往来の喧嘩
「おお、何やら騒がしいな。冒険者風の男と、獣人の男か。何か因縁でもあるのか? 他のものに迷惑をかけなければ構わんが」
「すみません、冒険者の方が私の仲間の一人です」
「……血の気が多いのだな」
「ちょっと離れます。師匠、よろしくお願いします」
ああしていつまでもアルベルトが言い争っているのは珍しいことだった。普段であれば、鬱陶しい相手がいると、もっと早く手を出している気がする。
アルベルトも少し大人になったのだろうかと思いながら、ハルカはユーリをノクトに任せて歩き出す。
ユーリも二人の大きな声に目を覚まし、ぱたぱた足を動かして立ち上がる。喧嘩腰のアルベルトが見えても怖がったりせずに「アルだ」と言って、にこにこと笑った。
「隊長からノクトってのを連れ戻せって言われてんだ。ここの支払いをしてやるから場所教えろって!!」
「さっきから断ってんだろうが! そもそもここで武器買うなんて言ってねえだろ、見てただけだ!! いい加減にしねぇとぶったぎるぞ! あとてめぇ財布もってねぇだろうが」
「あ、やっぱり財布盗んだのお前らか! くそが、わかったぜ。俺とタイマンして負けたら場所を教えろ! 一対一なら負けねぇよ」
「てめぇ、俺のこと舐めてんな。ちょっとこい、ぶっとばす」
いよいよ殺気立ったアルベルトが肩を怒らせたところで、ハルカは二人のそばまでたどり着き声をかける。
「アル、街中で迷惑ですよ。それにそちらの方も、交渉するならもう少し上手にやってください」
獣人の男はハルカの声を聞き、姿を見た瞬間に飛びのいて牙をむいた。人族よりいくらか鋭い犬歯の隙間から唸り声が漏れ、ハルカのことを威嚇する。
そんなに怒らせるような言い回しをしてしまっただろうか。
ハルカは困り顔で、念のためすぐ動けるように足の幅を少し広げた。
恐らく戦闘技術においては獣人の男に及ばないことは分かっていたが、力だったらなんとかなるはずだ。
「おい、剣士。俺を殴ったのは、こいつか? もう一人の女か?」
「……なんで俺が教えなきゃいけねぇんだよ」
「いいから教えろ、リベンジだ」
アルベルトがチラリと自分の方を見たのに気づいたハルカは、小さく頷いた。殴ったのは自分だし、トラブルになるのも仕方がない。
しかしけんかを止めに来たつもりで、自分がすることになるとは困ったものだと思っていた。
「そうだ、お前を殺しかけたのはこのハルカだ」
「アル? ちょっと言葉が強くないですか?」
「事実だろ」
「もう少し私と相手の心を傷つけない言い回しをしてもらえると嬉しいのですけれど……」
獣人の男は表情を顰めて、尻尾を少し垂らして尋ねる。
「俺……、死にかけたのか?」
「ハルカが治癒魔法使ってなかったら多分死んでたぞ。呼吸止まってたし」
「…………う、うおおおお、リベンジ、リベンジだ。今度はタイマンだ!」
表情がころころ変わってしばらく葛藤したのち、男は街中で大きく咆哮した。自分を奮い立たせるためのそれは、天高く響き、ただでさえ遠巻きにされていた円がさらに広がる。
これだけ広がっていれば魔法も使えるだろうと判断したハルカは、動作もなく自分の頭の上に炎の矢をいくつか浮かべた。
「魔法使いか、殺さないように気を付けるか」
体勢を低くした男は、走り出す。
ハルカは照準を合わせて炎の矢をいくつか放つが、そのどれもがかいくぐられる。正面から撃つと、これくらい動ける相手には避けられてしまうらしい。
もし強い相手と戦う時は、もっと面での攻撃を意識しよう。
新たな知見を得ながら、ハルカは右手に岩で作った巨人の拳を纏わせて、それをゆるりと振るった。勢いよくやると恐らくプチッといくので調整が難しい。ひとまず距離をとるために振るったそれを、男は真正面から迎え撃った。
咆哮と共に放たれた男の蹴りが、岩を砕く。
驚いて目を見開くハルカに、男は叫んだ。
「とったぁあ!!」
蹴りを放った姿勢から、そのままぐるりと一回転、仕掛けられた足払いの勢いは大したもので、人の骨を容易に粉砕する威力を秘めていた。
跳ぶ? 障壁? 受けるか、反撃するか。加減はうまくできるか、難しい、これは間に合わない。
咄嗟の判断が遅れて、ハルカは苦虫をかみつぶしたような表情を浮かべる。戦闘経験が足りない。もっと経験を積まなければいけない。
その一撃を足に受けると、すさまじい音が辺りに響き、折角新調したばかりのズボンの一部が、ただの布となって散ってしまった。
会心の一撃をいれたつもりだった、男はほんの一瞬だけ呆けたが、自分の足に返ってきた痛みで我に返った。
反対の足で、飛び上がるようにして拳を振るったが、呆けた時間もハルカは冷静に相手を見ていた。男の冷静な一撃であれば、ハルカが受け止めるのが難しかったかもしれないが、今回の拳は苦し紛れの攻撃だった。
ぱしりとハルカが手のひらでそれを受け止め、そのまま手首をつかんだ。
慌てて拳を引こうとした、男だったが、掴まれた箇所が万力で締め上げられたかのように痛み、そして動かない。
「終わりにしませんか?」
ハルカの提案を男は受け入れない。
「馬鹿言うんじゃねぇえええ!」
空いている拳が振るわれたのを見て、ハルカは片足を引いて、掴んだ腕を引っ張り、地面から引っこ抜くように相手を投げた。
握った手首からぱきっと骨の折れる軽い音がした。
相手が頭から落ちそうになっているのを見て、慌てて捕まえた手首を引っ張ると、今度はどこか関節の外れる感触がした。
ダイレクトに手に伝わってくる、人体が壊れる感覚にハルカは眉を顰める。
男が完全に破壊された自分の腕を抱えて、地面に転がった。
歯を食いしばり、睨み上げてくる相手に対して、大した戦意だとハルカは感心してしまった。しかし、いつまでも往来を占拠し続けるのは、周りに迷惑がかかる。
「この辺でやめておきましょう。周りにも迷惑です」
ハルカが見下ろしながら今一度提案すると、男は自分が蹴ったはずのハルカの足に視線を向けて、痛みをこらえながら大きく息を吐いた。
「……今回は、勝ちを譲ってやるよ」
どこまでも態度の大きい人だなぁと、ハルカは頬をかいたが、本当はそうではない。
男のその発言は、ハルカに対する恐怖を誤魔化すための精一杯の虚勢でしかなかった。