壁がないためか、一つ一つの家は広々としており、それぞれで農地や庭も持っているようだ。
ここに至るまで見た獣人は、みんな筋肉でムキムキだったが、庭で遊んでいる子どもたちはちゃんと小さくて可愛らしい。でもおそらく十年もしたらみんなムキムキになるのだ。
ハルカは、これはこれで逞しくて素晴らしいと思っていたし、キリッとした女性もかっこいいとは思っている。
しかしモンタナやノクトを見慣れたハルカにとっては、この現実は結構な衝撃ではあった。以前からそういうものだと聞いていたので、覚悟はしてきたつもりだったのだが、イメージを修正するのには少し時間がかかってしまった。
そうして五日も獣人の国を歩いて、ようやく慣れ始めたところで、到着したのがこの街だった。
簡易な塀が家ごとに建てられているが、城壁がないものだから、どこから街なのかがよくわからない。
少し手前にあった農地からなのか、それともさらに手前にあったいくつかのテントからなのか。しばらくポツリポツリとある家の間を歩いてから、ハルカはノクトに尋ねる。
「師匠、ここはもう街の中なんですか?」
「んー、街といえば街だと思います。私が最後に帰ってきた時には、この辺りには家はなかったんですけどねぇ」
「あんたが五年も帰ってこないからだろ」
ノクトの呑気な返事に、リオルが小さな声で噛み付いた。
「そうですねぇ。でも僕がいなくても十分機能しているみたいだし、そろそろ次代に宿主を譲りたいんですけどねぇ」
周囲を眺めながら、喧嘩を買わないノクトに、リオルは不機嫌そうにそっぽを向いた。
街中をどんどん歩いて進んでいくと、庭に打ち込み人形や、練習用の武器が置いてある家が増えてきた。普通は商売っけが出てきたり、見栄の張った建物が増えてくるものなのだが、おかしな街である。
不機嫌そうにしていたリオルは、何人かに気さくに声をかけられ、返事をしているうちに段々と機嫌が直ってきた。地元というのはそういうものなのだろう。
ハルカもオランズの街を思い浮かべながら、リオルのやりとりをぼんやり見ていた。
「お、の、の、ノクト様……!?」
打ち込み人形に向けて木刀を振るっていた一人の獣人が、耳と尻尾をピンとたてて固まってノクトを見つめている。
「おやぁ、お元気そうですねぇ……、あ、行っちゃいましたか」
ノクトがのんびり返事をしている途中に、その獣人は木刀を投げ捨て走り出す。なかなかの健脚で、あっという間にその後ろ姿は遠くなっていった。
「……なぁ、じじい。お前なんか悪いことしたの?」
アルベルトが不安そうに尋ねると、ノクトは笑いながら答える。
「えぇ、してないですよぉ。ずっと旅に出てましたしぃ」
「もしかしてすげぇ大切な約束すっぽかしたりしてんじゃねぇの? ここの領主と喧嘩でもしたのか? 喧嘩なら加勢してやるけど」
「あー、なんかお屋敷っぽい所に向かっていったもんね」
腕をぐるぐる回すアルベルトの話に、コリンも乗っかって相槌をうった。それでもやはりノクトは呑気に笑っているばかりだ。
「いやぁ、そんなはずはないんですけどねぇ……」
「ならいいけどよ。んで、いつになったら拠点に着くんだよ」
「もうすぐですよぉ」
「それらしいの見えねぇぞ」
「ずっと見えてますよ、ほら」
ノクトが指差す先には、高い塀に囲まれた、三階建ての巨大な屋敷が見える。先ほど獣人がむかっていった建物だ。
「そのでかいお屋敷が『月の道標』の拠点で、この街の領主は、今あんたらと一緒に歩いてる呑気な爺さんだ」
「そうなんですよ。だからねぇ、怒られるはずがないんですけどねぇ……」
ハルカは新しく知らされた事実に、言葉を失っていた。しかしアルベルトは少しだけ考えて、ノクトに言い返す。
「領主が五年も自分の領地留守にしてたら、普通怒られるんじゃねぇか?」
「……私もそう思います」
「仕事絶対たくさん溜まってるよね」
「無責任です」
チーム全員一致の批判だった。流石のノクトも、たじろいで、少し空中に浮いて振り返って言い訳を始める。
「いえ、ちゃんと代理者は指定していますし、少し旅に出るとも伝えてますよ? 何かあれば冒険者ギルドから、連絡がもらえるようになっていましたし、なかったからこそ旅をしていたわけですし、ねぇ?」
「……では、なぜ今回は帰ろうと思ったんですか?」
「それは、郷愁、ですね」
平然とそう答えたノクトだったが、ハルカはその返答がいつもより早口であることに気づいてもう一度尋ねる。
「師匠、それ本当ですか?」
「……それ以外ですと、最近、王国内に僕を探し歩く仲間たちがいると聞いたのが一つ。二年ほど前から、冒険者ギルドに、緊急ではないが、いい加減顔を出してくれとメッセージが来ていたのが一つ、ですかねぇ」
「……修行として、旅に付き合わせてしまった側面もあるので、到着したら私も一緒に謝ることにします。本当だったらあと四ヶ月は早く帰れたはずです」
「そんなそんな、ハルカさんが気にすることないですよ」
「はい、でも師匠は気にするべきだと思います。だから逃げないでくださいね」
「……はぁい」
ぷかぷかと高度をあげていたノクトは、ハルカに頼まれて、渋々ながら地表までゆっくりと降りてくるのだった。