国境警備体制
ネアクアから真っすぐ北へ進んでいくと、左右に高い山脈が見えてくる。この山脈の切れ目を通り抜けると、そこから先は獣人の国フェフトである。
国民の多くが獣人であり、他種族は殆ど暮していない。これは獣人が排他的な種族だからというわけではなく、純粋に環境の問題だという。冬は寒く、また野生の動物も多く暮らす環境は、人間にとって快適とは言い難い。
山と海に囲まれたこの国には、街を囲む塀もなく、国民の平均的な身体能力が非常に高い。大型の肉食動物が現れようが、魔物が現れようが、自分たちでなんとかしろというのが、この国の一般的な価値観だそうだ。
もちろん狩猟だけではなく農耕もしているのだが、人間たちよりはかなり自然とよりそった生活を営んでいるといえるだろう。
獣人の間では、見た目によって種族の違いというものは存在しない。様々な種族が入り混じって暮らしてきたため、自分の子供にどんな動物の特徴が表れるかもわからないからだ。
だから、猫の獣人同士から犬の獣人が生まれることもあるし、たまにノクトのような竜の獣人といった変わり種が生まれることもある。体に現れた特徴によって、身体能力の差が生じることはあるのだが、それによる差別などは忌み嫌われるものであった。
フェフトに向かう二週間ほどの旅は、リオルとアルベルトの仲を劇的に改善した。
結局リオルが舎弟のようになってしまったので、ハルカの想定とは異なる状態なのだが、それはまあ仕方のないことなのだろうと諦めた。
歩きながら行われる身体強化や、毎夜行われる戦闘訓練に参加したリオルが、見事に全員にのされてからはずっとそんな調子だった。そうなってしまうと、尻尾を振るように強者への態度を改めるものだから、アルベルトも厳しく出ることができなくなったのだ。
やはりリオルはネコ科というより、イヌ科の性格をしているように、ハルカには思えた。
なんなら今仲間たちの中で、一番リオルからの評価が低いのは、ノクトであるといっても過言ではない。ノクトによれば、獣人というのはみんなこんな感じらしい。彼くらいになると若者一人の評価くらい、気に留めるほどのことではないのだろう。
国境沿いにある王国側の検問を通り抜ける。
門を抜けて、今度は獣人国側の審査があるのだろうと構えていると、その先にはテントがいくつか張ってあるだけで、だだっ広い平野が広がっていた。
数人のガタイのいい獣人が、焚火で大きな肉をあぶりながら、談笑している。
「入国の申請、どこでするんでしょう?」
ハルカが問いかけると、ノクトは笑う。
「そんなものありませんよぉ、あの辺の人たちに挨拶でもして先を急ぎましょうねぇ」
ひらひらと手を振るノクトに気付いた獣人たちは、同じように軽く手を挙げて、そのまま会話に戻っていく。何のためにここにいるのかわからないくらいだ。
「どうせここから入ってくる人は、王国を通ってきてますからねぇ……。無駄なんですよねぇ、ここに留まって審査をするのって。王国と険悪なときにはテントもたくさんあったんですが、今はこんなものです。それなりに信頼できる人たちが派遣されてきていますから、これでいいんですよ」
人の国とはずいぶん違った価値観を持っているのが、一目でわかる警備体制だった。幾人かがハルカに注目しているのに気づき、ハルカも軽く手を挙げて挨拶をする。すると獣人たちもへらへらっとしたしまりのない笑顔を浮かべて、手を振り返してくれた。
そういう反応は人とあまり変わらない。
「変わった国ですね」
抱き上げているユーリの頭に話しかけると「うん」と返事が返ってくる。左右で活動する獣人の観察に忙しいのか、返事はそれきりだ。背中でうごうごとナギが動く気配がして、右肩にその顔がぬっと突き出された。
ナギはユーリがきょろきょろしているのを真似して、同じように首を動かしている。
竜の成長というのはとても早い。なんとナギの大きさは既に、ユーリと変わらないくらいになっていた。ベッドに収まるとギューギューになってしまうので、ここ数日はハルカの前後に二人でくっついていることが多かった。
もうあと数か月もしたら、きっとナギは大人と同じくらいになっているに違いない。大人しくてユーリの真似ばかりしているので、暴れる心配はなさそうなのが幸いだ。
ちなみにトーチはすっかりモンタナの袖に戻って暮らしている。
たまに出てくるとナギが喜んで追いかけまわすのだが、大きさが違うので、慌ててまた袖に帰ってしまうことが多い。いくら慕われてるとはいえ、自分よりも数倍大きい生き物に追いかけまわされるのは、気が気でないのだろう。
ナギがもう少し賢くなって、追いかけまわされなくなれば、また仲のいい関係に戻れるかもしれない。今は万が一踏みつぶされないためにも、逃げの一手が正解である。
「ここから西へ行くと王の住む街、北東へ向かうと僕たちの拠点です。あなた達もいつか自分のクランを作りたいという話でしたからねぇ。一緒に来てみていくといいですよぉ。……護衛依頼は無事達成しましたから、報酬の話もしないといけませんからねぇ」
「あ……、そう、でしたね」
ノクトからされた依頼は、獣人の国フェフトまでの護衛だ。王国との国境を越え、無事にここに立っている時点で、それは既に達成されている。
「……そんな驚いた顔をして、依頼を忘れてたんですか?」
「あ、いえ、そうではなく。これで一緒に旅をしてもらえる理由が無くなってしまったのかと思うと、なんだか、複雑な心境で……」
ノクトは下を向いて角を指先で撫でる。
「いやぁ……、正直にそう言われると、なんだかしんみりしちゃうじゃないですか。ほらぁ、拠点に行きましょうね。まだ一緒にいられますし、別にのんびりしていってもいいですからねぇ」
すいーっと地面をすべるようにして先に進むノクトは、しばらく振り返らずに、フェフトの美味しい食べ物についてハルカに話してくれるのであった。