渦巻く
ユーリはベッドの縁に掴まって、いつもみんなのことを見ている。
たまにみたことのない生き物がいて、目を奪われたりもするのだけど、大体いつだってハルカとその仲間たちを見つめていた。
ユーリが思考をきちんと持っていることを確信しているのが、ノクトとモンタナ。
そうではないかと思っているのがハルカ。
賢いから言葉の理解はありそうだ、くらいに思っているのがコリンとアルベルトだ。
自分への対応の違いで、ユーリはそんなふうに当たりをつけていた。
ユーリはこの旅についてくるようになってから、自分が何の役に立ててもいないことを、ずっと気にしている。
体が赤ん坊であるから、何もできないのはわかっているのだ。それなのにみんなが自分のことを大切にしてくれる。役に立たないなと適当に接してくれてさえいれば、こんな焦燥感を持たずに済んだのにと思うくらいだ。
何か恩返しをしたいのに、何もできない。気持ちも歯がゆければ、最近乳歯がニョキニョキ生えそろってきて口の中もなんだか痒い。
小さな子供は小さな子供なりの悩みも多い。
国元にいた頃は、大きくなるのが少し怖かったのだが、近頃は成長に対する恐怖感というのはほぼなくなってきている。
ノクトが、自分のことを一人の人間として扱って、当たり前のように世界のことを説明しながら歩いてくれるのが嬉しい。
アルベルトが、大きくなったら戦い方を教えてやると意気込んでいるのが嬉しい。
コリンが何か新しいことをするたびに、猫かわいがりしてくれて嬉しい。
モンタナが静かに作業をしながら、たまに手を止めて何をしてるのか教えてくれるのが嬉しい。
ハルカが、何かあるたび、何もなくても自分の方を振り返って、ほっとしたように笑いかけてくれるのが嬉しい。
このままでいても、毎日楽しくて嬉しいことばかりだ。
だというのに、早く大きくなって歩けるようになって、みんなと一緒に悩んだり、戦ったりしたいと思っていた。
前までは未来を望んだことなどなかった。早く終わってしまえばいいと思っていた。
今はすっかり欲深くなって、いろんなものを望んでしまっている。こんなに幸せに暮らしていていいんだろうかと、たまに不安になるくらいだった。
ユーリはたまにわがままを言って、ハルカを少し困り顔にさせる時がある。そんな時ユーリは自分のために困ってくれて嬉しい気持ちと、すごく悪いことをしてしまったという罪悪感で、感情がぐちゃぐちゃになることがある。
感情の整理は上手なつもりでいたのに、みんなの世話になるようになってから、ちっともうまくいっていない。
何度かそんなことを繰り返しているうちに、ようやくユーリは気づいた。
前までの自分は、感情整理が上手だったのではなくて、持っていた感情の数自体が少なかったのだと。スカスカのスペースに、ほんのいくつかの感情が置いてあるだけなら、誰だって綺麗に並べておくことができる。
今の自分はそうではない。
喜怒哀楽が空から次々と降ってきて、地面からこくこくと湧いてきて、それに囲まれて整理がつかなくなっている。喜びにもいろんな種類があることを、ユーリはこの世界に生を受けて初めて知ることができたのだ。
両手いっぱいにしてもまだあまりある感情の山が、やっぱりユーリは嬉しかった。
そんなわけでユーリは、まさに生まれて間もない赤ん坊のように、知識を、感情を新たに学び続けている。
ユーリが初めて持った夢は、ハルカや仲間たちのように、自由に生きる冒険者になることだった。
ユーリはテレビで入手できる程度の知識なら持っている。学校教育なんていうのを受けた記憶はなかったが、家ではいつもテレビがついていて、ユーリ以外は見ていないニュースが流れていたから、意味もなく世間の事情に詳しかった。
勉強をしているときは自分の置かれた状況について考えずに済む。だから現実逃避の手段としても、ユーリは知識を取り入れることが嫌いじゃなかった。
だからこそユーリは、この世界に来てからの自分の立ち位置というものを、しっかりと理解できていたし、ハルカたちの誰とも血がつながっていないことを嘆いたりしていなかった。
もとより、血のつながりがあるから、良好な関係を作れるだなんていう幻想を持っていなかったので、ハルカの心配そうな表情を見て、そんなに気にしなくてもいいのにと思っていた。
そんなことよりユーリが気になったのは、ハルカのフルネームだった。
ハルカ=ヤマギシ。
日本風に言い直せば、多分、山岸はるか。
和風な名前をつける国があるというのを聞いて、ユーリはノクトにその国について尋ねたことがある。確かに昔の日本のような雰囲気の国であり、侍やら忍がいると聞いた。そしてその国に住む人の名前もまた、昔の日本のようであると聞いたのだ。
男なら何々座右衛門であったり、女なら家名を名乗らず、花や木などの植物の名前。
山岸はるかという名前は、ユーリの耳には、あまり古風なものには聞こえなかった。
ハルカの発した、この世界には、という言葉も気になった。
誰もいないということを強く意識して言っただけなのかもしれないけれど、それにしてはなんだか引っ掛かる言い回しだった。
ママはもしかしたら、自分と同じ世界の人なんじゃないか。
ユーリはほんの少しの、秘密を共有できるかもという胸の高鳴りを覚えた。
それからすぐに、すっと心が冷える。そんなドキドキより遥かに大きな、元の世界の自分を知られたくないという思いに心を支配される。
ユーリは事実の探求から素早く目を逸らした。
今はただ、ハルカが自分のことを家族だと思ってくれていて、そう呼べるだけでいいと思った。大切だと言ってもらえるのが嬉しかった。
もし余計なことを言って、関係性が拗れてしまったら。それを想像しただけで、心が壊れてしまいそうだった。
ノクトと女王の長い会話を聞き流し、ユーリはうとうとしながら考える。
ママには言えない、誰にも言えない。自分が生まれ変わりだなんてことは言うわけにはいかない。言わなくたって、幸せに暮らしていける。
何か間違えているような気がして、胸がざわついた。ユーリはそれがなんだかわからず、ぎゅっと強く目を閉じた。ユーリの意識は少しずつぼやけていく。
ノクトの、淡々と情勢を語る声が少し遠くなる。
背中にまわされたハルカの手が、優しくリズム良く動いて気持ちがいい。だというのに、今日の昼寝は、どうも嫌な夢を見そうな気がした。