プライド
リルは扉を背にしてずるずると地面に座り込んだ。
先ほどのやりとりで精神的に疲れたというのもあったが、すぐには動けない姿勢になることで、相手に対して全面降伏をアピールする意味もあった。
リルにとってエリザヴェータというのは、無駄がなく、最善手を冷静に打ち続ける、どちらかと言えば人間味の薄い上司だった。
それがここ数日は、話に聞く獣人のノクトという人物と笑顔で雑談している姿をそこここで見かける。それは今まで見たこともない、エリザヴェータが油断している姿にも見えた。
こんな姿が知られたら、今は地下に潜っている有象無象どもが、喜び勇んで這い出してくるのではないか。
そんな心配していた矢先に、リルは女王の私室に呼び出された。
扉は少し開いており、楽しそうに話す声が廊下まで漏れ出している。普段だったらプライベートな姿を見せることなど滅多にない、氷の女王陛下とは思えない不用心さだった。
扉の前に立つと、明日になったら一人でこっそり出かける、という話をしているのが聞こえてきた。話の流れからすると、今決めたことではなく、どうも数日前から考えていたことのようだった。
リルは部屋の中に聞こえるように、わざと大きな咳払いをする。会話が止んだのを確認してから、ノックをして入室を求め、返事を待ってから中へ入り、しっかりと扉を閉めた。
油断した会話をしていた後だから、どんなに緩んだ表情をしているのだろうと、頭を下げながら考える。
許可をされて顔を上げると、そこにはいつもと変わらない、何もかもを見透かすような目をした女王が、リルのことを見つめていた。
「リル、明日の朝、私のフリをして指定された宿へ向かえ。宿にいる冒険者に護衛の依頼をし、街の外の散策をしろ。宿に着いた時点で護衛は城に帰せ。餌は撒いた。地下に潜ったネズミを根絶やしにするぞ。わかるな?」
「はっ、承知いたしました」
「なにか質問は?」
「冒険者の実力を」
リルは闇魔法を使い、特殊な技術こそ会得しているものの、戦闘に関しては十人並みだと自覚している。
「四級冒険者だ。ただしノクトじいのお墨付きがあり、私の妹弟子でもある。この仕事を危険なくこなせる程度の実力はあるだろうと、私は判断している。不服か?」
隣にいる獣人、そして妹弟子のことを語る時、エリザヴェータの表情がほんの少し和らいだことにリルは気づいていた。それはエリザヴェータに心酔して、暇さえあれば姿を探して顔を拝んでいるリルであったからこそ気づけた変化ではあった。
しかしリルは、その変化を良くないものとして捉えた。
「……俺は、そちらのノクト様のことも、妹弟子様のことも存じ上げません。無礼な振る舞いであることを承知の上で、お願い申し上げます。そちらの冒険者たちを、まず試させてはいただけませんでしょうか? もし実力不足と感じた場合、俺の方で戦力を補充してから任務をこなしたいと考えます」
「結構。お前のことは、隣にいるノクトじいと同じくらいには信用している。それが適切だと思うのであれば、任せる」
このノクトという獣人が、女王にとって大切な人物であることは情報としてよく知っていた。その人物と横並びに信用していると言われて、リルは天にも昇るような気持ちになる。しかしリルは、それがリップサービスであろうことにも気づいていた。
「……どんなふうに試すのかわかりませんがぁ」
隣に立っていたノクトがここで初めて口を開く。リルは女王の信頼を一身に受けるこの男が羨ましかった。小さな鍛えてもいなさそうな身体は、容易にどうにかできてしまいそうに見える。
しかしリルはそれが擬態であることも見破っていた。ただ人当たりよくニコニコ笑っているだけの獣人が、女王の教育など受け持つはずがない。まして信頼されることなど絶対にあるはずがなかった。
リルは、間伸びした言葉の続きを待った。
「油断しない方がいいですよぉ。冒険者はねぇ、舐められるのが嫌いなんです。たまに気にしない人もいますけどねぇ」
「ハルカは気にしなさそうだな」
「確かにそうかもしれません」
「案外お人好しだし、騙されるのではないか?」
「僕は流石にないと思いますけどねぇ」
二人穏やかに談笑を続ける。リルはその冒険者たちに、やや間抜けな印象を持ったまま、二人に頭を下げて部屋から出る。扉はしっかりと閉めてきたが、きっと数刻後にはまた隙間が空いて、廊下に声が漏れ出すのだろう。
リルはいつもより気持ち足早に、明日の作戦を練った。ぽっと出の四級冒険者を騙くらかすのは大前提だ。あちこちに散らばっている、荒事が得意な部下たちを集めておかなければいけない。
そうはいっても、どちらかといえば暗殺を主にする者たちだから、正面から戦うと、数人の犠牲は出てしまうだろう。それでも女王陛下からの任務を確実にこなすためには仕方がない。
もし件の冒険者が役に立てば、その犠牲も減るかもしれないので、ほんの少しだけ期待をする。最悪のケースは、妙な動きでこちらの邪魔をされることだ。
そういうタイプの冒険者だった場合、事が始まる前に一発かまして大人しくさせておく必要があるかもしれない。
結局今、リルの作戦は大いに狂っていた。一発かますどころか、体を穴だらけにされそうになって、地面に座り込んだ挙句に愛想笑いを浮かべている。
報告書には今日あったことを、うまく誤魔化して記載しよう。
ダークエルフの美女から向けられている冷たい視線に耐えながら、リルはそんな現実逃避をしていた。