猪退治!想像と現実
ここでホーンボアについて少し考えてみる。
そもそも猪に角が生えたからって、実はさほど強くはならない。ただその身体的特徴が顕著であるからホーンボア、と呼ばれているだけだった。猪は元から牙を持っており、それは十分に人体を破壊しうる武器となっている。また猪の恐ろしい点というのはそこではなく、その突進力だ。人の倍以上の体重を持つ獣が、時速三十キロメートル以上のスピードで突っ込んでくる。人間なんてそれだけで轢き殺されてしまうだろう。
ホーンボアの恐ろしさ、それは猪よりさらに一回り大きく、そして全力で走ったときに、猪よりも早く動くことができる点だ。頭に生えた角は、確かに刺さったら抜けなくなりそうで恐ろしい。しかし大抵の人間は、正面からホーンボアの突進を受け止めた時点で絶命しているので、角なんておまけ程度の意味しかなかった。
今からこんなに恐ろしいホーンボアに挑むことになるわけであるが、ハルカは山中で猪に遭遇したことがない。ハルカが想像しているホーンボアは豚が一回り大きくなり、角を生やしたものだった。ちなみにその豚というのも、飼育されている豚のことだ。なんなら普通サイズの豚と、ミニ豚の間くらいの大きさのものを想定していた。
少し日が昇ってしまったものの、無事に斜陽の森へたどり着いた一行は、事前情報を集めていたハルカの先導に従って森の中を進んでいく。
斜陽の森はオランズの林業に利用されているために、適度に木々が伐採されており、歩くのにはそれほど苦労することはない。見通しも悪くなく、日の光が幻想的に木々の間に差し込んでいる。
ピクニックには最適そうで、ハルカは森林浴気分でのんびりと歩みを進めていた。
少し進むと、冒険者が斜陽の森で探索や依頼を行う際に拠点とするために切り開いた広場がある。
広場までたどり着いたので、ここからの動きをみんなで相談する。それぞれ分かれて探索に出るという策もでたが、はじめての討伐依頼である上に、方向音痴を二人かかえている状況でその選択はできなかった。
先ほどまでと比べ草木が生い茂ってきている森の中を、ゆっくりと慎重に進んでいく。膝のあたりまである高い草は、足元をすっかり見えなくしていて大層不便であった。しかし逆にそれが一方向に向けて倒れている場合、そこを動物が通ったであろうことがわかる。所謂けもの道だ。
どこか他にもヒントがないのかと思いながら、ハルカがきょろきょろとしていると、大きな木の根の付近に三羽の兎の姿を見つけた。その長い耳がなにかを警戒しているような動きを見せ、きらっと光を反射して輝いた。ハルカは随分と毛艶がいいなぁ、とのんきに兎たちを見つめていた。
兎たちはこちらの様子に気がついたのか、一斉にハルカ達の方を見る。きっと逃げ出すのだろうなと思って、驚かせて悪いことをしたと思う。できるだけそーっと目をそらし歩き出す。これ以上かわいらしい小動物を驚かせたくなかった。すると何やら草を踏みつけるような小さな音が三つ、後ろから駆けてくるのがわかる。
さっきの兎、人に懐いていて餌でも貰いに来たのかもしれないと、振り返ってみれば、その兎たちが耳を振り振りしながら、ハルカに向かって飛び跳ねてきているのが見えた。
兎たちのそのかわいらしい姿を微笑ましく見守るハルカの上半身へ向けて、三体同時にうさぎが跳ねてくる。動物園にいるような気分で和んでいると、後ろから鋭い叫び声が聞こえた。
「危ない!」
「危ないです」
金属のぶつかり合う音が2つして、兎がとん、と地面に着地をし、そのまま茂みの奥へと走り去っていった。
自分の方へ飛び込んできていた兎も、どうやら首元辺りを通り過ぎていったようで、そのあたりを耳でなぞるようにして、後ろの茂みへと走り去っていった。首元がくすぐったくて、耳のこすれた部分を手でさする。野生の兎は元気だ。茂みに消えていった兎を見送るハルカの手を掴み、コリンが首回りを覗き込みながら大きな声を出した。
「ハルカ!首、大丈夫?血は?!」
「……血、ですか? ちゃんとよけてくれたみたいで、爪とかは当たってないですよ?」
「違うの! 今のキラーラビットよ?! 耳が刃物のようになってる肉食の兎の魔物!」
そう叫ばれてハルカは改めて自身の首元をそーっと撫でた。そういわれれば通り過ぎたときに耳が当たったが、ふぁさって感じの毛の感触は全くなかった。ぼーっと油断している間に、自分が死にかけていたとようやく気付く。ハルカの背中にぞぞぞっと寒気が走った。
よくわからないけど、身体が丈夫になっていてよかった。仕事で重いものが運べた時よりなにより、今この瞬間、一番そのことに感謝をした。
迷子やらなんやらで、保護者気分で歩き回っていた割には、この世界を一番現実的に見ることができていないのは自分であると気づく。ハルカは首を振って気合を入れなおした。
「ありがとうございます、大丈夫です。気を付けます」
三人に向けて礼を言って顔を上げると、何故かその三人が体を硬直させて一点を見つめている。なんだろうと思い、兎が走ってきた方向を見ると、そこでは巨大な猪が鼻息荒く4人を見つめていた。
鋭い角はねじくれていて汚れがたくさんこびりついており、あれで傷ついたら感染症まっしぐらだろう。もしあの角をもろに真正面から受けたとしたら、まず間違いなく人体は貫通する。牙も立派に育っており、下手に横によけようものならあの牙が体を裂きに来そうだった。横幅は人が両手を広げたくらいに広く、そして高さはハルカと同じくらいはあった。
