違いの分かる男
「あの、私あなたの本を読んだことがあります。大変参考になりました。いつかお会いする機会があれば、お礼を言いたいと思っていたんです」
「え? あぁ、どれを読んだんですか?」
困惑した様子で顎に手を当てたジルが、返事をする。
「【これであなたも魔法使いになれるかも?】というタイトルだったと思います」
「ああ、才能ある子供がその道に進めるように書いたものですね。あれは、各地の冒険者ギルドに無料で配っているんですよ。……しかし」
相変わらず納得いかない表情で、ジルはしばらくハルカの方を見て、首を傾げる。
「あなたは格闘家かなにかでは? その妙な魔素の動きは、身体強化をしているもの独特なものであるはずですが」
「ああ、いえ、私はその、身体強化もしますが、魔法も使うと言いますか……」
「外に漏れ出すほど身体強化をしているのに、魔法も使う? 普通では考えられないことだ。ノクト殿、こちらの女性が言っていることは本当かな?」
「本当ですよぉ」
「なるほど。……なんにしても戦いにならなくて幸いだったといったところか。良かったですな、侯爵閣下」
座ったままの侯爵を見下ろしてそう言ったジルを、侯爵は睨み返した。
「雑談するなら他所でやれ。私からは、もうお前らに用はない。他に何かあるか?」
「あ、はーい。あのー、スコット家の人が、捕まえた人の中から事情を知ってそうなのを一人譲ってほしいって言ってたので、お願いできますか?」
ハルカが興奮してジルと話している中、コリンは冷静だった。お金になる話を忘れるコリンではない。
「……渡すことはできんが、スコット家の調査に協力することを約束しよう。あいつらには街の裏側の治安をある程度守ってもらわんとならんしな」
「じゃあそう伝えておきます」
「そうせよ。もうないな? ……なければ退室せよ。まったく、普通はこういう時は遠慮して、申し出などせんものなのだがな。……おい、ジル。お前も気になるなら一緒に出ていっていいぞ。今日はもうお前に用はない」
「それは結構。では私も失礼させていただきます」
ツカツカと足音を立ててハルカたちの方へ歩いてきたジルは、そのまま横を通り過ぎて、大きな扉を開けた。
「話は終わったみたいなので、通常の配置について構わないと思いますよ」
外で待機していた兵士たちにそう告げると、彼らは中の様子を窺ってから、順番に広間へ入ってくる。ジルはそれを見届けてから、ハルカたちへ声をかけた。
「王国内でせっかく出会えた本物の冒険者同士です。もしよろしければ、ご一緒に昼食などいかがですか?」
ジルは、ベテランの冒険者であり、最高峰の魔法使いでもある。一冒険者としてこの機会を棒に振るわけにはいかない。そして何よりハルカは朝から何も食べていない。
ハルカの提案に付き合った仲間たちもそれは同様だ。
ささっと互いの意思疎通を果たした一行は、満場一致でそのお誘いに乗ったのだった。
城を出て、町を歩きながらジルと一行は会話を繰り広げる。
「私の方でも色々と聞いてみたいことがありましてね。君たち、若い割に随分と手練れだ。これはノクト殿の指導の賜物だと思っていいのかな?」
「いいえぇ、私が出会った時には皆さんもう強かったですよ。それに私を師と呼んでいるのは、ハルカさんくらいですからねぇ」
「……ん? それでは、修行の旅をしているわけではないと?」
「ええ、彼らは僕の護衛ですよ」
「護衛、要るんですか? 侯爵閣下ではありませんが、【血塗悪夢】にそんなものが必要とは思えませんが」
「昔の話はよしましょうよ。今はもう、ただのおじいちゃんですよぉ」
「何を言い出すやら。どう見ても若者にしか見えません。いつだかあなたの友人である【不倒不屈】に会った時も思いましたが、同じ特級冒険者の間にも明確な差を感じることがありますな。得体の知れない者たちは、なぜかいつまで経っても若々しい見た目をしている。そこにどんな秘密が存在するのか、一人の学者としては気になるところです」
先頭を歩くジルが、横に並ぶノクトを横目でじっと見るが、ノクトは何も答えずニコニコと笑うばかりだ。
解答がなさそうであることを察したジルが、ため息をついて、モノクルの位置を直す。
「ま、それを調べるのもまた一興」
アルベルトは横並びで移動する、二人の特級冒険者の背中を眺めながら思う。
老いを感じさせない健脚で、ツカツカと歩くジルは、背筋がピンと伸びており、身体能力も高そうだ。
それに比べてノクトは、少し背筋が丸まっており、移動の時は、障壁に乗ってスライド移動をしている。着替えを見ているとわかるのだが、体全体がぽよぽよとしていた。一番近いのはユーリの体つきだ。
明らかにジルの方が強そうに見えるのに、話している限り、力関係は逆のようだ。実に不思議だった。
ジルについて歩いていると、段々と見覚えのある景色になってくる。連泊している宿の付近を通り過ぎ、商店街の方へ向かっているのがわかる。
あちこちから食べ物のいい香りが漂ってきて、ただでさえ空腹を訴えていたハルカのお腹が、時折小さく唸り声を上げた。
しかしこれだけ食べ物の香りがしてくるのだから、ジルが目指しているお店にもう少しで到着するに違いない。
そう思ったハルカは、情けなく下がった眉をきりっとさせて、顔を上げた。
「さて、ここが私のお気に入りのお店です。メニューは少ないですが、何を食べてもハズレがないことは保証しましょう」
バターの香り、そして野菜と肉が煮込まれる、食欲をそそる匂いが漂ってきたあたりで、ジルが足を止めてそう言った。
ドアの前に吊り下がった看板を見上げると、なんとそこには、今日ハルカたちが朝食を抜いて行こうと思っていた店の名前がはっきり刻まれていた。
ここにくるのはきっと自分の運命だったのだ。
美味しいご飯への期待に、ハルカは胸を躍らせるのであった。