退屈しのぎ
「そんで、あいつ襲ってこないけど、なんなんだ?」
長いことぐしぐしと泣いていたハルカだったが、アルベルトに尋ねられて、ようやく涙を袖で拭った。
「風の真竜と言っていました。喋れるので、本当かもしれません」
『このごに及んで我を疑うか』
「うわ、ホントに喋ってる!」
コリンがハルカの後ろに隠れる。アルベルトとモンタナも再び剣を構える。アルベルトの剣は半ばから折れていて、戦うのは難しそうだが、だからと言って心まで折れる理由はない。
とはいえ、アルベルトは目の前の竜と自分との間に、圧倒的な実力の差を感じ取っていた。
「……ハルカ。話し合いで済むならそうしろ。少なくとも今の俺はあいつには勝てねぇよ」
ハルカは一歩前へ足を出して、目を細める。竜との間に展開した障壁を確認しながら、アルベルトの言葉に耳を傾ける。
「だから、あいつとやれる自信がついたらまたくる、ってことでどうだ?」
「……その時は一緒に行きます」
「おう、頼む」
竜はハルカ達の方をじろりと見ながら、鼻から大きく息を吐いた。その息だけで土埃が上がり、生物としての強さの違いを感じる。
『我を前に、いつかの勝利の話をするとは……。まぁよい、それより主ら、この近くにあれが来ておろう? 名をなんと言ったか忘れたが、竜の小僧じゃ』
「……ノクトさんのことです?」
『おぉ、そうじゃ、ノクトだった。あの小僧が治癒魔法に優れていたはずだ。この尻尾を治させよ。さすれば今回の勝手な立ち入りと無礼な振る舞いは不問と致す』
真竜の口からノクトの名が出て、ハルカたちは沈黙した。ノクトはこの山に真竜がいることも、おそらくこうして出張ってくることもわかっていたのだ。
そういえばハルカは、いざとなれば話せばわかると言われていた。
突然の来襲から、ブレスや尻尾の攻撃を受けたせいで、そんなことはすっかり頭から抜け落ちていた。
「その尻尾を治せば、安全に帰らせてもらえるんですね」
『うむ、その通りだ。我も無駄に魔法をぶちまけられて、自分の住まいや食事場所を奪われては敵わん』
「食事場所?」
『さっきお主らが戦ってたであろう? この辺の飛竜が我の食糧よ』
中型飛竜が草食竜を襲ったように、大型飛竜が中型飛竜を食べるように、真竜は大型飛竜を捕食するらしい。ハルカは一瞬間を置いてから、返事をした。
「……わかりました。尻尾は私が治します」
『おお、確かにお主は魔法に秀でているようだからな。では治せ』
地響きを立てて向きを変えた真竜は、尻尾をハルカにむけてそう言った。あまりに無防備だったが、生態系の頂点に立っているものは、案外そういうものなのかもしれない。
ハルカはちぎった尻尾を持って近づき、切断面にくっつけると、治癒魔法を使う。あたりが白い光に包まれて、それがおさまった頃には、尻尾はしっかりと元のようにくっついていた。
よく見てみれば、前まで細くなっていた部分も、ちゃんと太くなっており、完全に元に戻ったというわけでもなさそうだ。
形が変わってしまったことを懸念したハルカは、真竜に向かって声をかける。
「……ここ前は細くなってましたが、これで大丈夫ですか?」
『ん? お、おぉぉお、尻尾がちゃんと治っておる! たわけたエルフかと思いきや、やるではないか』
「問題ないんですね?」
『もちろんこれで良い、最上の結果じゃ。あの忌々しい剣士に切られてからなかなかしっかり治らなかったんじゃ』
トグロを巻くように、尻尾をぐるりと自分の目の前まで持ってきて、真竜は嬉しそうに語る。
『まったく、後にも先にも我の尻尾を喰らうと言って持って帰ったのはあやつぐらいじゃ、腹立たしい』
話してるうちにだんだん腹が立った時のことを思い出してきたのか、真竜は鼻息を荒くして、右手で地面を叩く。
「あのー……」
話を聞いたコリンが、興奮した様子で、しかし恐る恐る真竜に声をかける。
『なんじゃ娘。まったく今日は人族の割に、よくもまぁ度胸のある者ばかりこぞってきたものじゃわ』
「そ、その剣士ってもしかして、クダンって名前じゃなかったですか?」
『おぉ、よく知っておるではないか。人族だしそろそろくたばったはずじゃ。ざまぁないのう』
真竜が小物じみた笑いを浮かべて体を揺らす。
アルベルト達は、顔を見合わせてにーっと笑った。既にこの領域まで到達した冒険者の先達がいるというのは、実に心強かった。
『あやつが元気なうちは街に飛んでいかないと約束したが、そろそろ顔を出して、生意気な連中を脅かしてやろうか』
ハルカはそんな竜の様子を見て少し悩んでから、街に降りてこられても迷惑だと思い、クダンが元気であることを教えてやることにした。
「あの、クダンさんでしたらつい先日お会いしましたし、元気でしたよ」
真竜は笑うのをやめて、ピタッと動きを止めてつぶやいた。
『……そうか、至ったか』
真竜は突然黙り込んだが、十数秒後また動き出す。
『色々とあったが、尾を綺麗に治した礼くらいしてやろう。どうせ人族のことだ、飛竜の卵をとりにきたのだろう。ちょっと待っておれ』
そう言って飛び去った真竜はハルカ達を長く待たせることなく、すぐに戻ってきた。
大きな卵を一つ、爪の先で器用に持っており、地面に降りる前にそれを地面に放った。割れてしまうのではないかと思うが、硬い音がして、ゴンゴンと卵が転がる。
『今日の夕飯にしようと思っておった卵だ。それから、ほれ』
口に咥えた巨大な牙を、これまた地面に放る。
『せっかく真竜と殴り合いしたんじゃ、その証明にこれをやろう。我の生え変わった牙じゃ。丈夫なだけじゃが、振り回す杖にでも加工するといい。たわけエルフの怪力でも、加減すればそうそう壊れたりはせんじゃろ。そこなオマケの人どもも、我の気が向けば相手をしてやる。我もこの山にいるだけでは退屈だからのう。次はいきなり襲い掛からずに、話くらいは聞いてやろう』
空に飛び上がりながら長く話した真竜は、上空で止まり、立ち去る直前にもう一言付け足した。
『クダンとノクトにも言うておけ。お前たちもたまには顔を出せと。我は退屈じゃ』
真竜は返事を待たずに山の奥へと飛び去っていく。
イーストンがその後ろ姿を見送りながらつぶやいた。
「なんだか、孫が来るのを待ってる、頑固なおじいちゃんみたいだね」
誰も同意はしなかったが、ハルカも心の中で、そんなふうに見えなくもないとは思っていた。