「大きいです」
「お、おぉおおおお、お」
モンタナのとぼけた声が聞こえた後に、他の2人が声を出さずに固まる中、アルベルトだけが勇敢にも何かをしゃべろうと声を発している。そしてそれは魂の叫びとなり森の中に木霊した。
「おおおおれの思ってたんと違う!!!!!」
ハルカも心の中で「私の思ってたのとも違います!!」と大絶叫していたが、現実はひゅっと息を飲み込んで目元をひきつらせるだけで済んだ。それしか反応できなかったと言い換えることもできた。
どかん、どごん、ミシミシ、ブンと後方で爆音が響く。
ホーンボアが木にぶつかりなぎ倒し、大木を刺し貫いては無理やりミシミシと角を抜き、それに刺さっている木を頭を振ってどこかへ飛ばす、そうしてまたハルカたちの方へまっすぐと突っ込んでくる。
「どうすんの、なぁ、あれ、どうすんだよ!」
走りながら顔を青ざめるアルベルトは、大きな声で仲間に話しかける。ホーンボアは完全に一行をターゲットにしたようで、逃がしてくれる気はなさそうだった。魔物は進化すると同時に雑食になる。何でも食べるようになり、それによって体内に多くの魔素を取り込むようになっていく。さっき飛んできたキラーラビットだってそうだった。魔物化したホーンボアにとって、今のハルカたちは逃げ足の速い昼ごはんでしかなかった。
「とにかくまっすぐ走らないようにしましょう、曲がるのは下手みたいです!」
「なんとかしないと、ずっと追っかけてくるわよ?!」
走りながら対策を練るもなかなかいい案が思いつかない。というより、ハルカはとてもじゃないがあんな化け物に勝てると思えなかったのだ。子豚サイズと思っていたらサイくらいの大きさがあって、しかも狂暴だ。
その思いはアルベルトとコリンも似たようなもので、3人は完全に混乱しながらの逃走劇を繰り広げていた。
そんな中モンタナののんきな声が聞こえてくる。
「次大きな木に刺さったら反転するですよ」
「あんなのに勝てるのかよ!」
アルベルトの反論に、ちらっと後ろを振り返ったモンタナは、頷いて答える。
「はいです。死なない生き物なんていないですから、普通に勝てると思うです。木に刺さってるときに集中攻撃すればいいです。…あ、刺さったですね」
後方で大きな衝突音をした瞬間、モンタナの頭がぐっと下がり、すぐさま踵を返したかと思うと、木から角を抜こうとしているホーンボアの後ろ脚を切りつけていた。
「硬いです」
あまり手ごたえがなかったのだろうか、すねたような表情で言ったモンタナであったが、その雰囲気はいつも通りで、まるで緊張も恐怖も存在しないようであった。
「当たらなければ痛くないです、一方的に攻撃し続ければいつか勝てるです。ほら、早くするですよ。角が抜けちゃったら、またみんなででっかい木の前に立ってよけるです」
モンタナはガシガシと後ろ足に剣をたたきつけるように振り続ける。どうも毛皮に泥や樹脂なんかがへばりついて随分と硬くなっているようだった。
そんなモンタナに倣うようにして、アルベルトが、大きな声を出して突っ込んでいく。
「おおおお、俺は、冒険しに来たんだ! 逃げてばっかりいらんねええ!」
走ってモンタナと違う方の後ろ足を同様に切りつけ始める。
「た、確かに刺さってれば怖くないわね」
コリンが矢を番え、ヒョウっと音を立ててそれを放った。矢は風をきって首元に吸い込まれる。が、残念ながら刺さらずに地面にポトリと落ちてしまう。矢を放ち始めたコリンは話すこともなく、二の矢三の矢と続けてはなっていく。
ハルカもこれに参加しようと、もといた場所から魔法の詠唱を始めた。前衛の二人が剣を振るってるのを見て、風の魔法ウィンドカッターを唱えながら、ホーンボアの首元に指先を向ける。
「風の刃、生れ、鋭く、飛び、斬り払い」
コリンの放った5本目の矢はようやく首に突き刺さり、ホーンボアは嫌そうに頭を振った。
それと同時にミシミシと大きな音がして、角の刺さっていた木が、右手側に倒れる。
「今度はあっちに逃げるです」
「貫け、示す方向に。ウィンドカッター」
モンタナが指さした方向には、直径1.5メートルほどある巨大な木があった。どうやら木の倒れる方向を見て、あまり長引かせると倒れた木に当たることによる事故が起こりかねないと思ったようで、見える中でも特別大きな木を指定したのだ。
その直後だった。
全員の衣服を揺らし、一筋の刃がホーンボアの首元を通り抜けた。大きく首を振って倒木から角を抜こうとしていたホーンボアの首、その上半分が捻られるようにしてずれて、中身がむき出しになる。そのまま、どうっと大きな音を立ててホーンボアの巨体が地面に倒れた。
血が噴き出し、辺り一面の木や草がそれに染まっていく。
大きな木に向けて走り出そうとしていたアルベルトとモンタナは、振り返った姿勢のまましばらく瞬きして動かず、コリンはゆっくりとした動作で6本目の矢を矢筒にしまった。
前衛二人が所在なさげに剣を鞘にしまっているとき、ぽつりとコリンが呟いた。
「…魔法ってすごい」
ちなみにハルカは思わぬグロ画像に、しばらくの間口元を押さえて吐き気をこらえていた。