後悔
景色が吹き飛ぶ。
空が見え、地面が見え、地平線が見える。
一瞬世界が崩壊したのではないかとすら思ったが、そうではない。
自身がはじき飛ばされて地面を転がっているだけなことに気付き、慌てて体勢を立て直そうと足を踏ん張るが、それは空を蹴るだけの結果に終わった。
手ごたえはあった。
ハルカの身体には、尻尾に生えた棘が刺さることはなく、これなら受け止められるのではないかと思ったのだ。
しかしその直後がこの景色だった。
がむしゃらに足や腕を振り回すと、偶然腕が地面に刺さり、そのまま数メートル岩場を削って動きが止まった。
尻尾は振り切られたのか、その速度は緩められたのか、アルベルトとモンタナは逃げられたのか、次々と浮かんでくる疑問は、飛び上がった竜の姿を遠くに見た瞬間に霧散した。
竜の口元が輝き、ブレスが吐かれるのが見えた。
あの下には仲間がいるはずだ、障壁を張るのは自分の仕事だ。
直撃したらどうなる。助かるのか。
「あ、ああああぁああああ!!」
ハルカは夢中で足を動かして、仲間の下へ走った。
遠くに位置の指定もろくにせず、とにかく障壁を張りまくった。距離が測り切れないから、数をばらまくしかないと思った。
思いきり蹴った足が地面を削り、前に進む力をロスしている。
全力で踏み込んだ足が地面に埋まり、余計な時間を生み出している。
ハルカの進む速度は決して遅いものではない。
それでも身体能力を十全に活かせているとは絶対に言えなかった。
元の身体でいた時ですら全力を出したことがないハルカに、自分の身体の正しい使い方など理解できているわけがなかった。
歯がゆい、もどかしい、じれったい、苛立たしい、苛立たしい、苛立たしい。
いつか、そのうち、少しずつ。
命を懸けて生きている人間にとって、その日を全力で過ごさないことは罪なんだ。だから罰が当たったのかもしれないと思った。
ただただ、自分の暢気さと覚悟のなさが苛立たしい。
ブレスがいくつかの障壁に当たり、それを割りながら少しずつ地表へと降りていく。
その光景が、自分の動きと同じように、酷くゆっくり見えた。
光る。地面が震える。聞いたことのないような破壊音が響く。
ハルカは音のした方向へひた走る。
泥濘のように脆い地面を蹴り飛ばしながら、わき目も振らずに走る。
ようやく竜のもとまでたどり着くと、景色がすっかり様変わりしていた。
地面が広く抉れ、仲間の姿はない。そこにいた痕跡すらもない。
希望的な観測はできない。最悪の事態を想定し、ハルカは顔を真っ青にした。
ハルカは叫ぶ。
「アル! モンタナ! コリン! イースさん!!」
返事はない。
その様子を見た竜がカッと口を開いた。
『ふっふっふっふっふ』
低い音が辺りに響く。音源を探ると、それは竜の口元から発せられていた。
竜がハルカを見て笑っているようにしか見えなかった。
ハルカの頭にカッと血が上る。はじめての感覚だった。
仲間を探すことの何がおかしいのか?
この生物と自分は絶対に分かり合えないのだと思った。
ハルカは深く考えずに走った。笑うその横面を、思いきり殴ってやりたいと思ったからだった。
向かってくるハルカを見て、竜はつまらなさそうに鼻をならして、無造作に尻尾を横ぶりした。先ほどの一撃を再現するつもりだったのだろう。確かに何の策もなければ、それは容易なことのように思えた。
走るハルカを横殴りにするように、尻尾が叩きつけられる。ハルカをそれをもろにくらう。
しかし、ハルカは吹き飛ばなかった。
幾重もの障壁を自分の背中側に張り、それを割りながら、数メートルだけ押し込まれて、その場にとどまることに成功したのだ。
一撃目でこれを思いついていれば、違ったのに。ハルカは割れんばかりに歯を食いしばった。
普段から質量のある相手と肉弾戦をしていれば、最初の一撃を受け止めるときに思い付いてもよさそうな策だった。
自分への怒りと共に、尻尾に生えた棘に指をめり込ませた。
尻尾から信じられない音が聞こえてきて、竜は慌てて飛び上がろうとしたが、尻尾をグンと引っ張られてそれに失敗する。
ハルカは足を思いきり踏み込んで、地面に埋め込み、体を固定した。
両手の全ての指を大きな棘にめり込ませると、腰を落とし、全力でそれを振り回した。
その身体ごと振り回して地面にたたきつけてやるつもりだったが、腰を捻り思いきり引っ張ったところで、ブツリと何かがちぎれるような感触がして、竜の叫び声が聞こえた。
突然腕にかかる重量が減り、前につんのめったハルカの目の前に、本体と切り離された尻尾が現れた。
竜は痛みをこらえているのか、高速で上空へ姿を消し、尻尾から血を流しながら、戻ってくる。
『我の、尾を、ようやく治ってきた我の尾を、よくも……』
声が聞こえてきて、先ほどの声は確かに笑っていたのだと確信した。それから、恐らくこの竜こそが、ノクトの言っていた真竜なのだとも思った。
しかし、だからなんなのだ、とも思った。
平常の心であれば恐れへつらったであろう相手に対し、ハルカは尚も怒っていた。
無言で真竜を睨んだハルカは、一言も発することなく、風の刃を浮かべた。
少なくとも中型飛竜には通用した。いくら真竜と名前が変わろうが、飛ぶ竜には違いないはずだ。その刃を鋭くすれば、切り刻めるに違いない。
それができなければ焼けばいい、ダメなら貫けばいい、それがだめでも、試し続ければいつか殺せるに違いない。
ハルカの中で黒い感情が渦巻く。
ハルカの周りに次々と魔法が生み出される。
真竜すら二分しそうな目に見えぬ風の刃、今にも破裂しそうな力をため込んだ巨大な炎の塊、光沢を放つ鋭い金属の棘が無数に浮かび、不定形の粘着質な水分が空を覆ったかと思えば、そのさらに上空には、黒雲が形成され、空に稲妻が走った。
真竜はそれらを全て確認してゆっくりと地面に降りてくる。
『……まぁ待て、話をきくのだ』
突然やけに人間臭く話しかけてきた真竜に向かって、ハルカは無言のまま風の刃を投げつけた。