師弟の続き
「そういえば、今日の執務や面会は大丈夫でしたか? そとには結構な人が待っているようでしたが」
「今日の予定はすべてキャンセルした。いつも真面目にやっているのだ、たまには構わないだろう。火急の用がある者に限り、取り次ぐように伝えている。誰も来ないということはそういうことだ。そんなことよりも……」
言葉を切ったエリザヴェータが足を組んで身を乗り出し、ハルカの顔をじっと見つめる。にやりと笑うと表情が少し幼くなった。
ハルカからすれば、二十代の女性というのは難しい年齢だ。
会社勤めの時代はいろいろと気を使ったものだったが、裏で何を言われていたかわかったものじゃない。まだ十代の女性の方が、子供に見えるので、接するのにプレッシャーはなかった。
見つめられたところで、出てくるのは嫌な汗くらいなものだ。
「確かに美しいし、珍しい種族だが、いったいどうして弟子なんかとったんだ? 何かに困っている風にも見えないが」
「何度か申し込まれたので、一緒に旅するくらいならいいかなと。ハルカさん含め、パーティメンバーの誰もがいい子ですし、将来性もあります」
「……随分と褒めるな。私は少し嫉妬し始めたぞ」
「あ、いえ、私がしつこかったので了承していただいただけですよ。旅中でも師匠はいつも陛下のことを気にされていました。嫉妬されるようなものではありません」
エリザヴェータの目が、徐々に細くなり、肉食獣のような鋭さを帯びてきたのを見て、ハルカは慌ててフォローにまわった。
「あーあー、気にするな。嫉妬という言葉がよくなかったな。ただ幾年も顔を見せなかったのに、こんな美人と楽しく旅をしていたのかと思って腹が立った感じだ」
「……リーサ相手だから言いますけれど、もう一つ理由はあります。当時、ハルカさんの力の底が見えなかったので、目を離すのには危ういと思ったんですよ」
「何を大げさな……、……そんなにか?」
エリザヴェータが笑い飛ばそうとしてから、ノクトの表情を見てまじめな顔になった。
ハルカはやっぱり置いてけぼりだ。自分でも自分の力がよくわかっていないから口を挟めないでいるともいえるし、ただ会話に混ざるほどのコミュニケーション能力がないだけとも言える。
「最初に断りましたよ。あなただから言う、と。ハルカさんにもよく聞いてほしいんですけどね、僕はあなたの実力を把握しきれていません。知識としてはいろんなことを教えてあげられますが、それだけです。きっと本気で戦ったら、あなたの方が強いですよ」
「……なんの冗談だ。私は個人でノクトじいより強いのは、クダンという化け物しかいないと思っていたぞ」
「それは言いすぎですが、何にしても冗談ではないんですよねぇ。リーサが友好的に接してくれてよかったです。いつか何かあったとき、きっと頼りにすることができますよ。当然その時は、冒険者に対してのルールは守ってくださいね。ちなみに仲間たちが優秀と言ったのも過大評価じゃありませんよ。少なくとも全員が一級冒険者レベルの実力を持っていると思っています。……経験はまだ足りませんけれどね」
エリザヴェータは腕を組んでうーんと考え込んでしまった。
その間にノクトは体ごとハルカの方に向けて、少し顎を上げ、目を合わせて言葉を紡ぐ。
「こんな感じで、僕にも打算というものがありました。あなた達との旅は楽しかったですし、打算がすべてであったわけでもありません。それでも何か言いたいことがあるのなら、今のうちに聞いておきましょう」
ノクトにじっと見られたハルカは、一度目を閉じて考える。
ノクトの考え方や動きは老練で、底が見えないことが多い。
それでも様々なことを教わって、気遣われて、ここまで来たことは分かっていた。
もしノクト抜きで王国内を旅をしていたら、もっとひどく取り返しのつかないトラブルに出会っていたかもしれないし、どこかで心が折れてしまったかもしれない。
そもそもノクトを師匠と呼んだ理由には、魔法の技術の他に、ノクトの生き方に憧れたからというのが大きかった。
言いたいことはたくさんあったが、それはノクトを非難するような言葉ではなかった。
「師匠、私はあなたの生き方や考え方に憧れたんです。王国内を歩き回るうちに、恐らく昔は悪いこともしてたのかなとは思いましたが、それでも私の憧れる、自由で勝手な冒険者の像は師匠ですよ。なんとなく冒険者になった私に、冒険者が何かを教えてくれたんです。わざわざ非難されようとするなんて、師匠らしくないですね。それとも久しぶりにあなたの大切な人に出会って、私に師匠と呼ばれるのが嫌になりましたか? そうだとしたら私はとても悲しいですが」
「……いい子ばかりしていると、人にいいように利用されてしまいますよぉ?」
「私は、師匠が大事にしてる人に相談をされたら、それを無下にはしませんよ。それは恩を受けたからとかではなくて、師匠のことが好きだからです。そんな相手が大事にする人なら、私とも仲良くなれるかもしれません。……もちろん、私は冒険者ですので、依頼ならばお代はいただきますが」
「んー……、んんー……」
ノクトは背もたれにボスッと埋まって、なんとも言えない声を上げて数秒天井を見つめる。
「いやぁ、ハルカさん。なんか、成長しましたねぇ。いつの間にそんなにはっきりと、自分の気持ちを伝えられるようになったんですかぁ?」
「師匠があちこちでトラブルに巻き込んでくれたおかげだと思います」
「嫌味も上手になりましたね。そういうことなら、これからも師匠みたいな顔をしていることにしましょう。きっとそうした方が、僕にとってはいいですからね」
「ええ、そうしてください。私も勝手に師匠のことは師匠と呼び続けます」
むず痒かったが、妙な達成感があった。
晴れ晴れしい気持ちとはきっとこのことを言うのだろう。
ハルカがノクトの方を見て笑っていると、目の前に影が差し、二人の間にエリザヴェータが無理やりドスンと割り込んだ。
「ようし、そんなノクトじいの大事にしている、姉弟子の私のことは、親しみを込めてリーサと呼ぶがいい。公の場でそう呼ぶことも許す。それから話は私を中心にしろ、折角今日一日自由の身なのだぞ、何百日ぶりだと思っているのだ。ああ、あと今から出かけるぞ。ハルカの仲間というのも見てみたくなった」
女王様は見た目だけは堂々とそう言ってのけたが、ハルカとノクトには小さな子が構ってもらえずに、勇気を出して割り込んできたようにしか見えなかった。嫌味にならない程度に二人が小さく笑うと、エリザヴェータの頬が少し赤らむ。
王国の女王様は、ハルカが思っていたより随分と可愛らしい人であるようだった。