獲物
全員が揃いも揃ってホーンボアがこんなに大きな魔物だとは思っていなかった。地響きを立てて倒れた巨大な魔物を呆然と見つめる。倒せはしたが、これをいったいどうやって処理したらいいものかがわからない。
元々アルベルトは何匹も狩って、今日で等級を上げてやる、と息巻いていたのだが、こんな化け物みたいな猪を何体も狩ったところで、持ち帰れずに腐らせてしまうのがおちだ。
強敵を倒して気が抜けていたが、最初に立ち直ったのはコリンだった。アルベルトの肩をつつきながらいじわるそうに笑ってからかう。
「アル、あんたホーンボア何匹狩って帰るんだっけ?ん?」
「………」
「5匹狩ると階級上がるんだっけ? あと4匹狩ってくる?」
「……」
「ねえねえ、どうするの、ねぇ?」
「よし、俺はやっぱり足を倒れた木に縛り付けて、木ごと運んだらいいと思う!」
コリンを完全に無視して、その頬を手のひらで押しやり遠くにやりながら、アルベルトが提案をする。アルベルトはコリンが相手にするだけ調子に乗ることを知っていた。詰まらなさそうな表情をしているコリンがその証拠だ。
ハルカは恐る恐る血の海の中にいるホーンボアに視線を移してみる。
体高も幅も二メートルくらいあり、体長はその倍はある。そうなってくるともう車みたいなもので、体重は軽くトン単位になるだろう。木にくくったところで、よほど丈夫なものでない限り持ち上げた瞬間にへし折れる。
ここ数か月仕事をしてきた風景を思い出してみると、重さ的には運べないことはない。ただ生き物だからバランスが悪くて、実際に持ったら難しいように思う。血がだらだら流れ出している生き物を背負って運ぶのも嫌だった。血抜きとかを全てここでやってしまえばいいのかもしれないが、こんな大物を捌く技術は誰も持っていない。
しばらく考えてから、こんな化け物を一応運べないことはない、と思う自分が可笑しくてハルカは自嘲する。
「そのやり方だと木が折れてしまうと思いますよ」
「ぶっとい木を使う!」
「持ち上がりますかね……?ロープでくくって引きずっていきます?」
「街につく頃にはだいぶすり減ってそうだよなー」
「そうですよねぇ」
挑発に全然乗ってこないアルベルトをからかうことに飽きたのか、コリンが人差し指を口元に当てて、うーんと考える。しばらくそうして、不毛なやり取りを続ける二人を見ていたが、何か思いついたようで、はーいと元気に手を挙げた。
「私、そりを作ったらいいと思う!」
「……あ、確かにそれはいいですね。工事現場でもよく重いものを運ぶのに使ってました」
腕くらいの太さの木を集めて、束ね、それにホーンボアを乗せる。つないだロープを引っ張っていけば、なんとかなりそうだとハルカも賛同した。
「木に引っかかって運べないと思うです」
モンタナが見まわしながら、ぼむぼむとイノシシのお腹を叩く。
他の面々も周りを見渡して、あー、と苦い顔をした。
周囲一帯はホーンボアが大暴れしたせいで、ある程度開けていたし、そりの素材になりそうな木もたくさん落ちているのだが、いかんせん拠点までそりを引きずっていけるほどには開けていなかった。
「いっそここで解体できればいいんですけど……」
「あ、いいじゃんか、そうしようぜ!」
「そうね、流石ハルカ!」
「です」
解決方法が見つかってよかった、と三人がホーンボアのそばによって行き、そこでまた誰も動かなくなる。
「私たち、解体する道具なんて持ってきていないんです。やり方もわかりません」
ここにきて改めて、パーティの経験不足が完全に露呈していた。
気まずい雰囲気の中、次なる策を練っていたところ、モンタナがピクリと耳をそばだてた。
「広場の方から誰か来てるです」
街から離れたところ、まして森の中で人と会うならその種類は大抵2択だ。
同業者か盗賊。
4人はモンタナの指さした方向へ向けて、各々が戦闘できる態勢を整えた。人間と戦闘になるかもしれないと思うと、ハルカの心臓はバクバクと音を立てる。まだそんな覚悟はできていない。足が震えている気がする。武者震いじゃない、ただの恐れから来る震えだった。
がさりと茂みを分けて現れた面々に、一同は緊張を解いた。町でよく見かける冒険者たちだったからだ。三級の冒険者チームで、その名前は【抜剣】。街の中じゃ結構有名な冒険者たちだった。高名、ではなく有名な理由は構成メンバーの全員が剣士であるということだ。一切の搦手を使わないことから、受けられる依頼は限られていたが、戦闘能力は同じ等級の中では頭一つ抜けている。
人柄は悪くなく、ただそれぞれが自分たちのスタイルにプライドを持って冒険者をしている、一風変わった集団だった。
「ん? なんだ、お前らか。随分派手に騒いでたからいったい何事かと思ったぜ。賊なら剣の錆にしてやろうと思ったのによ」
リーダー格である、アンドレがおどけて肩を竦めた。
「お前ら、いったん帰りな。この辺りにホーンボアの進化体が出たって噂だ。のんびりしてると、こーんなでっかい猪に頭からぼりぼり食べられちまうぜ? 四級冒険者以下は撤退しろとよ。大捕り物中に子守りは勘弁だぜ?」
