ヴェルネリ辺境伯
大きな丸太で組まれたログハウスの扉を、ウーが拳でゴンゴンと二度叩いた。
「入るぜ旦那」
返事も聞かずにウーが扉を開ける。その巨体が邪魔して扉の先は見えないが、声だけが聞こえてくる。
「ノックをしたら返答を待つべきでは?」
想像していたのとは違う、少し高めの静かな男性の声が聞こえた。遠慮するという考えがないのか、ウーはそのままのしのしと中へ入っていく。
「何か不都合でもあったかよ」
「ない。常識の話をしている」
「そんじゃあいいだろ」
「…………用件は」
ウーが体を横に避けると、中を窺うことができた。それほど広くない室内には、紙の束が山のように置かれている。それは広い机の上に留まらず、床にまで積まれていた。
机に向かって、三十前後に見える線の細い男が椅子に座っていた。書類から顔を上げずに、筆を滞りなく動かし続けている。顎にぽつぽつと髭が生えてはいるが、まだらなところを見ると、元々髭の生えにくい体質なのだろうと思う。
筆を止めて、書き終えた書類を横によけて、男は初めて顔を上げた。
目の下には濃いくまができており、顔色は不健康に青白い。不機嫌に細められた目がハルカたちの方を向いてから、視線だけがウーに移される。
「誰だ」
「うちの拠点を襲った巨人三体を撃退した凄腕冒険者だ。何を話すかは旦那が決めな」
男は静かに筆をおいて、立ち上がる。目を閉じてこめかみを指先で押さえてから、机の上に散らばった書類を重ねて床に下ろす。そうしてゆっくりと机の前まで歩いてきて、口を開いた。
「私がヴェルネリ=ディグニタスだ。働きに対して、こちらには報酬を支払う用意がある。ウーが認める強者だというのが本当なのであれば、我が領で相応の身分を与え雇い入れたいと考えるが、そちらはどうだ」
「報酬はいただきます。ありがたい申し出ですが、雇用に関してはお断りいたします。現在も冒険者としての依頼の途中ですので」
ヴェルネリはじーっとハルカたちの顔を順々に眺めてから、眉間を指でもんでため息をついた。返答が気に食わなかったのかと、ハルカは内心焦りながらも、すました顔で相手を見つめる。
「…………座って話してもいいだろうか?」
「ええ、もちろん」
ヴェルネリは机に手をつきながら、元座っていた椅子まで戻って、ゆっくりと腰を下ろす。肘をつき手を組んで、その上に顎を乗せ、今にも眠りそうな細い目でハルカたちを見つめる。
「無理強いはしない。ただもし知り合いに身分を欲する強者がいればここを紹介してほしい。無下な扱いはしない」
「……人手が足りないんですか」
「強者が不足している。ついでに前線についてくる文官もだ。お陰で碌に休息が取れん。だというのにこいつは、友達の家にでも来るような気軽さで、仕事の邪魔をしに来る」
ウーの方をちらりと見て、ヴェルネリはそう愚痴り続ける。
「しかしこの強さは希少だ。いちいち咎めてられんから、好きにさせている」
ウーは机の前に立って、護衛の騎士のようにハルカたちに相対していたが、ヴェルネリの言葉を聞いてにやにやと笑った。
「よくわかってるじゃねぇか、旦那」
ヴェルネリはその言葉を無視して続ける。
「冒険者であるというのなら、依頼は受けるのか?」
ハルカが返答に悩んで仲間を見ると、好きにしていいと頷きが戻ってきた。
街を見ていた時は強硬で、冷酷な人物を想像していたのだが、実際に会ってみると印象が随分とぶれる。物分かりのいい、苦労性の役人のような雰囲気なのだ。冒険者だからといって馬鹿にしてくる様子もない。
「内容によります」
「……ウー、この冒険者たちの実力は?」
「さぁな。少なくともそこの美人な姉ちゃんは、一人で俺の部隊を壊滅させそうな魔法を平気で使うぜ」
「そんな奴をわたしの前に連れてくるな」
「襲ってきても、旦那が逃げる時間くらいなら稼いでやるぜ」
「返り討ちにとは言わんのだな」
ふっと意地悪に笑ったヴェルネリに、ウーはムッと口を閉じて黙り込んだ。背もたれに寄りかかったヴェルネリは、丸められた大きな地図を机の上を転がし広げた。気だるそうな動作で四方に重りの石を置いて、丸まらないように紙を固定する。
