乱入
ハルカは目を細めて対岸を見つめた。
目が悪かった時には、よくこうして遠くのものを見ようとしていたが、今はそうでない。巨人のこん棒に殴打されて吹き飛んだ兵士が、ピクリとも動かないのを遠くに見て、どこかやるせない思いを抱えていた。
本当に厳しい世界だと思うのと同時に、本当は元の世界でだってこんな様相はあちこちで見られたのだろうと思う。
ただ自分が戦いのない平和な国に生まれ、なんとなく生きていただけだ。
失った命は取り戻すことができない。
数秒瞑目し名も知らぬ失われた命を思い、それで気持ちを切り替えた。
「まだいるですね」
目を開けると隣にいたモンタナが、対岸の森の中を指さした。
がさりがさりと木々を草の様にかき分けて、さらに三体の巨人が姿を現したのだ。
歓声がやみ、司令官が大声で指示を出す。
「一人一射して撤退! 弓隊は後に続け! 前衛は時間を稼げ!!」
無情な指示だった。
先ほどまで喜びの声を上げていた槍を持った兵たちが、振り返り一緒に逃げ出そうとする。その頭の上を矢が飛び、巨人たちに降り注ぎ、ほんのわずかな時間を稼いだ。
司令官は真っ先に戦場を離脱しながら、叫ぶ。
「命令に従わない場合は、処分だ! とにかく時間を稼げ、弓兵が無事撤退して生きていた時は、昇進させてやる!!」
その言葉に槍兵たちが動揺して二の足を踏んでいる間に、弓兵たちが隊列を崩し、司令官に続く。
矢を射かけられて激昂した巨人たちの咆哮が辺りに響いた。
この後のシナリオは既に見えたようなものだ。
ハルカはまた目を細めて対岸を見る。じりっと足が動いたところで、アルベルトがハルカの背中を叩いて走り出した。
「ちょうどいいから、力試ししようぜ」
既に背中しか見えないアルベルトがどんな表情をしていたか、ハルカにはわからない。もしかしたら本当に力試しのつもりかもしれないし、捨て駒にされた兵士たちをあわれに思ったのかもしれない。
何だか先を越された感じだが、気分はいい。
「ちょっと待ってくださいねぇ」
走り出したアルベルトの背中にノクトののんびりとした声がかかる。
ノクトが右腕を前に出して、指をちょんとふると、湖に桃色の橋が架かる。
「はい、直通ルートですよぉ」
「お、そっちのが早いな」
アルベルトが戻ってきている間に、ハルカは湖に架かる道を走り出す。その横を身を低くしたモンタナが前傾で駆けた。
「ハルカ、力試しには巨人が一人いれば十分です」
「では、前の二人は私が」
一番前にいる巨人がこん棒を振りかぶる。背中を見せて逃げ出そうとしていた兵士数人は、後ろを向いて顔を恐怖で歪ませた。
統率が取れなくなった弱者の集団が対抗できるような相手ではない。
振りかぶられた頂点でこん棒の動きを止めるように、ハルカは障壁を張る。
小さな人間をまとめて殴り殺そうとしていた巨人の手首に、思わぬ負荷がかかる。骨の折れるバキリという音がハッキリと聞こえ、手首があらぬ方向にぐにゃりと曲がった。
痛みに叫んだ仲間の様子に、不意打ちを受けたのかと考えた巨人が、周囲を見回した。そして湖の上に乱入者を見つけて、進路を変える。
先に仕留めなければいけないのは、逃げ出す獲物ではなく、牙をむく敵対者だ。常に戦い生きる巨人たちは、その判断を間違えない。
ハルカは走りながら右腕を大きくふり、巨大な風の鎌を放つ。
手首を破壊された痛みに叫びながらも、地面を踏みつぶすような足音でハルカたちの方へ向かってくる巨人の首が飛んだ。首から巨体に見合った血が噴き出した。巨人は頭が無くなってなお、数歩すすんで、そのまま前のめりに倒れる。湖がしぶきを上げて、ジワリと赤く染まっていく。
巨大なこん棒がぷかりと湖に浮かぶ。
ハルカは自分の作りだしたグロテスクな光景を見て眉間にしわを寄せて、奥歯をぐっと噛みしめながら走る。
残り二人。
仲間が倒れても巨人はひるまない。不可視の攻撃に警戒しているそぶりは見せたが、ノクトの作った障壁の橋に足をかけて、ハルカたちに迫ろうとして、たたらを踏んだ。
巨人の足元の障壁だけが急に消えたせいだ。
ノクトが後方で微笑みながら呟いた。
「勝手に乗らないでくださいねぇ……」
ハルカは走りながら魔法を発動する。
巨人と戦うにあたって、近接戦をするときに使ってみようと考えていたものだ。モンタナの剣を延長するという話から思いついた魔法だった。
ハルカの右拳を覆うように巨大な岩が出現する。
それは巨人のものよりもさらに大きな、拳の形をした岩だった。
障壁を踏み外して膝をついている巨人の顎に向けて、右の腕を思いきり引き絞り、力任せに放つ。
素人の力任せの一撃は、適切に顎を捉えることはなかったが、そんなことは関係なかった。
手にまとった岩が砕け、巨人の首がグリンとねじれ、横回転する。体が湖を数回はねてそのまま沈んだ。
思っていたのとは違う惨憺たる結果に、ハルカは表情を引きつらせたが、モンタナ達は平気な顔をして、その場に足を止めたハルカを追い抜いていく。
「あと任せるです」
「よくやった!」
先を走るモンタナが絶対に届くはずのない距離から短剣を振りぬく。
一歩踏み出そうとしていた巨人の左脛に赤い線が走り、そのまま体のバランスを崩す。
ごろりと巨人の左足が体から離れた。
ほんの一瞬の絶叫を上げた瞬間、巨人の下へたどり着いたアルベルトが、右下から左上へ剣を振るい、巨人の首を斬り飛ばす。
胴体と離れた口からはごぼごぼと血が溢れ、声が無くなった。
首から噴き出す血を避けるように、アルベルトが体を捌き、崩れ落ちた巨人を睨みつける。
「よし、いける」
再び動き出さないことをしっかり確認したアルベルトが言うと、モンタナも短剣を鞘に納めて歩み寄っていく。
「身体強化してない生身ですから。【獅子噛み】さんの方が強かったです」
「だな」
二人はぱちんと手を合わせて、どこか満足そうな表情を浮かべていた。