腕を横に広げ、こーんなにだ、と言いながら笑うアンドレ。普段からそうなのだが、新人冒険者たち全員を自分たちの後輩と思っているようで、こうしてふざけながらも色々とアドバイスをしてくれる、人のいいおじさんだ。
「そんなでっかい……」
ハルカは、今倒したホーンボアよりもさらに巨大だという進化体を想像する。昔に見た怪獣たちが戦うシネマを思い出していた。この世界にはドラゴンもいると聞いていたから、もしかしたらそのうち本当に怪獣に匹敵するような生き物に出会うこともあるかもしれないと思い、ブルリと体を震わせた。
「まじかよ、これよりでかいの出るのか?!」
アルベルトが興奮しながら、どうやって運ぼうか悩んでいた巨大なホーンボアの横腹をたたいた。
「お、なんだそれ? 獲物か?…ん? おいおいおい、まさかそれお前らが倒したっていうんじゃないだろうな」
「な、なんだよ、俺たちで倒したんだよ。だから今どうやって持って帰ろうかみんなで考えてたんだ」
茂みから出てきた抜剣の4人はホーンボアへ近づいて、はー、とかへー、とか言いながらそれをぐるっと眺めた。特に切断された首を見て、感心している。剣を抜いて「こんな綺麗にはいかねぇな」と素振りをし始める始末だ。
「いやぁ、どうやら俺たちは無駄足だったようだな。おめでとさん。こいつがそのホーンボアの進化体、タイラントボアだぜ? どうやって倒したか知らねえが、お手柄じゃねえか!」
アルベルトは首をかしげる。今倒したのがホーンボアではないと理解するまで少し時間がかかった。アンドレが祝いの言葉と一緒にその背中をバンと叩くと、じわじわと理解しはじめ、目を輝かせた。
「そ、その、すげえ奴を倒したっていうなら、俺階級上がるかな?! 七級になれるか?!」
「ばーか、何言ってんだよお前」
アルベルトの様子にニヤッと笑ってアンドレは返事をした。その様子にアルベルトはまたしゅんと落ち込んだ。こういう感情が豊かなところがアルベルトのかわいらしくて、人から好かれる部分だ。ハルカはアンドレがからかっていることを理解して、微笑ましくその様子を見ていた。
「七級で済むわけねえだろ、実力ははっきりしたんだ、五級くらいには上がるんじゃねえの?」
わざわざ溜めて言われた返答に、アルベルトがぱっと目を輝かせ、隣でタイラントボアの尻尾を引っ張って何かをしようとしていたモンタナに抱き着いた。不意打ちを受けたモンタナの足が一瞬宙に浮かぶ。
「いよっしゃ、おい、俺五級になれるって、これでみんなと一緒だな、一緒!」
「で、で、です、ですか。おめで、と、です」
がくがくと揺さぶられながらモンタナがお祝いすると、今度はそれを放してハルカたちの方に走ってくる。
「どうだ、どうだ、五級だぞ!」
ハルカの前にぴたりと止まり、嬉しそうに報告するアルベルトを見て、まるで犬のようだなぁと思いながら、ハルカはアルベルトの頭に手を伸ばした。
「そうですね、すごいですね」
アルベルトの頭をくしゃくしゃになでてやる。本当はモンタナ相手にしたように飛びついてきて喜ぶかと思って身構えていたのだが、目の前に止まってしまって少し拍子抜けしていた。あんなふうに喜びを分かち合ってみたかったが、来なかったものは仕方がない。
一応女性であることを配慮してアルベルトが抱き着くのをやめたことをハルカは気づいていない。同年代の友達のようにはいかないのだなと納得していた。
「なぁに撫でられてデレデレしてんのよ! みんなで倒したんでしょ、まったく」
横からアルベルトの後頭部をひっぱたいて、横に寄ってきたコリンがハルカの方に頭を差し出す。
「ほら、私も働いたんだから撫でて。ずるいでしょ、アルだけ撫でられるの」
ハルカはよくわからない主張をしてきたコリンに少し困惑していたが、じっと待っているのを見て、そういうものかと優しくコリンの頭を撫でた。アルベルトのごわごわした髪の毛より、艶があって撫でやすい。正直女の子の頭をなでるのは緊張した。多くのおじさんはセクハラに怯えて日々を過ごしている。
それを見ていたモンタナが、タイラントボアの尻尾をぺいっと地面に放り捨て、駆け寄ってきた。
黙って横についたモンタナは、何かを言いたげにハルカの方を見上げる。
多分そういうことなのだろう、と、ハルカがモンタナの頭をなでる。耳の毛がさらさらで、シルクのような触り心地だった。これは、癖になりそうだ、と思いながらモンタナの表情を見ると、目を細め気持ちがよさそうに撫でられていた。
「次俺!」
そういって空いてるほうの腕を取り、アルベルトが自分の頭の上に乗せようとしたところで、アンドレから声がかかる。
「おい、帰るまでが依頼だぞ。広場にそりを持ってきてあるから、そこまで気合でこいつを運ぶぞ」
4人の様子をジトっとみながら、親指でぐっとタイラントボアを指さした。
「ったく、こんなガキどもに先を越されたのかぁ、運が悪いぜ」
首を振りながら、相変わらずふざけた調子でそう言って、アンドレは手際よく獲物を運ぶ準備を始めた。
余談だが、これを持ち帰ったのち、ハルカは四級に上がり、コリンとモンタナは五級に上がった。ただしアルベルトは六級までしか上がらず、喜びながら拗ねるという不思議な芸当をやってのけたのだった。