「もう少しこちらに寄れ。依頼の話をしよう」
ハルカたちが机の周りに集まると、ヴェルネリは地図の上を指でなぞる。
「今なぞった線より内側は、おおよそ制圧した領域。とはいえ、巨人がよく紛れ込んでくるので油断はできない。前線は順調に少しずつ押し上げられている。しかし最近になって、二度部隊が全滅するということがあった。一部の逃げ帰った者によれば、十メートル級の巨人が現れたとのことだ。今の我々の戦力だと、その大きさの巨人と渡り合えるのは、ウーともう一人くらいしかいない。部隊を率いているから、勝手に前線でうろうろされても困る。ここまで言えば依頼内容はもうわかったな」
「その十メートル級の巨人の討伐ですね」
「そうだ。好きに前線をうろついて、見つけ次第討伐してほしい。奥地へ進むほど強い巨人が出てくるのは分かっていたが、出てくるのがあまりに早すぎる。こちらの戦力補充が間に合っていない。特異な個体だろうから、こいつさえなんとかすれば、また予定通りに領域を広げられるはずなのだ」
言い終えると、ヴェルネリはまたこめかみを手で押しながら大きくため息をついた。ひどく疲労しているのが一目でわかる。
「返答は……、いつでも構わん。受けるか受けないかだけは連絡をしてくれ。……私は三十分仮眠をする」
「あー……、あの」
腕を組んで目を閉じたヴェルネリに、ハルカは控えめに声をかける。ヴェルネリをこのまま放っておくと、そのうち心臓か脳辺りがやられて、気づいたら死んでしまいそうに見えたからだ。
「よかったら、治癒魔法を使いますが」
「……怪我や病気はしていないが?」
「そうかもしれませんが、疲労感が取れて体の調子が良くなると思います」
「……何かしてくるにしても今更だな。では頼もう。魔法を受けた後の調子に応じて、報酬は支払う。どうすればいい?」
「ではちょっと、横に失礼します」
ハルカはヴェルネリの横まで移動して、肩のあたりに手を置いて治癒魔法を発動する。身体の治癒機能を促進させ、疲労を回復させる。いつも訓練の後、仲間たちにかけているのと同じだ。
勢いよく横を向いたヴェルネリがハルカのことを凝視する。目が爛々と輝き、その細い体には生気が満ちているように見えた。ハルカが思わず後退り、じりじりと仲間の方へ戻ると、ヴェルネリはその動きをじっと目で追った。
「……驚いた。ウーよ、とんでもない治癒魔法師を連れてきたな。しつこいようだがもう一度誘っておこう。是非うちで働いてほしい。報酬はいくらでも払う。なんならば妻に迎えてもいい。一生不自由はさせない」
「い、いいえ、お断りします」
「そうか、残念だ。どのような立場でも良いから、前向きに検討してくれ。……よし、また数日は寝ないで仕事ができそうだ。ああ、依頼の件もよく検討してくれ。治癒魔法も合わせて報酬は弾む。……そうだな、巨人討伐で金貨三十枚、治癒魔法に六十枚、依頼の完遂で金貨五百枚出そう。相談後、依頼料についても何かあれば聞く。では私は仕事に戻る。ウーよ、彼らに食事を出してやってくれ。あと次来る時はちゃんと許可を取ってから入ってこい」
残念だと言いながらも表情をピクリともさせなかったヴェルネリは、そのまま筆をもって、猛然と書類を片付け始めてしまった。これだけあっさりしていると、断ったほうも気にしなくていいので助かる。そもそも男性からの求婚自体勘弁してほしくはあったが。
ウーは肩を竦めて、歩き出す。
「こうなるともう何言っても聞きやしないぜ。どうせ集中してるとノックしても気づかねぇんだから、許可なんて取りようがねぇんだよ」
ブラック企業にいたら重宝されそうな人材だ。
そんなことを思いながらハルカはウーの後に続いて部屋から出ることにした。
日が傾いてきて、あちこちで炊き出しの煙が上がっている。前線基地とはいえ、これだけ人がいれば、美味しいものが出てくる可能性も否めない。
何かを考えるにしても、食事の後にしよう。
ハルカは先ほど求婚されたことなどすっかり忘れて、料理から漂ういい香りに鼻をひくつかせた。